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#42 横須賀 〜なぜ横須賀は要港(ヨーコー)っスカ? 〜 | タモリのブラブラ足跡マップ | ブラタモリ - NHK


横須賀市 - Wikipedia

横須賀線 - Wikipedia

もともと横須賀線日本海軍の軍港都市として知られた横須賀への連絡を目的として建設された路線

浦賀 - Wikipedia

江川食堂 - 浦賀/レストラン(その他) [食べログ]

横須賀海軍施設 - Wikipedia

横須賀造船所 - Wikipedia

第二次世界大戦後は在日米軍の基地となっている。幕末に造られたドックが残っており、造船は行っていないものの艦船の修理に使用されている。造船で幕末から2000年(平成12年)まで活躍したスチームハンマーが横須賀市内のヴェルニー公園内にあるヴェルニー記念館に展示されている。

産業技術遺産探訪〜旧・横須賀製鉄所・スチームハンマー(ヴェルニー記念館)

横須賀の誇り!横須賀製鉄所(造船所)|横須賀市

小栗上野介に学ぶ(倉渕村より小栗便り)

日本海海戦でロシアのバルチック船体をうち破った東郷平八郎は、日露戦争終結後、東京の自宅に上野介の遺族を招いている。招かれていってみると、東郷は遺族を上座に据え「あの日本海海戦において、旗艦三笠や主な戦艦、巡洋艦はイギリスなどの外国製であったが、海戦の夜に最後のとどめを刺した駆遂鑑・水雷艇のほとんどはあなたのお父上が造ってくれた須賀造船乗船所で造られたものである。」と礼を言い、「仁義禮智信」と書いた扁額を、縦横二幅贈って功績を称えている。

小栗忠順 - Wikipedia

伊豆石と石丁場跡|伊豆市役所

ロナルド・レーガン (空母) - Wikipedia

カタパルト - Wikipedia

高橋みなみ 公式ブログ - AKB総選挙

#珍獣

#ヲタ #非モテ #おさせ #させこちゃん

『論語 子張篇』の書き下し文と現代語訳:1

子夏曰わく、君子に三変(さんぺん)あり。これを望めば儼然(げんぜん)たり、これに即(つ)けば温やか(おだやか)なり、その言を聴けば窅し(はげし)。

『論語 述而篇』の書き下し文と現代語訳:4

子は温やか(おだやか)にして窅しく(はげしく)、威あって猛からず、恭しくして安らかなり。

『論語 子罕篇』の書き下し文と現代語訳:2

顔淵、喟然(きぜん)として歎じて(たんじて)曰く、これを仰げば弥(いよいよ)高く、これを鑽れば(きれば)弥堅く、これを瞻る(みる)に前に在れば、忽焉(こつえん)として後(のち)に在り。夫子、循循然(じゅんじゅんぜん)として善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷まん(やまん)と欲すれども能わず(あたわず)。既に吾が才を竭くす(つくす)。立つところありて卓爾(たくじ)たるが如し。これに従わんと欲すと雖も由る(よる)末き(なき)のみ。


東京にいる、お父さん、お姉ちゃん、奈子と一緒に福岡にきてくれたお母さん、妹…

妻の病気、父の借金、成田屋の伝統−−海老蔵が背負う重圧 - ZAKZAK

 海老蔵には背負うものが多い。父・團十郎(享年66)は生前、親族の不動産業の失敗を受け、保証人として19億円の借金を抱え込んだ。1992年に歌舞伎の興行主である松竹が借金を肩代わりしたが、その際、團十郎の家と土地は松竹所有になった。


 「未だに名義は松竹のまま。團十郎さん亡き今、借金を返せるのは海老蔵さんしかいない」(前出・歌舞伎関係者)


 必然、海老蔵の仕事のスケジュールは過密なものになる。2016年の彼の公演を見ると、1月3日の新春花形歌舞伎に始まり、グランドジャパンシアター(2月)、市川海老蔵特別公演(3月)、源氏物語(4月)、團菊祭五月大歌舞伎(5月)、那須芸能フェスティバル(6月)と休みがない。7月以降も年末まで同様に公演が続く。


 加えて團十郎の死後、海老蔵は松竹の興行とは別に、自主公演『ABKAI』を定期的に開催してきた。


 「現在は上演されなくなった江戸時代の演目を復活させ、成田屋をさらに成長させたいのだそうです。“歌舞伎界はおれが背負う”という気概を感じます」(別の歌舞伎関係者)

