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天然氷かき氷って何が違うの?全国の天然氷かき氷の名店教えます♪ | キナリノ

林美沙希(公式)さんはInstagramを利用しています:「熊谷で取材です。 暑すぎて、かき氷を買いに来るお客さんも少ないそうです。 でも、天然氷で作ったかき氷はふわふわでとても美味しかった!溶けにくいそうですよ〜! #テレ朝#サンデーステーション#取材#かき氷#天然氷#抹茶好き」

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石鎚神社 - Wikipedia

石鎚神社|霊峰石鎚山総本宮

石鎚神社中宮成就社 | 石鎚登山ロープウェイ株式会社


 森川宏映・天台座主(92)が祈願文を読み、平和の実現に最も重要なのは他者の存在を認めることだと指摘。「現実社会では、多様性を認め、弱者に配慮することはほとんどない。我意を通したものが正しいとされる風潮だ」として、他者に尽くす大切さを説いた宗祖・最澄伝教大師)の「忘己利他」の精神を、今こそ取り戻すべきだと訴えた。

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去年の衆議院選挙の直前に分裂した民進党出身で、現在、無所属で活動している岡田元外務大臣と野田前総理大臣は、それぞれの地元で、地域政党「三重民主連合」と政治団体「千葉民主連合」を設立しました。


民進党の勢力を糾合しようという動きは他の県にも広がる兆しを見せていて、岡田氏らとしては、来年の参議院選挙をめぐり、野党第1党の立憲民主党と第2党の国民民主党が、定員が2人以上の「複数区」ではそれぞれ候補者の擁立を目指すとしていて、共倒れの可能性も指摘されていることから、全国的に野党間で候補者調整を行える環境を整えたいものと見られます。


さらに、先の通常国会立憲民主党と国民民主党の間で国会対応の足並みが一致せず、政府・与党を利するところがあったと指摘されていることから、こうした動きを国政での野党連携にもつなげたい考えです。


 安倍内閣が24日に承認した省庁人事で、内閣府政策統括官の新原(にいはら)浩朗(ひろあき)が経済産業省の経済産業政策局長に就いた。近い将来の事務次官候補が座る枢要ポストだ。


 1984年に入省した新原にとっては古巣への凱旋(がいせん)となった。首相の安倍晋三、その政務秘書官で先輩の今井尚哉(経産省、82年入省)が手腕を高く評価。働き方改革や幼児教育の無償化など、政権の目玉政策を進めてきた。政権5年半で大きく様変わりした霞が関で力を持つ「官邸官僚」の象徴的な一人だ。


 3カ月前。消費税を来年10月に10%に引き上げる際の対策を検討する省庁横断の特命チームが内閣府で初会合を開いた。顔合わせのつもりで集まった関係省庁の局長らは、配られた1枚の紙を見てのけぞった。


 「検討事項(案)」として、増税に伴う駆け込み需要や反動による消費の落ち込みについての対応策が13項目にわたって列挙。増税後の値引きセール推奨、自動車減税、合理的な購買行動の推奨――。それぞれに担当省庁の割り振りまで記してあった。まとめたのは新原だ。


 消費増税は幅広い業種や消費者に影響するため、関係する省庁は多いが、新原がまとめた紙は担当する財務省経済産業省の知見を集約したものではない。対応策は「再調整」という扱いにはなったが、特命チーム関係者の間では、安倍と新原の間で「もう話がついているのでは」との臆測が広がった。


 安倍が政権に復帰して以降目立つのは、新原のように安倍に近い官僚らが主導して政策の方向性を決めていくスタイルだ。首相秘書官の今井や佐伯(さいき)耕三(経産省、98年入省)、内閣情報官の北村滋(警察庁、80年入庁)、官僚OBの首相補佐官である長谷川栄一(経産省、76年入省)、和泉洋人(旧建設省、76年入省)はこの5年半、変わらず安倍の周辺にいる。


