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政治家の理想形はブラック企業のワンマン経営者

ルサンティマンなしでは生きていけなくなるという意味での全員弱者化。


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言わない人たち(意見と誤答2.0)

ある組織内の弱者と位置づけられる人たちが、体制側の論理を身につけて、または内面化して、自分を納得させることがある。

体制側にバカにされたくないと思っている場合。

意見、というのは自分の視野や知識、及び経験、そして立場に左右される。

そして、一人の人が全ての意見と全ての立場を持つことは出来ない。

故に、誰の意見も少なからずポジショントークであり、偏っている。

全ての見識を網羅してから、勉強してからなんて言っていたら、

一生かかって一言も発言出来ない。

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メロドラマ的断絶

 たとえば植田御大のように思考回路がまったくもって理解できないとか、キムシンのようにことごとく言語感覚が合わないとか、そういうのではないんですが。
 ただ、皮膚感覚が微妙にズレているような気はする。
 微妙ではあるけれども確実に。徹底的に。
 単純に個人の嗜好として、なんか、心地よいと感じる温度とか感触とかが違う。

 たぶん私が「男のロマン」「男の美学」的なものをまったく解さない人間だからなのだと思います。
 主人公のカッコ良さも別れの美しさも、恋愛と友情の機微も、アタマでは分かるのに気持ちの上でどうしても腑に落ちない。

養老-chanm経由で精神構造を歪められているからだ。
女子学院で以前言ってた歴史教育を受け、ICUで現代思想を受講したのかもしれない。
しかし、そのわりに『青年の大成』『保守政権の担い手』には心を揺さぶられるらしい。
論理的思考力を高めて、本当のことを知れば、頭と感情と表現が一致するようになると思う。
植田紳爾 - Wikipedia

スケール豊かな歴史劇を得意にし、作品群に漂う彼一流の様式美から、彼の作品は“植田歌舞伎”とも呼ばれる。

しかし植田の評価については、作品によって“脚本がずさん”また“描き方が古めかしく、共感しにくい””導入部が異様なまでに長く、中々本筋に入らない”などの批判も聞かれる。

産経新聞 ENAK 演出家 木村信司に聞く

ファンタジーと現実の螺旋(らせん)構造。これが木村の作劇の基本だという。

「ひとは現実世界とは別にこうなりたいという夢の世界をもっています。人生とはリアルとファンタジーの総体。ファンタジーだけど現実とのかかわりから見てもナンセンスではない作品を心がけています」

「くちはばったいようですが、政治とは人につくす仕事。他人の幸せをもって自分の幸せにするのが人間なのでは」

「手を替え品を替えですが、私の“体質”は一緒。つまり、人間とはどういうものなのかを知りたい。理想や神ではなく、生きている人間の、生きるとはどういうことなのかを。生きることの本質を見極めたいのです」

見極められるのかと問うと「いやあ、無理ですよ。だから、試行錯誤しながら“危ない道”を通る。死ぬまで続けるでしょう」

はははははははと、また笑う。

正塚晴彦 - Wikipedia

華麗で美しい恋愛や夢がテーマの宝塚に、ハードボイルドの色合いを持ち込んだ先駆者。その作風は賛否両論に分かれる場合もあるが、彼の描く男の生き様、かっこよさ、男の友情、大人の恋、日常的な演技やセリフに、俄然ファンは多い。また、何気ない日常の中にドラマを見出すことに長けている。

演出は緻密でリアル。生徒の個性を引き出し、実力を付けさせることにも長けている。

あえてその名では呼ばない

 今回の花全ツで出てきたかどうかは記憶にないのですが、ベルばらの各バージョンで植爺が必ず入れる
 「オスカル様は信念のお方です」
 「オスカルは強い信念を持っている」
 という台詞。
 『銀ちゃんの恋』に出てくる人たちが持っているのは、まさにその信念だと思う。
 別に崇高だったり自己犠牲的だったりするわけじゃない、ただ自分が信じた道を、踏まれても蹴られてもまっすぐに歩こうとする強い意志。
 誰もその生きざまを「信念」などという言葉では呼ばない。
 言葉で押しつけないからこそ美しい。

 同じ時期にベルばら観て、銀ちゃん観て、そんなことを思いました。
 …演じている人たちは同じように一生懸命で、同じように美しいのにね。

ね、縦方向を抜いておるでしょ。
それを「信念」に紛れ込ませ、「同じように美しい」とごまかす。
そんなのは日本語では「自分が信じた道」とは言わないし、「まっすぐ」ではないのだ。
そして、批判を許さないために「押しつけ」とすり替える。
「別に崇高だったり自己犠牲的だったりする」必要はない。
そのようなものを殊更に否定してまで我を通そうとする妄念妄執が悪なのだ。


パクちゃんが憧れているゆう子ちゃん(上のエントリー)や檀ちゃんが話してることやってることと全然違うでしょ。

技術よりも大切なもの

 そもそも、
 「歌の上手さ」とか「ダンスの巧さ」とかを求めてタカラヅカを観ているわけでは勿論なく
 そんな基準じゃ計れない、タカラジェンヌたちの刹那の美しさとか華やかさとか温かさとか、舞台から放たれる何かキラキラしたものを浴びたくて足繁く劇場へ行ってるわけですが。

まあしかし、パクちゃんの場合、未熟者礼賛で、みんなでワーワー騒ぎながらまとまっている(例えば、酒盛りしてダッシュするとか。)と満足するというところがあって、いつもとは表現を変えてるだけで、気持ちはあんまり変わっとらんのですよ。

 その「キラキラ」の存在をいつにも増して感じずにいられないのが、新人公演という場だなあときょう改めて思いました。

初舞台ロケットの稽古場お披露目だと思う。

 私たちに届くのは、歌や芝居が上手いかどうかじゃない。
 キラキラしてる人のキラキラした光は、そんなものを超えて、まっすぐ客席に届いてくる。

chanm系丸出しの木っ恥ずかしい表現。

走れ!私。

心のモヤモヤを消すためには、それを押し出し
ぬぐい去るための、新しい何かを
自分の中にインプットしなければ。。。と。

<ちゃんみつ君
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080919#1221781428

走るのってしんどいし顔も真っ赤な茹で蛸みたいになって
不細工にしかならないんだけど
でも、走っている間は、
自分と正面から戦う時間って感じがするし
自分に全力で集中できる瞬間でもあって

なんだか知らないけれど
いいんですよね。

この先の極限状況を抜けた精神状態に常にあるようにする。
平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」だ。
「平常心」は通常使われている「へいじょうしん」という意味ではなく「最高の状態」という意味。

蝶々もちゃんみつ君と同じくスピリチュアル系の本と養老系の新刊書という相容れないものを読んで思想を形成しているようだ。
気持ち的にスピリチュアル系に惹かれ、知的になれると思って養老らの本を読むのだろう。