 公演以外の新たな仕事も入れている。ドラマやCMに出演し、2013年夏からは『ABMORI』という植林プロジェクトも立ち上げた。8月にはディナーショーも行う。


 「麻央さんの治療費も捻出しなければいけません。彼女が入院していたのは、セキュリティーやプライバシー保護の観点から1泊10万円超のVIP部屋。乳がんの場合、最新の治療を受け続ければ年間3000万円は下らないといわれており、入院費用も合わせれば莫大です」(前出・歌舞伎関係者)


 金だけではない。海老蔵の屋号『成田屋』は歌舞伎界の宗家と呼ばれ、350年の歴史を背負う名門中の名門。看板に恥じぬよう日々芸の鍛錬が求められ、興行の失敗は許されない。


 妻の病、金銭事情、家の重圧−−。八方塞がりの海老蔵が、奈落のごとき深い絶望を感じることもあるだろう。それでも彼は日々の微笑みをブログでアップし続けている。


 6月1日、海老蔵は千葉県の成田山新勝寺で出家の儀式である得度を授かったことを明かした。先の会見でその理由を問われ、彼は答えた。


 「どれだけ瞬間瞬間を大事に生きることに費やせるか。闘病はこれからも続くし、人も波がある」

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160609#1465468910

#チアシード


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160618#1466247228

#哲学部

#哲学部

#AI


ヴェンチャー・キャピタルにとって肝なのは、あらかじめ算定(推定)した当該事業案件の2〜5年後の「企業価値」どおりにそれを持って行き、出来れば可能な限り素早くこれを実現することでマーケットへと手持ちの株式を極力高値で売り払うことに他ならない。つまり「一定の収益を上げるのであれば、どれだけ短い間でそれを実現出来るか」という意味での期間効率こそそこでは命ということになるわけであり、とにかく「早く、早く!」ということになるのである。

そのためヴェンチャー・キャピタリストたちのターゲットには必ず半導体、あるいはITが含まれていなければならないことになる。

ヴェンチャー・キャピタリストは一般に、ヴェンチャー企業を4つのフェーズに分けている。最初のフェーズはそれこそ「事業アイデア」のみのフェーズだ。この段階では製品・サーヴィスすらまともに形になっていないことが多い。次にようやく製品・サーヴィスが出来上がった段階が到来する。しかしまだマーケットへのアプローチが甘い。売れるかどうか分からないのである。そして第3のフェーズがようやくこれら製品・サーヴィスが売れ始めた段階である。ここに至ってようやく、当該企業が類似企業との比較においてどれだけの成長率を見込めるのかが明らかになるため、ヴェンチャー・キャピタルお得意の「将来の企業価値算定」が可能となり、投資が行われることになる。しかしヴェンチャー企業の側はとにかくヒト・カネ・生産設備が足りない。とりわけカネが足りなくなるのは常であり、「ピッチ」と呼ばれる次の資金調達が行われることになる。そして徐々に芽が出て来ると、投資を行うヴェンチャー・キャピタルの規模も大きくなり、かつこれらが合同に投資をし始めるのである。いわゆる「クラブ・ディール」である。そしていよいよ「新規株式公開(IPO)」あるいは「大企業による事業買収(M&A)」が見えてくると、大手金融機関系のヴェンチャー・キャピタルが登場するのである。そしてここに至ってたとえば具体的な上場準備へと作業が移り、ヴェンチャー・キャピタリストはめでたく手持ちの株式を売り抜け、「EXIT」ということになってくる。

しかし、先ほどの「自動車のための熱交換装置を開発しているヴェンチャー企業」についてはどうであろうか。聞くところによると、創業者はかなり癖のある人物であり、ステークホルダーを増やすだけの新規株式公開(IPO)や、あるいは虎の子の技術をみすみす売ることになるM&Aには大反対なのだという。そうなるとヴェンチャー・キャピタリストにとっての「ゴール」が描けない。したがって、彼らが持っているリスク・マネーは永遠にこのヴェンチャー企業の手元には廻ってこないことになる。

