https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

#佐野パン

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160205#1454669198

エルバビーバ|杉崎美香オフィシャルブログ

帰りに京都駅でラーメン食べちゃったー!

札幌『すみれ』の味噌ラーメン。

すみれ 京都店 - 京都/ラーメン [食べログ]
京都拉麺小路(ラーメンこうじ)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160127#1453891403
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160113#1452681463

セレブ・デ・トマト 表参道店 (Celeb de TOMATO) - 表参道/フレンチ [食べログ]
【閉店】セレブ・デ・トマト 代官山 - 代官山/イタリアン [食べログ]


https://pbs.twimg.com/media/CaVC95iVIAAjC02.jpg:orig


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151128#1448707178

#文房具 #哲学部


iBooksのブックから保存する場合は、引用元がiBooks Storeのリンクとともに付記されます。
気にいった文章をTwitterなどで共有する場合にも、この方法ならコピー&ペーストの手間が省け、引用元も示すことができます。

Kindleアプリから保存するも、同様に書籍情報が付記されます。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151007#1444214248

#哲学部

争わざるの理: 藤平信一ブログ

最近、よく受ける質問の一つが「争わざるの理について」です。自分自身に争う氣持ちがなければ争いは生じないかと言えば、そんな事はあり得ません。それは今の世界情勢を見れば明らかです。


正しくは「自分自身に争う氣持ちがあると常に争いを生み続ける」ということです。つまり、自分の心のあり方が重要ということです。


私は元々とても氣性が荒く、親には常に心配をかけていました。刺激に対して過剰に反応する子供でした。心の中には常に争いがあり、そういう氣を発し続けていましたので、自分から揉め事を引き寄せていました。


心身統一合氣道の稽古においても、常に相手とぶつかってしまい、時に癇癪を起こすことさえありました。藤平光一宗主から「争わざるの理」を教わってはいたのですが、全く理解を出来ずにいました。


内弟子となってからこの様なやり取りがありました。


宗主 「技が上手くいかないようだな」
私  「はい」
宗主 「目の前にいる相手はどういう存在か」
私  「投げる相手です」
宗主 「そうではない。相手を助けてあげなさい」

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160205#1454669205
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#二元論 #一元化


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150811#1439289586
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150522#1432291264

#哲学部

» 人生から拘る気持ちを消し去る (連載「パックス・ジャポニカへの道」) | IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所

おかげさまで何かに導かれているように事業は立ち上がり、株式会社も設立・運用することが出来た。しかし、それなりの「稼ぎ」になってもおよそ個人経営の域を脱しない時期が進んだ。正直、当時はもがき、のたうちまわっていた。さりとて、時には私を慕い、寄り集ってきてくれる部下たちに答えを求めても、何も出て来ないのである。しかしこれは考えてみれば当たり前のことだ。フレームワークをゼロベースで創り出すのはリーダーである私しかいない。だからこそ「代表取締役」なのであって、フレームワークを創り出す部下がいたならば、彼・彼女らが自分で起業していたに違いないからだ(事実、弊研究所からスプリットした人物で起業した者も複数いる)。私の煩悶は続いた。


しかし、である。悩みも突き抜け始めると一筋の光を目指し始める。しかも「そう」とは当事者自身、意識せずに、である。


私の場合はこうだった。―――北の大地に静かに暮らす師匠が、突然、私の目の前に現れた。そしてこういう言うのだ。


「拘る心を無くせ。その拘りが、結局のところ、物事を成就させない最大の原因なのだから」


過度に拘る心がもたらす反発力のことを「過剰ポテンシャル」と呼ぶことも習った。水も、少量ならば喉を潤し、田畑を豊作にする。だが、大量にあると水ぶくれとなり、あるいは田畑自身が腐ってしまうのである。「何事も中庸が一番。とりわけ“想い”はそうふっと思ったらば、そのことを自体を今度は忘れてしまうのが良い。“想い”は刻印されるからだ。ただそれだけのことだ」そう、我が師は語ってくれた。


今思えば、あれが決定的な転換点だったのだと思う。例えば拡販のためには、価格政策に入る必要がある。値段をアッと驚くくらいに下げるのである。顧客数が増えない限り、じり貧になるので、これは非常手段であるともいえる。しかしそれ以上に「値段を下げても顧客は増えないのではなかろうか」という想いが強すぎると、絶対にうまくいかないのである。しかも「だから価格を高いままにして、資産が失われないようにしよう」などと想ってしまっては絶対にいけないのである。やるならば、正に「一撃必打」。“ここだ!”と思った瞬間に一気呵成に斬り込む。すると不思議なくらいに大きな塊が我が掌中に落ちて来る。拘る心を消し去ったことによる効用そのものである。