 安倍と以心伝心の「官邸官僚」たちの指示は、省庁幹部から「首相の威光」と受け止められる。それは「最強官庁」と呼ばれた財務省も例外ではない。

 首相官邸の意向を反映させるため、各省庁の幹部約600人の人事は、14年に発足した内閣人事局が判断する。正副官房長官ら主要幹部の7割の賛同を得られなければ各省の人事案を受け入れないという「7割ルール」で運用されている。


 今夏の人事で退任が決まった金融庁長官の森信親(80年入省)は、官房長官菅義偉の信任が厚く、3年の長期にわたり務めた。一方、前任の細溝清史(78年入省)は1年で交代した。農業改革が持論の菅の協力依頼を断ったためだ。


 人事権を握った官邸に、各省庁は従うしかなく、「官邸官僚」を除く官僚は萎縮と忖度を余儀なくされる。横行する「官邸人事」は、政権と沖縄県の対立が続く米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古への移設をめぐっても行われた。


 16年1月、国交省がこんな人事を発令した。「防衛省審議官 下司弘之▽同沖縄防衛局次長 遠藤仁彦」。両氏を含む港湾局出身の技官6人を防衛省に異動させる人事。「官邸官僚」の一人で、菅の側近とされる国交省OBの首相補佐官和泉洋人が中心になって練られた。


 当時は県の抵抗で移設先の埋め立て工事が滞っていた。防衛省関係者は「官邸からいつまでやっているんだと怒られた。そこで、和泉さんらが埋め立てのプロを国交省から呼び寄せた」と解説する。これ以降、県は工事の手順などをめぐり、数十回の行政指導をしたが、国側は工事を加速。国交省幹部は「専門家だけに、県や住民との協議はなるべく少なく、法律すれすれの行動を取れる」と話す。


 今夏の国交省人事では、防衛省に部下を送り込んだ港湾局長の菊地身智雄(85年入省)が技術系最高ポストの技監に昇格。旧運輸省出身者の技監就任は初めてだ。後任の港湾局長には埋め立てを指揮した下司(同)が就く。「論功行賞」とささやかれた。


 国交省幹部はいう。「以前は省内の力学にそった人事ができたが、安倍政権で完全に変わった。官邸の意を受けた政策を成し遂げた人こそが評価される」

 官邸が官僚を従える力の源泉は人事だけではない。


 安倍政権は、重要案件ごとに内閣官房内閣府に省庁横断の組織や会議を次々と設置。各省庁から政策立案の権限を奪い、一部の「官邸官僚」が政策を動かすことが常態化している。


 安倍が掲げた「人づくり革命」を具体化するため、昨年9月に立ち上げた「人生100年時代構想会議」は、その典型だ。内閣官房に置かれた「推進室」には各省庁から約30人が集められた。


 政策の骨格は内閣府政策統括官だった新原浩朗や首相秘書官の今井尚哉らが検討。財政悪化につながる3〜5歳児の教育・保育の無償化や、消費税の使途拡大による財源確保を財務省にのませ、安倍の衆院解散表明にあわせて打ち出した。


 結論を急ぐあまり、担当省庁による十分な政策検証は置き去りにされた。無償化で待機児童が逆に増えるなどの批判が噴出しても、官邸は公約実現に向けて突き進んだ。


 昨年末、改革の大きな道筋がつくと、推進室の多くの職員が席を引き払った。寄り合い所帯で作業が終われば散っていく組織の責任はあいまいになりがちだ。政策決定を主導する首相秘書官や補佐官も、国会答弁に立つことはまずない。


 官邸主導は本来、二大政党間で政権交代があることを前提に、短期間で政治の結果を出せる仕組みをめざした姿だった。しかし、5年半を超える長期政権で政権交代の緊張感は薄れた。「政治主導」を掲げながら、財務省による公文書改ざんなど、大きな不祥事が起きても誰一人、政治責任を負わないいびつな構造ができあがった。