そこでヴェンチャー企業経営者たちはあの手この手を使って金策を練ることになる。その際最も使われるのが件の「バラ色のストーリー」を喧伝しては、地場の小金持ちに対して「儲け話」として自らを演出し、資金をひねり出すというやり方なのである。だが、事業案件が技術開発案件(R&D)」であればあるほど、最後の最後に投資分が回収出来るのは下手をすると十年後、二十年後かもしれないのである。そのため、最初はヴェンチャー企業経営者兼最高技術責任者(CTO)が語る熱い情熱にほだされて資金提供をした小金持ちも、次第にしびれを切らし、「いい加減、俺のカネを返せ」「詐欺だ!」と叫び始めることになる。こうした中でヴェンチャー企業経営者兼最高技術責任者(CTO)はリーガルな案件までをも抱え込むようになり、もはや経営どころではなくなってしまうのである。現に私はこの目でこうした悲劇に巻き込まれているヴェンチャー企業経営者たちを我が国で何人も見てきた。それがこの熱交換を巡る最先端技術を巡って、我が国の自動車セクターにおいて多大な雇用を創出することが目に見えていても、事態は全く変わらない。ただひたすら”放置”されているのだ。


「何かがおかしい」のである。マネーは今、量的緩和によって金融機関で、さらには円安誘導で設けた輸出産業を中心に事業会社で、それぞれだぶついているはずなのである。しかし本当に意味あるイノヴェーションを行い、我が国全体にとって、すなわち私たち日本勢の将来的な「食い扶持」になるかもしれない技術の開発を日々粛々と行っている御仁たちには永遠にそのだぶつくマネーが廻って来ることはないのである。それがたとえ将来性に富んでいたとしても、「半導体」「IT」が絡まない以上、従来型のVC(ヴェンチャー・キャピタル)は歯牙にもかけない。他方で金融機関はそもそも相手にせず、最後は地場の篤志家たちによっても「詐欺師」扱いされてしまう。「そんな時だからこそ政治だろう」というかもしれないが、所詮、自分自身で起業経験、あるいは企業経営経験のない政治家たち、あるいは行政官たちにこの苦しみが分かるはずがないのである。結果として金融機関紐付きのシンクタンクが書いたレポートどおりに、「中小企業の資金需要は乏しい」と語り、それで話を終えてしまうのである。政治献金を大量にしてくれるのは大企業であり、中小企業ではないという頭がそこにはある(無論、中小企業はある意味、良いカネ蔓であるが、しかし面倒といえば面倒なことも事実なのだ。「秘書」にでも任せておけばよい)。

いかがであろうか。以上が私たちIISIAが日々、「行軍」するかの様に我が国の各地域を周り、「地域グローバル経営者・起業塾」という柱を立てて廻っていることの本旨なのである。明日は必ず読者の住まわれている地域へと私たちIISIAのキャラバンは訪れる。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160618#1466247228
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160428#1461839896
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庶民の顔を立てる「天才」だった田中角栄 岩田温(政治学者) - ZAKZAK

 田中角栄といえば、金権政治の象徴のような人物で、私はほとんど興味を持てなかった。積極的に田中角栄から学ぼうという気持ちになれなかったからだ。そんな私が田中角栄に興味を持ったのは、ある先輩との出会いからだ。


 大学生だったか大学院生の頃だったか、判然としないのだが、今から10年ほど前に、静岡県のある勉強会に講師として招かれた。その講演会で司会を務めていたのが早稲田大学のOBの中小企業の社長だった。講演会では「岩田先生」と持ち上げてくれたが、二次会では「岩田君」と呼ばれ、色々とお話を伺った。


 「中小企業がこの国を支えてるんだ。大企業なんて入れるのは本当にごく少数。中小企業が元気にならなければ、日本は元気にならない」


 中小企業の社長の悲哀について語ることが多かったが、その夜、私に厳しい指摘をしてくれたことが心に残ってる。


 「岩田君の話は、ほとんど賛成だけど、難しすぎる。憲法大東亜戦争保守主義も、普通の人には難しいんだ。『普通の人』っていったときに、岩田君は自分の友達を想定するだろう。それがインテリの悪い癖なんだ。中小企業で働いてるおじさん、パートに出てるおばさんが、普通の人なんだ。大学なんかいってないし、本なんて読まない。新聞も社説を読むのは難しい。それが普通の人なんだ。こういう人たちがほとんどなんだ」