拘り、とは何か。それは結局、我執、すなわち「欲望」の塊である我に対する執着心である。金銭欲、権力欲、性欲、食欲、睡眠欲等など、この世に欲望は無限にある。だが実に不思議なのはこうした欲望を1つ、そしてまた1つ、手放していけばいくほど、かえってこれらが手に入って来るのである。外務省を自らの意思で飛び出し、「娑婆」で徒手空拳でやり始めてから早いもので11年が経つが、そこでの経験をまとめていうならば要するにそういうことだったように思う。我執を捨て、欲望を捨て、真っ直ぐに己を今あらしめているものとの対話を行うこと。人生とは、これ以上でもこれ以下でもないのだ。南洲がかつて遺した言葉「人を相手にするな、天を相手にせよ」が、今あらためて脳裏で響き渡っている。


私が企業様であれ、経営リーダー様であれ、あるいはそれ以外の様々な方々に対して行っていることとは、結局のところ、この一点に絞られているように思う。時間の整理と空間の整理を行い、静謐な心を確保していく。そうすると不思議と欲望が一つ、そしてまた一つ、剥がれ落ちていくのである。しかし今度は逆に「出と入りの論理」によって、むしろかつて望んでいたものが、時には山のように手に入るのである。しかしここで溺れてしまってはならない。疼く欲望を根絶し、更に清浄な気持ちを目指して邁進するのである。私は、出会う皆様全てが是非そうあってほしいと心から想っている。私が生業としていることとは、結局のところ「ただそれだけ」なのだ。格好の良い経営コンサルティングとは全く違うし、フレームワークをカタカナ交じりで連呼する海の向こうの彼らのやり方とも違う。むしろそぎ落としていくのをお手伝いするだけなのだが、これが私の為すべきことであり、進むべき道だと強く信じている。


とある方が過日、ご相談に参られた。どうやら表向き語られている「悩み」はフェイクであり、深い我執がその奥底にはあられるようであった。私は昨晩、そのことを端的に、ある意味暴力的なまでに指摘申し上げた。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160206#1454755024
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160206#1454755029
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160205#1454669207
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160204#1454582600
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160203#1454495969
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160203#1454495971
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160202#1454409511
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160202#1454409512

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160204#1454582600
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160103#1451817483
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160102#1451730974

ミサイルの1つは予告海域外に落下 自衛隊が確認 NHKニュース

ミサイルは5つに分離し、1つは午前9時37分ごろ、朝鮮半島の西、およそ150キロの黄海に落下したと推定しています。また、2つ目と3つ目が、午前9時39分ごろ、朝鮮半島の南西およそ250キロの東シナ海に落下したと推定しています。これらはいずれも北朝鮮が予告していた海域に落下したと推定しています。
さらに4つ目が午前9時41分ごろ沖縄県上空を通過し、午前9時45分ごろ、日本の南およそ2000キロの太平洋に落下したと推定しています。これは北朝鮮が予告していた海域の外に落下したと推定しています。
さらにもう1つが、午前9時39分ごろ沖縄県上空を通過し、南の方向に飛行を続けたとしています。
いずれについても、自衛隊は、国内に落下する可能性は低いとして、迎撃ミサイルで撃ち落とす「破壊措置を行わなかった」としています。

海自元海将「衛星の軌道投入に成功の可能性」 NHKニュース

北朝鮮による今回の発射について、海上自衛隊の元海将弾道ミサイルに詳しい金田秀昭さんは「観測衛星を軌道に乗せることには成功した可能性がある。一方、長距離弾道ミサイルの実用化にはさらに高度な技術が必要で、今の段階で実用化に直結するとまでは言えないが、アメリカ本土が射程に入る弾道ミサイルの開発という目標に徐々に近づいているという見方もできる」と指摘しています。


また、北朝鮮の国営テレビが放送した発射時の写真について金田さんは、「4年前の12月に発射された事実上の弾道ミサイルよりも太さや高さが増しているようにも見える。1段目やミサイルのカバーのフェアリングとみられるものが前回より早く落下していることもあわせて考えれば、前回より推進力が増しているとみられ、北朝鮮は前回よりも長距離のミサイルを発射することができる技術を実証したということも考えられる」と指摘しています。