 組織防衛を本能とする官僚たちはいま、安倍に近い甘利明自民党行政改革推進本部長として旗を振る「省庁再々編構想」におびえる。国家予算の3分の1を使う厚生労働省の解体などが現実味を帯びつつある。「それはそうだな」。巨大官庁の分割案に安倍も受け入れる姿勢だ。


4日までシンガポールで開かれていたASEANの一連の外相会議では北朝鮮の非核化が主要な議題となりました。


アメリカは、非核化に具体的な進展が見られないにもかかわらず北朝鮮に対する国際的な圧力が緩むことを警戒していて、一連の会議を通じて各国に制裁の維持を呼びかけ、日本も同じ立場を取りました。


これに対して北朝鮮のリ・ヨンホ外相は、アメリカが経済制裁を維持し朝鮮戦争終戦宣言でも後退する態度をみせていると非難して一方的な非核化には応じない姿勢を強調し、中国も制裁の緩和を検討するべきだという立場を示しました。


今回は史上初の米朝首脳会談が開かれたあと初めて関係国が一堂に会した国際会議でしたが、注目された米朝の外相会談は開かれず、非核化の進め方をめぐってアメリカと北朝鮮の立場の違いが浮き彫りになりました。


北朝鮮のリ外相はまた、東南アジア各国とも会談を重ね、みずからの立場に理解を求めましたが、ASEAN外相会議の共同声明は「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」に向けた国際的な努力を支持するとともに制裁を維持する姿勢を示すなど、北朝鮮の思惑どおりには進みませんでした。

アメリカのポンペイ国務長官は、シンガポール北朝鮮のリ・ヨンホ外相と短い言葉を交わすにとどまり、注目された2国間の会談は開かれませんでしたが、国務省高官は、両国関係は前進していると強調しました。


ポンペイオ長官は今回、これまで北朝鮮側との交渉にあたってきたソン・キム駐フィリピン大使を伴ってシンガポール入りし、北朝鮮側と直接会談を行う意図があったものとみられます。


しかし結局、会談は行われず、ポンペイオ長官が会議場でリ外相に歩み寄り、笑顔で短く言葉を交わすとともに、トランプ大統領からキム・ジョンウン金正恩朝鮮労働党委員長にあてた書簡を手渡すにとどまりました。


国務省によりますと、ポンペイオ長官が「またすぐに話をしましょう」と話しかけたのに対して、リ外相は「賛成です。多くの生産的な対話ができるでしょう」と応じたということで、国務省高官は「1年前と比べれば正しい方向へのステップだ」と述べ、両国関係は前進していると強調しました。


4日のARFでは、リ外相が演説を行い、非核化に向けた行動を迫るアメリカの姿勢を批判した際、ポンペイオ長官は次の訪問国のインドネシアに向かうためだとしてすでに退席していました。


また、国務省はARFでのポンペイオ長官の発言は公表しないとしています。


アメリカとしては、北朝鮮と真正面から対立して関係を悪化させるのは避けた形で、今後も北朝鮮の非核化の実現を目指し、交渉の糸口を探っていくものとみられます。


ASEANの一連の外相会議は4日夜閉幕し、議長国シンガポールのバラクリシュナン外相が記者会見を開きました。


この中でバラクリシュナン外相は、会議では北朝鮮の非核化や南シナ海の問題に加え、激しさを増すアメリカと中国の貿易摩擦について議論が集中したことを明らかにしました。そして「自由と繁栄をもたらす公式とされてきた自由貿易を押し戻す動きがある」と述べ、名指しは避けながらもトランプ政権の保護主義的な政策を批判し、米中間の貿易摩擦による地域への悪影響に懸念を示しました。


そのうえで「さまざまなパートナーとの多国間の自由貿易の枠組みを何重にも構築していかなければならない」と述べ、ASEANとして、自由貿易の枠組みの維持のため取り組みを強化していく方針を示しました。