 確かに指摘された通りなのだが、それでは学問は成り立たないではないか、と反論すると、先輩は問いかけてきた。


 「田中角栄、どう思う?」


 私は、正直に、そんなに興味がないと答えると先輩はつづけた。


 「そうだろう。だから、まだ未熟なんだ。多くの国民が角さん、角さんと慕う理由を考えたことあるか。まずは、田中角栄について勉強しろ」


 先輩の話も一理あると納得する部分もあったし、そこまでいうなら、次回は田中角栄論でも戦わせてやろうと考えて、その日以来、田中角栄に関する本を本格的に読み始めた。多くの角栄論があったが、一番興味深かったのは、やはり早坂茂三角栄論だった。もちろん、側近であった早坂が書くのだから、美化している部分も多いだろうし、負の側面については触れていないものも多いだろう。


 だが、私は田中角栄を断罪しようと本を読み始めたのではなく、何故、多くの国民が田中角栄が好きだったのかを考察しようとしていたので、俗にいう「金権政治」の部分に関してはそれほど神経質にならずに読み進めた。多くの国民が、田中角栄のことを愛したのは、庶民の心、弱者の心を読み解く天才だったからに他ならない。思想やイデオロギーではなく、庶民の「生活」を重視し、一人一人の顔を立てる天才だった。


 早坂の著作から、幾つかの象徴的な逸話を引用しておこう。まずは、選挙の際に、全国の候補者に現金を配るときの心構えについての指導だ。


「この金は、心して渡せ。ほら、くれてやる。ポン。なんていう気持ちが、お前に露かけらほどもあれば、相手もすぐわかる。それでは百万円の金を渡しても、一銭の値打ちもない。届けるお前が土下座しろ」(『駕籠に乗る人担ぐ人』詳伝社、70頁)


 「届けるお前が土下座しろ」


 常識では考えられない指導だが、確かに、政治家はプライドが高い。そうしたプライドの高い政治家に高飛車な態度で金を配れば、面従腹背というような事態になることも予想されよう。


 一見突拍子もないような指導だが、田中角栄の指導は恐ろしいまでに具体的だ。角栄に対する報告の仕方についても早坂に指導している。


角栄は私に対してオレに言うことがあれば、初めに結論を言えと命じた。そして、理由は三つに限定しろ。それは口で言うな。口で言っても、ほかに仕事が多いから忘れる。メモしろ。便箋用紙一枚に大きめの字で書け。」(『捨てる神に拾う神』詳伝社 57頁)


 また、初めて新潟三区の選挙応援に入る際には、次のような指導をしたという。


「ウソをつくな。すぐばれる。気が利いたことを言おうとするな。後が続かない。若い君が本当に思っていることを話せ。自分の言葉で喋りなさい。借りものは駄目だ。大声を出し、汗まみれでやれ。お百姓衆を侮って手抜きをするな。火の玉になることだ。それで他人様が燃えてくれる。小理屈で人間は動かない」(『鈍牛にも角がある』光文社、145頁) 


 「小理屈で人間は動かない」。人間を動かすのは理性ではなく、情熱であり、飾らない姿勢だということだろう。


 つくづく思うのは、田中角栄という人物は「世知」に長けた人物であったということだ。全てが計算されているが、その計算は、「普通の人」を大切にしようとする温かさから生まれた計算で、決して冷たい計算ではない。愛情と知性というものが、必ずしも相反する存在ではないということを証明したのが田中角栄の人心掌握術というものだろう。


 日本人、若い人々に対する愛情を感じさせる逸話も紹介しておこう。


 ある日、フランスの高級紙『ル・モンド』の極東総局長ロベール・ギランが、角栄と会っている際、自民党の党本部前を「アンポ、反対」の叫び声をあげながら、デモ行進する若者たちがいた。ロベール・ギランが、角栄に、その若者たちの評価を問うた際、角栄は次のように答えたという。


「彼らは日本の大事な息子たちです。いま、ハシカにかかっているが、間もなく直る。学窓を出て、社会人になり、世帯を持って、子どもができ、父親になれば、世の中が理想や理屈どおりにいかない、それがわかってくる。大学でろくに勉強もせず、マージャンだこを作り、女の子の尻を追いかけ、外車の名前ばかり覚えてくる者に比べて、連中のほうが、はるかにみこみがあります。バカとハサミは使いようである。使うほうさえ、しっかりしていれば、将来、あの学生たちは世の中の役に立つ」(『駕籠に乗る人 担ぐ人』138−139頁)


