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ポストケインズ派経済学入門

ポストケインズ派は、資本主義を自発性と技術革新を促進するシステムであるとみる。とくに、所得分配や、すべての社会階層への公的サービスとインフラの提供に関して、資本主義は、その欠点とその過剰を処理できる国家や民主的な制度によって支えられるならば、効率的な経済システムとなりうる。

ポストケインズ派は、この資本主義の不安定性を、競争力や競争メカニズム、もしくは価格柔軟性の欠如の結果であるとは考えない。それどころか、価格管理、慣習、(資本の自由な移動の制限といった)規制が、経済システムの安定性を強化するとポストケインズ派は信じている。

石原莞爾「新日本建設大綱」

利己心と利他心とは我等の心に併存し、社会道徳の主眼はその適切なる調整にある。経済の目標は個人経営と社会経営とを時代に即応して、巧みに按排(あんばい)し、その最高能率を発揮するにある。

統制は断じて専制への後退ではなく、真に自由を暢達せしめるために必要の強制を加えるところの、専制と自由を総合開顕した新しい指導理念である。

石原莞爾「新日本建設大綱」

八二 明治以来日本の興隆に果した教育の役割は没すべきではないが、しかし今日の悲境と行詰りをもたらした教育上の諸弊害を究めることが、教育の新方途を定めるに特に必要である。学校教育の欠陥は二三にして止まらないが、これを要約すれば、第一に商品的大量生産方式で行なわれたこと、従って貧しき者は学び得ず教育ある者ほど利己主義となり悪平等は有能者の向上を阻(はば)み無能者に過重の負担を強いる等の結果を生んだこと。第二に商品的教育方式と封建的強制教育の結果、思考力の向上を阻み個性の発揮を至難ならしめたこと。第三に急激に西洋文明を採り入れる必要上学科偏重に陥り、その結果労働忌避の習慣を生じ実生活と遊離し、体力の低下を来したこと等を著しいものとしてあげなければならない。
八三 かかる学校教育上の欠陥は互いに相結束して学閥を形成し、無能者が学閥を頼って自己の支配的地位を獲得維持せんとする牙城として利用した。学閥は、国民のすべてが分に応じて働く態勢にとって最大の障害であり、指導者が固定して社会の生成発展を妨げる最大原因であった。新日本建設のためには先ず学閥を打倒しなければならぬ。

「ササ異変」で京菓子ピンチ

 ササの葉は年中緑色を保つが、局地的に一斉開花し、実を結んだ後、葉が枯れる花枯れを起こす。理由は未解明だが、周期は60年とも120年ともいわれており、新しい葉をつけるまで4、5年はかかるという。

 京都のササは同市北部の花背や鞍馬産が、香りが高く和菓子用に適しているが、一帯では約4年前からササの花が咲き始め、次第に花枯れが広がってきた。

田中秀征の一言啓上 首脳宣言は荒削りでも政治家の言葉で

私はこのサミットに過大な期待をしていたわけではないので、今回の成果について一定の評価をしている。

私はかねてから、「野放しのグローバル経済を檻に入れよ」と主張してきた。

責任の大きさは各国さまざまでも、温暖化の被害は、平等に、しかも同時に襲ってくる。

ところで、首脳宣言を読んで感じたのは、きわめつきの官僚の文章ということだ。

これでは、各国の一般の人たちを動かすことができない。

代表選――私が「ノーコメント」を貫いているわけ

「個人的な感情が先に立って党首選挙になった。そのことが最終的に新進党を解党に追いやることになってしまった」

乗せられた羽田孜羽田孜だ。
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日下 公人氏:北京五輪は「成功」のレベルが低い

 日本人が考える「成功」とは、自分たちが満足したかどうか。そして、若い人たちの元気が出たかどうかである。ただし、東京オリンピックのころの日本は、道路や下水道など社会インフラの整備が進むことが成功だった。反対運動があって進まなかった工事が、オリンピックを口実にして進められた。

中国人の本質は文。インド人の本質は幻。では、日本人は何か。それは「約」である。

 「約」の本来の意味は、節約、つまり合理化である。無駄を省いてエッセンスだけを取るという意味である。