米国防総省「ミサイルは宇宙空間に」 NHKニュース

アメリカ軍は北朝鮮による事実上の長距離弾道ミサイルの発射について公式の発表を出しました。それによりますと、アメリカ戦略軍司令部のシステムが探知した発射時間は、アメリカ中部時間の午後6時29分(日本時間の午前9時29分)だとしています。
また、国防総省の当局者はミサイルはその後、黄海の上空を南へと飛行し、大気圏の外に出て宇宙空間に達したとみられるとしています。そして、アメリカ本土への脅威はないとするとともに、同盟国である日本と韓国の安全保障に関与していくとしています。

ロシア外務省が声明 北朝鮮を強く非難 NHKニュース

北朝鮮が事実上の長距離弾道ミサイルを発射したことを受けて、ロシア外務省は声明を出し、「北朝鮮は国際社会からの呼びかけを無視し、紛れもなく国際法の規範を軽視した。こうした行動は明らかに、朝鮮半島や北東アジア全体の情勢に深刻な緊張をもたらすことになる」と述べ、強く非難しました。そのうえで「北朝鮮の指導部は国際社会と敵対することが自国の利益にかなっているのか考えるべきだ」としています。


そして最後に 財務省から イルミナティーのピラミッドです!
頂上に目玉がありますね!

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160206#1454755038
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160202#1454409503

#ゆるキャラ

NHKアニメワールド サンダーバード ARE GO

#米大統領

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160203#1454495980

米共和党討論会 ルビオ候補けん制する発言相次ぐ NHKニュース

アメリカ大統領選挙に向けた候補者選びは、初戦のアイオワ州の党員集会が今月1日に行われ、野党・共和党では1位がクルーズ上院議員、2位が不動産王のトランプ氏、3位がルビオ上院議員、という結果になりました。
第2戦となるニューハンプシャー州予備選挙を前に6日、アメリカABCテレビが主催した共和党のテレビ討論会が行われ、初戦でトランプ氏に迫る躍進を見せたルビオ上院議員をけん制する発言が相次ぎました。
ルビオ氏はオバマ大統領が当選したときと同じ上院議員1期目で、ブッシュ元フロリダ州知事が「ルビオ氏を選べば、オバマ大統領と同じ過ちを犯すことになる」と述べたほか、ニュージャージー州のクリスティー知事が「大統領として決断を行うのに必要な経験が、ルビオ氏には足りない」と述べました。
今月9日に行われるニューハンプシャー州予備選挙では、トランプ氏に対抗する保守本流の候補として誰が抜け出すかが焦点となっていて、各候補には予備選挙を前にルビオ氏の勢いを止めたいという思惑があったとみられます。

#米大統領選 #トランプ

サウジアラビア王家の内紛|田中宇

 最近、サウジアラビア王家の内紛がひどくなっている。内紛の中心は、モハメド・ナイーフ皇太子と、モハメド・サルマン副皇太子という、王家の若手世代の筆頭である2人の「モハメド」の権力闘争で、どちらが次の国王になるかをめぐる戦いでもある。現在の継承権は、副皇太子の方が低位だが、副皇太子はサルマン・アブドルアジズ現国王の息子だ。国王は、暗殺など何らかの方法でナイーフ皇太子を外し、自分の息子を皇太子に格上げして、王位を継承させようとしていると指摘されている。米当局筋によると、皇太子の交代は、今夏に行われそうだという。 (`Saudi king `plots to bypass nephew' in handover of crown


 ロシア発の情報によると、ナイーフ皇太子は、国防相でもあるサルマン副皇太子が、軍を動かして自分を暗殺するのでないかと恐れている。諜報機関を握るナイーフは、サルマンら王族たちの電話をさかんに盗聴しているという。内務相でもあるナイーフは、国内の諸部族の族長と連絡をとり、部族を動かして治安を悪化させ、それを副皇太子や国王のせいにすることで、自分が外されることを防ごうとしている。現国王が就任したとたんに起きたイエメンとの戦争や、今年初めのシーア派のニムル師の処刑は、ナイーフの策に沿っている感じだ。 (Russian Publication: Mohammed Bin Salman to Use Miltary Force to Topple Would-Be King Bin Nayef