 愛情をもって一人ひとりに気を配りながら、「普通の人」の「生活」を第一にという政策を掲げたのが田中角栄だった。彼は決して日本の将来に悲観せず、若者に期待し続けた。


 イデオロギーに拘泥されず、融通無碍。魅力的な人物であったのは間違いないだろう。私も先輩の強い指導で田中角栄について学び、大きく成長できたと感謝している。田中角栄を学んだことで、政治とは何か、という問題について、より考察を深めることができた。思想やイデオロギーではなく、「生活」を重視する姿勢を学んだことは大きかった。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160617#1466160536
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160616#1466073506

#お子ちゃま右翼

笑い止まらぬ舛添氏 都知事辞職でも“条件成立”で勝ち逃げ | 日刊ゲンダイDIGITAL

「舛添知事と都議会自民は13日の議会総務委の開催前から、密かに辞職について話し合っていた。そこで、舛添知事は辞職を受け入れるための“ある条件”を示していたとささやかれています」(都政担当記者)


 “ある条件”とは①告発状が出ている政治資金規正法違反容疑の捜査を検察にさせない②百条委員会は開かない③20日の集中審議を開かない④辞職してほとぼりが冷めたころ、政界復帰を含めた何らかのポストを用意する――だったという。

「“条件”をのまない自民に業を煮やした舛添知事は『解散』とケツをまくった。そこで都庁を後にしたワケですが、これに慌てた自民が折れた。『すべての条件をのむ』と公用車に電話を入れ、舛添知事は都庁に引き返して辞職が決まったらしい。しかし、自民はそんな話を表にできるわけがなく、それで、有権者ウケを狙って『ついに不信任決議案提出』のアナウンスを流したようです」(前出の都政担当記者)


ロシアのショイグ国防相は18日、シリアの首都ダマスカスを訪問してアサド大統領と会談しました。
ロシア国防省によりますと、ショイグ国防相とアサド大統領は軍事技術の協力や、テロとの戦いについて協議したということで、会談では過激派組織ISやIS以外の反政府勢力に対する軍事作戦について、意見を交わしたものとみられます。
シリアでは、政府軍が今月、ロシア軍の空爆の支援を受けて過激派組織ISが拠点としている北部のラッカ県に進攻し、ISに対しては攻勢を強める一方、北部の主要都市アレッポでは反政府勢力が支配地域を維持し、戦況は一進一退が続いています。
また、ショイグ国防相はロシアの空軍が拠点を置くシリア北西部の基地を訪れ、ロシアが配備した最新鋭の地対空ミサイルシステム「S400」や駐留する軍の兵士らを視察し、アサド政権への支援を通じてシリアの内戦に引き続き関与していく姿勢をアピールしました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160618#1466247240
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Putin: ‘We know when US will get new missile threatening Russia’s nuclear capability’ — RT News

The US anti-missile defense systems being installed near Russia’s borders can be “inconspicuously” transformed into offensive weapons, Vladimir Putin has said, adding that he knows “year by year” how Washington will develop its missile program.
Talking about NATO’s ballistic missile defense systems in Eastern Europe, Russia’s president said that the Americans are now deploying their missiles at these military complexes.


“The missiles are put into a capsule used for launches of sea-based Tomahawk missiles. Now they are placing their antimissiles there, which are capable of engaging a target at a distance of up to 500 kilometers [310 miles]. But technologies are developing, and we know around what year the Americans will get a new missile, which will have a range not of 500 kilometers, but 1,000, and then even more – and from that moment they will start threatening our nuclear capability,” Putin said at a meeting with the heads of international news agencies at the St. Petersburg International Economic Forum (SPIEF) on Friday.


“We know year by year what will happen, and they know that we know,” he said, adding that Western officials “pull the wool over [their news outlets] eyes,” who in turn misinform their audiences.


The main problem, according to the Russian president, is that people do not understand how potentially dangerous the situation really is. “The world is being pulled into a completely new dimension, while [Washington] pretends that nothing’s happening,” Putin said, adding that he has been trying to reach out to his counterparts, but in vain.