そして、ASEANに加え、日本や中国、インドなど16か国が参加するRCEP=東アジア地域包括的経済連携こそが「ASEANが中心となる自由貿易だ」と強調し、年内の大筋合意を目指し、交渉を加速させていく考えを示しました。


インドネシアのルトノ外相はアメリカのポンペイオ長官と会談したあと、記者団に対して「インドネシアアメリカの間に貿易摩擦は存在していないが、現在起きているアメリカと中国との貿易摩擦インドネシアを含む全世界に影響を与えている」と述べて、懸念を伝えたことを明らかにしました。また、北朝鮮の非核化についてアメリカと北朝鮮の間の対話を歓迎する考えを改めて伝えたということです。


ポンペイオ長官はASEAN東南アジア諸国連合との一連の会議に出席したあと帰国する前にインドネシアを訪問していて、6日はジョコ大統領と会談することにしています。


アメリカとしては、ことし国連の非常任理事国に選任されたインドネシアとの関係を強化し、トランプ政権が掲げるインド太平洋戦略などアメリカの政策に理解を得たいという狙いがあると見られます。


中国共産党は毎年夏に、北京と隣接する河北省の避暑地「北戴河」で現職の指導部や過去の指導部のメンバーなどの長老が参加して重要案件を非公式に話し合う、いわゆる「北戴河会議」を開いています。


国営の新華社通信は4日、陳希中央組織部長ら2人の指導部のメンバーが北戴河で専門家との座談会に参加したと動静を伝えたほか、現地では厳重な警備体制が敷かれていることから、ことしの会議がすでに始まったか、まもなく始まるものとみられます。


非公式会議の内容が公表されることはありませんが、ことしの会議ではトランプ政権との間で貿易摩擦が激化する中、今後の対応をはじめアメリカとの外交をめぐって議論が行われるとみられます。


また、貿易摩擦の激化に伴って中国の景気の先行きにも懸念が出ていることから、習近平指導部の今後の経済運営の方針についても意見が交わされるとみられます。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180803#1533293469


トルコ当局は、おととし起きたトルコのクーデター未遂事件に関わったとして、アメリカ人の牧師アンドリュー・ブランソン氏を拘束、起訴していて、これに反発するアメリカ政府が、トルコの閣僚2人に対してアメリカ国内の資産を凍結する制裁を科すなど圧力を強めています。


これについて、トルコのエルドアン大統領は4日、首都アンカラで演説し、「アメリカの措置は、両国の戦略的協力関係に反する無礼な行動だ」と批判し、報復としてアメリカの司法長官ら閣僚2人がトルコ国内に資産を持っていれば凍結するよう指示したことを明らかにしました。


ただトルコでは、アメリカとの関係が冷え込む中、通貨リラが値下がりするなど経済に悪影響が出ていて、エルドアン大統領は、「政治的、法的な争いを経済に持ち込めば、双方に損害を与えることになる」とも述べ、全面的な経済制裁の応酬になることは避けたい思惑もにじませました。


トルコ政府は、おととしのクーデター未遂事件の主謀者は、現在アメリカに滞在しているイスラム教の指導者だとして、事件の直後からアメリカに身柄の引き渡しを求めていますが、アメリカは拒否していて、両国の溝が深まっています。


アメリカのトランプ政権はイラン核合意からの離脱に合わせた経済制裁を今週7日から発動させる予定で、イランの自動車や鉄鋼製品などの分野が対象となります。


これを前にイランでは通貨リアルが最安値を記録し物価の高騰が進むなど経済の混乱が深刻化していて、先週から抗議デモが各地で行われています。


地元メディアによりますと、このうち南部シラーズでは2日、およそ500人が中心部の通りに集まり物価高を非難したほか、3日には首都テヘラン近郊の街でイスラム教の宗教施設に対しデモ隊が石を投げ、治安当局が鎮圧に当たったということです。


デモはいずれも数百人ほどの規模で多くが経済への不満を訴えるものですが、一部は最高指導者ハメネイ師を頂点としたイスラム体制を非難するなど政治的な主張も含まれているということです。