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160119#1453199836

皇太子ご夫妻、修養団の創立110周年大会に出席:朝日新聞デジタル

「時代の変遷とともに社会教育活動をめぐる環境も大きく変化してきたと思いますが、困難を乗り越え、活発に活動されていることに深く敬意を表します」

修養団 - Wikipedia

日本の社会教育活動の基礎を築いたとされる蓮沼門三(はすぬまもんぞう、明治15年 - 昭和55年、1882年 - 1980年)が明治39年1906年)に東京府師範学校(現・東京学芸大学)で創立した。学校寄宿舎が汚れていたことに胸を痛めた蓮沼が一人で掃除を始め、その行動に胸を打たれた同志が集まったのが興りであるという。

松下幸之助修養団の精神に感銘し、顧問を務めた(昭和51年(1976年)〜平成元年(1989年))。また、安岡正篤も同様に蓮沼門三の考えに共感し、顧問を務めている(昭和45年(1970年)〜昭和59年(1984年))。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160127#1453891377
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160127#1453891378
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160102#1451730974
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151210#1449743844
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141014#1413283288
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080307#1204849629(高い境地に進んでいる人はみな表面上の良し悪しには惑わされないようですね。)

#二元論 #一元化

歴史小説浪漫−松陰語録 いま吉田松陰から学ぶこと

 『修身(身を修め)・治国(国を治め)・平天下(天下を平らかにする)』
というのは、『大学』の冒頭に出てくる実践の順序である。これは決して乱してはならない。

「僕は忠義をなすつもり、君たち(諸友)は功業をなすつもりなのだ」

「どんなに激しい荒波に襲われようと、それを乗り越えるのが真の忠義なのだ」

 野山獄内にいて、
 「二度と日の光を拝めないかもしれないわれわれが、孟子など勉強して何の役に立つのだ」
という疑問を持った連中には、
 「絶望時の読書こそ真の読書だ」
と松陰は繰り返し教えている。

 松陰は、
 「萩に天下の有能な人材を集めて、日本における仁政実現の模範となろう」
と告げた。そのために、中国古代で考えられた、
 「仁政実現のための五つの条件」
を掲げた。簡単にいえば、天下の有能な士・農民・技術者王)・商人などが、先を争って、
 「萩へ行きたい、行こう」
 という気持ちを起こさせることである。

「自分は師ではない。君たちと共に学ぶ学友だ」

「草奔崛起」

伊賀越え - Wikipedia

天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変に際し、徳川家康明智光秀の軍や混乱に乗じた落ち武者狩りなどとの遭遇を回避するために、堺(大阪府堺市)見物後の滞在先であった河内国四條畷大阪府四條畷市)からわずかの供回りを連れて山城国宇治田原、近江国甲賀小川村に辿り着いた。その後、天正伊賀の乱の地・伊賀国の険しい山道を経て加太峠を越え、伊勢国津(三重県津市)又は伊勢国白子(三重県鈴鹿市)又は伊勢国浜村(三重県四日市市)の何れかから海路で領国の三河国大浜(愛知県碧南市)へ戻り、岡崎城へ帰還した。

御斎峠/伊賀盆地絶景展望台と戦国絵巻の舞台裏 | バイクと峠
御斎峠 | 忍者関連施設・史跡 | 伊賀流忍者博物館
新近江名所圖会 第121回 神君伊賀越えのルート −御斎峠・桜峠− ―自転車で峠越えvol.2― | 公益財団法人滋賀県文化財保護協会

宇治田原からは裏白峠を経て甲賀へ入り、多羅尾光俊の居城である小川城で休息を取って御斉峠(『東照宮御實紀』では「音聞峠」)を越えて伊賀へ抜けたとされています(ちなみに、宇治田原城(山口城)城主の山口家には多羅尾光俊の子が養子に入り家督を継いでいます)。


 御斉峠の付近には「徳川家康伊賀越の道」の標柱が建てられ、峠の案内板にも多羅尾光俊父子の案内で伊賀に抜けたと記されているように、伊賀越えのルートとして広く知られています。しかし、小川城から伊賀へのルートとしては桜峠(丸柱越・信楽越)のほうが近いとして、こちらを通ったとする説もあります。ただ、桜峠には伊賀越えに関する案内板はありませんでした。

穴山信君 - Wikipedia

バニラビーンズ - Wikipedia

レナ

滋賀県信楽町(現・甲賀市)出身。

AKB48にも応募し、書類審査で落ちている。