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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926826


ドヌーブ氏はリベラシオンに寄稿した書簡で、「ル・モンドに掲載された書簡に襲われたかのように感じたかもしれない、おぞましい行為の被害者全員に連帯のエールを送ります。私の謝罪は、その人たちに、その人たちだけに向けたものです」と書いた。


ドヌーブ氏は、9日付の仏紙ル・モンドに掲載された公開書簡は「性的加害行動について何一つ、良いなどと書いていない。でなければ署名などしなかった」と説明している。

フランスでの議論は特に、世代間の不一致につながっている。性暴力被害を「#MeToo(私も)」と名乗りを上げたり、被害者に連帯するなどの運動について、年長者の世代は1960年代にやっと獲得した性の解放の成果を台無しにするものだと懸念している。それに対して若い世代は、性的暴力への戦いは女性の権利を求める戦いの同一線上にある、最新の局面だと位置付けている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180110#1515581079

#色地獄

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180113#1515839918
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法務省:平成25年司法試験予備試験問題

一般教養科目 [PDF:71KB]

次の文章は,和辻哲郎倫理学』(1937〜49 年)の一節である。これを読んで,後記の各設問に答えなさい。


(省 略)


〔設問1〕
この文章を15行程度で要約しなさい。


〔設問2〕
本文で,著者は,「土地の共同」に基づくコミュニティ(共同体)について論じている。それとともに,著者は,「文化の共同」(共通の言語,芸術,学問,宗教,風習,制度,道徳等)に基づくコミュニティの存在をも想定している。このことを踏まえて,コミュニティの現在について,20行程度で論述しなさい。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926815


 さぁ、ちょっとだけ猫のまねをして、あなた自身の縄張りを作ろう。


 あなた自身が心も体も幸福で心地よくいられる場所と時間、それを猫のように大切に守ろう。
 猫は自分にはそれだけの価値があると、ちゃんと知っている。だから、あなたも毎日、自分に少しでも楽しい時間とご褒美をあげるのを忘れないで。


 物理学者の故湯川秀樹博士が1945年の終戦前後に記した日記が公開された。海軍の原爆研究に関与していたことを示す記述がある一方、戦後、反戦核廃絶運動にとり組むに至る軌跡がうかがえる。


 興味深いのは、45年秋以降、京都学派と言われた著名な哲学者や文学者に頻繁に会っていたことだ。核兵器のもたらす悲惨な現実を目の当たりにして、科学者の果たすべき役割を考えていた時期と思われる。

 原子力に限らず、科学技術は意図していなかった使われ方をする恐れが常にあり、人間を幸福にするとは限らない。


 2012年に新たなゲノム編集技術クリスパー・キャス9を発表した米生化学者のジェニファー・ダウドナ博士は、自著で科学者が研究室を出て社会と対話することの重要性を訴えている。博士らは15年、ゲノム編集研究のあり方をめぐり、生命倫理や法学の専門家、政治家、規制当局、患者団体などをまじえた国際会議を主催した。


 「居心地のよい場所から思い切って飛び出し、ふだんの交友範囲を超えた研究者以外の人たちと科学について話し合うことの大切さを思い知った」(「CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見」文芸春秋

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926818

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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926817
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180112#1515754254

#科哲

#科哲

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926816

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926817

#勉強法


ICANのベアトリス・フィン事務局長は今月12日から来日し長崎や広島を訪問していて、東京では各政党との意見交換を行う予定です。これに合わせてICANは安倍総理大臣との面会も内閣府に申し入れていましたが、14日までに外務省から日程調整が難しいと返答があったということです。


核兵器の廃絶をめぐって日本は唯一の戦争被爆国として核保有国や核の傘のもとにある国々と非保有国との橋渡し役を果たすとする一方、核兵器禁止条約については現実的な核軍縮につながらないとして反対する立場を示しています。


フィン事務局長は「橋渡しをすると主張する日本の首相と核兵器禁止条約について意見交換をしたかった。次の機会に期待したい」と話しています。


また、広島の被爆者で日本被団協の箕牧智之代表理事は「今回は残念ですが、核兵器廃絶に向けた議論が進展するよう政府には今後もICANや私たち被爆者との対話を求めていきたい」とコメントしています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926820