They say [the missile systems] are part of their defense capability, and are not offensive, that these systems are aimed at protecting them from aggression. It’s not true,” Putin told the journalists, adding that “strategic ballistic missile defense is part of an offensive strategic capability, [and] functions in conjunction with an aggressive missile strike system.”


The “great danger” is that the same launchers that are used for defense missiles can be used to fire Tomahawks that can be installed “in a matter of hours,” Putin noted. “How do we know what’s inside those launchers? All one needs to do is reprogram [the system], which is an absolutely inconspicuous task,” he said, adding that the governments of the nations on whose territories these NATO complexes are based would have no way of knowing if this had happened.


Washington engaged in deception from the very start when it claimed that it was moving its ballistic missile defense east to counter “Iran’s nuclear threat,” Putin said, pointing out that Tehran’s alleged offensive nuclear capability now doesn’t exist – largely thanks to President Obama’s involvement. “So why have they now built a missile defense system in Romania?” he asked.


While pointing out that NATO keeps rejecting “concrete” proposals from Russia on cooperation, Putin said that US policy is now jeopardizing “the so-called strategic balance... thanks to which the world has been safe from large-scale wars and military conflicts.”


By unilaterally withdrawing from the 1972 Anti-Ballistic Missile Treaty, Washington “struck the first colossal blow at international stability,” the president said. To maintain the balance, Moscow has had to develop its own missile program in turn, to which the US agreed in the beginning of the 2000s, when Russia was in a difficult financial situation.


“I guess they hoped that the armament from the Soviet times would initially become degraded,” he said.


“Today Russia has reached significant achievements in this field. We have modernized our missile systems and successfully developed new generations. Not to mention missile defense systems,” Putin told the international news agencies, stressing that these moves are counter-measures and not “aggression,” as Moscow is so often accused of.


“We must provide security not only for ourselves. It’s important to provide strategic balance in the world, which guarantees peace on the planet... It’s the mutual threat that has provided [mankind] with global security for decades,” Putin concluded.

東京証券取引所によりますと、東証1部に上場している1958社のうち、今月までに独立性の高い社外取締役を選任した企業は1883社と、去年と比べて242社増加し、全体の96%に上りました。
これは東京証券取引所が去年、企業に求める行動指針、いわゆる「コーポレートガバナンス・コード」を導入し、東証1部の上場企業に対して社外取締役を選任するか、選任しない場合にはその理由を開示するよう求めたことが影響したものとみられます。
ただ、東証では社外取締役の導入は進んでいるものの、取締役会の議論が形骸化しているケースも少なくないとみていて、各企業に対し取締役会で議論するテーマを重要性の高い案件に絞るなどの工夫をして、取締役会の活性化を図るよう呼びかけています。

八王子城 - Wikipedia
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北条氏政 - Wikipedia

氏康の後を継いで北条氏の勢力拡大に務め最大版図を築くが、豊臣秀吉が台頭すると小田原征伐を招き、数ヶ月の籠城の末に降伏して切腹し、戦国大名北条氏による関東支配を終結させる最期となった。

22万を数える豊臣軍の前には衆寡敵せず、(1)武蔵・相模・伊豆のみを領地とする、(2)氏直に上洛をさせるという条件で、北条氏は降伏した。
俗にこの際、一月以上に渡り、北条家家臣団の抗戦派と降伏派によって繰り広げられた議論が小田原評定の語源になったと言われているが、本来は北条家臣団が定期的(概ねの期間において毎月)に行っていた評定を呼ぶものである。


しかし秀吉は、和睦の条件を破り、氏政らに切腹を命じ、氏直らを高野山に追放すると決めた。7月5日、氏直が自分の命と引き換えに全ての将兵の助命を乞い、降伏した。氏直の舅である家康も氏政の助命を乞うが、北条氏の討伐を招いた責任者として秀吉は氏政・氏照及び宿老の松田憲秀・大道寺政繁に切腹を命じた。井伊直政の情報では一時は助命されるという見通しもあったが、7月11日に氏政と氏照が切腹した。享年53。