#政界再編#二大政党制


韓国統一省は、来月9日に開幕するピョンチャンオリンピックへの北朝鮮の参加をめぐって、15日行われた南北の局長級の実務協議で、サムジヨン(三池淵)管弦楽団140人余りで構成される芸術団の派遣で合意したと発表しました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926821

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180112#1515754257


アメリカが先月、中東のエルサレムイスラエルの首都と一方的に認めたことに対し、パレスチナの国際的な代表機関であるPLO=パレスチナ解放機構の中央評議会は対抗措置を決めるため14日夜、パレスチナ暫定自治区のラマラで初日の会合を開きました。


会合の冒頭、アッバス議長は、アメリカのトランプ大統領イスラエルとの和平交渉に応じなければパレスチナ支援を凍結すると警告したことに対し、「全くとんでもないやつだ。パレスチナが交渉を拒んだことはないし、そもそも、いつまともな交渉があったのか」と強い調子で反論しました。


また、アッバス議長はアラブ諸国エルサレムのために抗議デモを行ってくれる人がもはや1人もいない」と不満を示したほか、パレスチナガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスが会合を欠席したことにも強い懸念を示し、アラブ諸国パレスチナ内部の足並みの乱れが浮き彫りになりました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180107#1515321804


チュニジアでは7年前、民主化を求める市民の抗議デモによって、20年余り続いた独裁政権が崩壊に追い込まれ、この動きは、「アラブの春」として独裁体制にあった周辺の国々にも広がりました。


チュニジアでは今月から政府がガソリンに対する補助金を減らすなど緊縮策を実施したことに反発する市民の抗議デモが全土に広がっていて独裁政権の崩壊からちょうど7年となる14日も首都チュニスの中心部で市民数百人が、デモ行進を行いました。


チュニジアは、民主化に向けたプロセスが進み、「アラブの春」を経験した国の中で唯一の成功例とされる一方、相次いだテロの影響で主要産業である観光業が低迷し、若者の失業が深刻な問題になっています。


デモが行われた場所の近くでは、与党の支持者らが独裁政権の崩壊を祝うために集まっていて、デモの参加者との間で口論になる一幕もありました。


デモに参加した大学生は「政府は約束した目標を実現するために何もせず、生活は以前より苦しくなっている」と話していました。
デモの参加者は、政府が緊縮策を撤回するまで抗議を続ける構えで、チュニジアは経済の立て直しが重い課題となっています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180113#1515839937
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180108#1515408653

Green radicals are ready to kill for their cause – ex-member of US Senate Environment Committee RT — SophieCo

The violence at environmental protests in North Dakota made international headlines – and is raising questions about the rising determination of the extreme inside the growing green movement in America. Is the danger of environmental terrorism real? We ask former Director of Communications for the US Senate Environment Committee Marc Morano.


 米国ではショッピングセンターの経営者らが施設の入り口や フェイスブック の公式サイト、そして企業の資料などからモールの文字を消し始めている。不動産コンサルティング企業JLL によれば、2014年以降に改装された90の大型モールのうち、17施設は名称からモールが外された。


 オハイオ州パーマにあるパーマタウン・モールは今、ザ・ショップス・アット・パーマだ。同じくペンシルベニア州メディアのグラニット・ラン・モールは、プロムナード・アット・グラニット・ランに変わった。マサチューセッツ州ハノーバーハノーバー・モールも、ハノーバークロッシングに生まれ変わっている。


 これら施設の所有者たちは、敷地内に緑を増やして屋根も撤去し、新たな物件として再構築したため、名称の変更は自然な流れだったと話す。改装されたモールは窓のない四角い店舗のまわりに長方形の駐車場がある過去のものとは違い、ジムやオフィス、レストラン、そしてアパートやホテルが敷地内に建設されている。


 バージニア州のボールストン・スクエアにもモールの定番チェーンである百貨店メイシーズがテナントとして入るが、アパートやイベント会場も建設されることになっている。


 ボールストン・スクエアの所有企業フォレスト・シティーで開発部門のシニア・バイスプレジデントを務めるウィル・ボーゲル氏は、今の施設はショッピングだけでなくさまざまな体験やエンターテインメントを提供すると指摘。モールという言葉ではその性格を十分に表せないと話す。ボールストン・スクエアが目指すのはニューオーリンズのフレンチクオーター地区のようなポジティブな雰囲気だという。

 ティーンエイジャーが放課後にフードコートでたむろするような時代が終わった今、モールのマーケティングをすることは容易ではない。国内ではモール開発は1970年代にピークを迎え、その後は右肩下がりの状況が続く。


 不動産コンサルタント企業トランスウエスタン・コマーシャル・サービシズで小売り部門のマネジング・ディレクターを務めるニック・ヘルナンデス氏は、「『モール』という言葉自体にどこか70年代の響きがある」と話す。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171222#1513939163

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180114#1515926822


  坂井氏は、1984年に日本興業銀行に入行。その後、企業合併・買収(M&A)アドバイザリー業務を率いていた2002年から07年までの間、約100件のM&Aに携わった。2011年にみずほコーポレート銀行執行役員となり、その後FGで証券や信託連携推進などの統括を経て、16年からみずほ証券の社長を務めている。みずほ証券社長には、みずほ銀行常務の飯田浩一氏が就任する。


  マイナス金利政策の影響などで国内銀行の収益環境は厳しく、佐藤社長は昨年11月の会見で、日本の銀行は「経費の構造改革がマストだ」と指摘していた。同社は今後10年間で約1万9000人を実数として削減するほか、店舗数は現在の約500店舗から100店舗減らす計画で、坂井新社長の手腕が試される。


  今回の人事について、松井証券の田村晋一ストラテジストは「証券子会社の社長は5年ほど前なら上がり人事だった」と指摘。「グループ運営が重視される中、銀行だけが主導する時代ではなくなったともいえ、こうした動きは他のメガ銀行にも広がっていく可能性がある」と分析した。いちよしアセットマネジメントの秋野充成執行役員は「証券業を主としないとなかなか収益が上がらない。シフトしていかないと難しい」ことを示唆していると述べた。


 江戸時代の初期に、日光東照宮の造営に関わった腕のいい宮大工たちが、日光街道の宿場町であった「粕壁」に住み着いたのが今の春日部の始まりと言われる。彼らは、作った長持や指物を船に乗せ、現在の大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)を下って江戸に向かい、着物をたくさん持っていた江戸の富裕層に売っていた。


 昭和の初期には、春日部一帯で数百軒もの桐箪笥職人が集まる一大産地となる。大塚家具も、桐箪笥職人だった私の父、大塚千代三が1928年(昭和3年)に開いた工房に創業のルーツがある。自宅と工房は、現在の春日部駅前にあった。


 私は、11歳年上の兄と5歳年下の弟の3人兄弟の真ん中だ。兄は父の技術を受け継ぐべく桐箪笥職人になった。


 父は、職人仲間からは「名人」と言われるほどの腕のいい職人だった。幼かった頃は、工房で父の仕事を眺めているのが本当に好きで、飽きることがなかった。鉋で桐の板が薄く削られる不思議さ、その木目の美しさ、かぐわしい香り、そしてなんと言っても名人と呼ばれるだけのキビキビとした無駄のない動き。家具にまつわる知識は、すべて父を見ていて覚えたものである。


 小学生になると父の仕事への関心は一層に強くなった。良い材料とはなにか、それを見極めるにはどんな眼力が必要なのか、良い材料を安く買うにはどうしたらよいか等々、子どもながら一つひとつ英才教育を受けているようなものだった。


 小学校の高学年になると、すでに工房を訪ねてきたお客さまの相手をしていた。生意気にもお客さまに桐箪笥について蘊蓄を垂れ、商品を説明する。そんな私を父が嬉しそうに見ているので、こちらもまた調子に乗ってやる気を見せた。


 兄が職人になっていたので、自然と「私は店の方の担当だな。兄弟が力を合わせていけば父の工房はもっと繁盛するだろう」と思うようになっていた。そして父もまた、私には職人としての才能はないと見抜いていたようで、お客さまの対応など、営業や経営に目を向かせるようにしていたようだった。


 学校の勉強をしていたのは中学校の1年生ぐらいまでだ。すでに商売が中心の生活で、それがまた楽しかった。店の経理も任されるようになり、中学2年生のときには初めて決算書をつくったのを憶えている。簿記の貸方/借方の分類など分からないが、元帳と実際の製品やお金の流れを突き合わせていくと、自然と貸方/借方の考えが理解できた。