辞世の句は、


「雨雲の おほえる月も 胸の霧も はらいにけりな 秋の夕風」
「我身今 消ゆとやいかに おもふへき 空よりきたり 空に帰れば」。

ここに戦国大名としての小田原北条氏は滅んだ。


ただし、家康の親族(婿)であった氏直は助命され、生活費としての扶持が与えられていた。更に翌天正19年(1591年)8月には秀吉により1万石が与えられ、大名としての名跡復活の動きもあったとされるが、同年11月に死亡したため、後北条氏の系統は氏規が継承し、氏直の領地1万石の一部も継承、江戸時代に氏規の子北条氏盛が狭山藩主となり、明治維新まで存続した。その他、家康が支配する世の中になった後、旧北条氏の縁故となる家がいくつか取り立てられている。

氏政の有名な逸話として2度汁かけの逸話がある。食事の際に氏政が汁を一度、飯にかけたが、汁が少なかったのでもう一度汁をかけ足した。これを見た父の氏康が「毎日食事をしておきながら、飯にかける汁の量も量れんとは。北条家もわしの代で終わりか」と嘆息したという逸話である(汁かけ飯の量も量れぬ者に、領国や家臣を推し量ることなど出来る訳がない、の意)。氏政が結果的に北条家の滅亡を回避できなかったことが、この逸話を有名なものにし、氏政の評価を一般的に低いものにしている。この逸話は後世の創作で、同様の内容は毛利氏の元就と輝元の間の話としても伝えられている。

北条氏直 - Wikipedia

天正18年(1590年)から秀吉による小田原征伐が始まった。氏直はこれに対して領国内に動員令をかけるとともに、小田原城をはじめとする各支城を修築し、さらに野戦の場合を想定して、3月に箱根の屏風山等の陣場巡検した。しかし山中城落城により結局小田原城で籠城することになる。籠城は4月から3カ月に及んだが、秀吉の大軍による小田原城の完全包囲、水軍による封鎖、支城の陥落などに加え、重臣・松田憲秀の庶子・笠原政晴が秀吉に内応しようとした(氏直が事前に政晴を成敗した)ことなどから、7月1日には和議を結ぶことを決意し、5日に秀吉方の武将・滝川雄利の陣所へ赴いて、氏直自身が切腹することにより将兵の助命を請い、秀吉に降伏した。


しかしながら秀吉は氏直の申出について感じ入り神妙とし、家康の婿であったこともあり助命された。他方、氏政・氏照及び宿老の大道寺政繁・松田憲秀は切腹を命じられ、11日に氏政・氏照が切腹。12日に氏直は紀伊国高野山へ登ることに決まり、21日に太田氏房・千葉直重・北条直定・北条氏規・北条氏忠・北条氏光等の一門及び松田直秀・山角直繁・遠山直吉・山上久忠・内藤直行(内藤綱秀息)等の家臣を伴って小田原を出立し、8月12日に高野山に到着した。その後、高室院にて謹慎生活を送った。以後「見性斎」と称す。


天正19年(1591年)1月から氏直は赦免活動を開始し、2月には秀吉から家康に赦免が通知される[2]。5月上旬には大坂で旧織田信雄邸を与えられ、8月19日には秀吉と対面し正式に赦免と河内及び関東において1万石を与えられ豊臣大名として復活した。

宇都宮城 - Wikipedia

伊達政宗 - Wikipedia

この頃、中央では豊臣秀吉織田信長の統一事業を継承していた。伊達家にも秀吉から上洛して恭順の意を示すよう促す書状が幾度か届けられており、政宗はこれを黙殺していた。政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にあったため、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたという。


秀吉の小田原攻囲(小田原征伐)中である天正18年(1590年)5月には、豊臣政権の五奉行筆頭の浅野長政から小田原参陣を催促され、政宗は5月9日に会津を出立すると米沢・小国を経て同盟国上杉景勝の所領である越後国信濃国甲斐国を経由して小田原に至った。秀吉の兵動員数を考慮した政宗は秀吉に服属し、秀吉は会津領を没収したものの、伊達家の本領72万石(おおむね家督相続時の所領)を安堵した。このとき遅参の詰問に来た前田利家らに千利休の茶の指導を受けたいと申し出、秀吉らを感嘆させたという。この行為は秀吉の派手好みの性格を知っての行いと伝えられている。政宗が秀吉に服属してほどなく、北条氏政北条氏直親子は秀吉に降伏し、政宗の居城・黒川城へ入城した秀吉は奥州仕置を行った。ここに秀吉の日本統一が達成された。