 中学校の同級生からは、「大塚が授業を聞いているのを見たことがない。いつもそろばんをはじいて帳簿の計算をしていた」と言われたほどである。

 工房の経理を任されてやり繰りに格闘していると、子どもながらにいろいろなことが分かり、また疑問に感じるようにもなる。まず感じたのは、「お金の心配をしていないと商売は続かない」という素朴なものだった。それは「お金の心配をしないで商売ができるようにならないとダメだ」という思いにもつながった。


 大塚家具も、創業からリーマンショックまでの約40年間は一度も赤字にしなかった。お金の流れをきっちりと管理して赤字にせず、内部留保を厚くすることに専念した。第2創業となった匠大塚は、規模はまだまだだが、準備した資金の範囲内で想定通りに進捗している。


「お金の心配をしないで商売をしよう」というのは、私が経営していた当時の大塚家具の出店戦略にも直結していて、「コストを抑えた出店方法」を模索し、それが高収益につながるビジネスモデルに結実した。その詳細は次回に述べようと思う。


 もう一つ、経理を見ていてつくづく考えさせられたのは、「良い品を安く売るのはなんと難しいことか」ということだった。

 純朴な誠実さとでも言うべきか、良いから高いのではなく、良いものだからこそ安く届けるべきだと考えてしまう。


 これも結局は、後の商売の大きな鉄則になっていく。現在の匠大塚でも、真っ先に掲げているスローガンが「確かな価値との出会い」だ。品質の良い製品を、お客さまが納得できる価格で提供するには、どんな仕組みをつくるべきなのか。ずっと考え続けてきたことだった。


 当時は答えが分からなかったものの、父の作業をじっと見て「箪笥の部位によっては、その部材は使わなくても品質に問題はないのではないか」とか、製材工場に出かけて行って「半端な材料でも使いようがあるし、場所によってはこちらの部材を使った方が安くかつ品質もよくなる」などと、一人で仮説を立てては父や兄に話していた。

 そして、きちんと説明して納得してもらえれば買ってくださった。名人の父がつくる桐箪笥がどれほど良いもので、「だからこそ、この価格なのです」と胸を張れば、お客さまも納得して買い、喜んでくれた。「価値を伝えるためには十分な説明がいる」と、このときに学んだ。

 それが伝わらない時は、製品のどこをよくしたら良いのか、また自分の説明のどこを改めればお客さまに納得していただけるのか。それを考え続ける。


 また、私たちは家具を売ることによって給料を得ているが、それは「説明を含めて、その家具の価値をご納得いただけたから」ということだ。心底、そう考えられるようにならないと、「売りたい、儲けが欲しい」という思いが表に出てしまい、決して実績にはつながらない。


 余談になるが大塚家具時代には、お客さまや、お客さまのご家族と結婚する社員がたくさんいた。つまりお客さまが気に入ってくださるのだ。それぐらい心を込めてご案内をしなければ、良いものの価値は伝わらない。

 独立する前からのことだが、婚礼家具が売れるのは春と秋だけだった。夏はまったく商売にならない。するとメーカーさんは、どうしても在庫を抱えてしまうことになるから、私は父の許しを得て夏になると、良い家具であればメーカーさんからどんどん仕入れた。製品を持っていれば秋には必ず売れたからだ。


 また、当時、春日部の信用金庫が地場産業発展のために大変ありがたい取り組みをしてくれていた。家具の町の信用金庫なので、貸金の担保となった家具を置いておく自前の倉庫を持っていたのだ。その倉庫に家具を持っていくと、相場の6割ぐらいの評価でカネを貸してくれた。その融資金でまた在庫を買い集めていく。そして秋になるとすべて売り切り、借金も返すのである。

 大手ネット通販会社を見ても、彼らの強大な競争力の一因には「在庫を正しく持っている」ことがあるだろう。在庫を持っているからこそ即日発送という満足度の高いサービスを提供でき、早い決済も可能にしている。まして専門店として、彼らに負けないサービスを提供しようとすれば在庫を持つことこそが競争力の源泉になる。


 もちろん何度も書くが、それができる資金管理と余裕が前提になる。結局、商売は、商品づくりも営業力も資金管理もすべてが関連した中で競争力が生まれるのだ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180109#1515494448