イランでは去年末にも経済の不満がイスラム体制への非難に発展する大規模な抗議デモが起きていて、アメリカが圧力を一層強める中で政府は厳しい状況に追い込まれています。


ベネズエラで4日、マドゥーロ大統領が軍の式典に出席して演説をしている最中に、突然、爆発音が響きました。


演説のもようは国営テレビで中継され、爆発音のあと並んでいた兵士が逃げ惑う姿が映し出されました。


ベネズエラ政府によりますと、現場では爆発物を積んだドローンが確認されたということで、演説中の大統領を上空から狙った攻撃だとみられています。


政府によりますと、大統領は無事だったものの、会場にいた7人の兵士が負傷したと発表しました。


また、マドゥーロ大統領もその後会見し「爆発は自分を狙ったものだ。調査を行い犯人グループの一部を逮捕している。これから事件の背後関係を追及していく」などと述べました。


ベネズエラでは、マドゥーロ大統領が独裁的な政治姿勢を続ける中で経済が混乱して極度のインフレに陥り、海外に脱出する人も後を絶たず、大統領に対する不満が高まっています。

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だいすき 團伊玖磨氏について

海外で生活していると、ものすごく日本の活字に飢えます。私はそのほとんどの糧として池波正太郎先生の「剣客商売」とこの「パイプのけむり」をそれこそ何百回と読み返しておりました。

世代的に戦争を兵隊として経験されている大正生まれの方たちから、物心ついてから経験した昭和一桁生まれまでのかたたちの、身の回りの始末のつけ方や、仕事の内容とそのクオリティの高さ、一個人としてのプライドの高さなどは本当に素晴らしいと思います。尊敬します。


團先生が41歳に始まり、75歳で終わったこの随筆も、一貫してクリアな着眼点と体制に迎合しない批判精神、膨大な知識とユーモアに満ち溢れています。

團 伊玖磨

東京都文京区大塚5丁目40−1 護国寺真言宗

 昭和39年に『アサヒグラフ』に連載を始めた随筆『パイプのけむり』は、平成12年に同誌が休刊するまで書き継がれたが、翌年に團伊玖磨自身も燃え尽きたのであった。

『続 護国寺数寄者達の墓所から浅草山谷堀2日目』東京の旅行記・ブログ by ジバゴさん【フォートラベル】

こちらが本日のテーマ、團琢磨家の墓所。 
益田孝(鈍翁)の後継者で三井合名の理事長であった。近代の数寄者の一人で横濱の原三溪のライバルだった。
自宅宅地が6497坪で東京ドームの約半分(45%)自宅からJR千駄ヶ谷駅と原宿のホームが見えたそうな。 自分は知らないタレントだが團遥香の高祖父。

第12回 團琢磨|コラム「三井を読む」|三井広報委員会

團琢磨は安政5年(1858)、300石取りの福岡藩士・神尾宅之丞の4男(一説には3男)に生まれ、幼名を駒吉といった。安政5年は井伊直弼大老となり、日米修好通商条約が結ばれた年である。その駒吉は12歳で福岡藩勘定奉行を務めた團尚静(なおきよ)の養子となり、以後團琢磨を名乗った。

14歳になると、福岡藩主であった黒田長友が岩倉使節団の一員として海外視察をすることになり、その随行員として明治5年(1872)に渡米する。

当時の三井の大番頭益田孝は、「團琢磨を含めての三池鉱山の買収である」と言い、團を三池炭鉱社事務長に任命したのである。明治21年(1888)、こうして工部省の團は三井の團琢磨となった。

また、当時の日本の炭鉱は囚人を鉱夫にしていたが、團はこれに異を唱えた。囚人を牛馬のように使えば賃金は安く上がるが、いつまでたっても進歩も向上もない。むしろ一般市民に正当な賃金を支払って雇用するほうが能率的であるというのが團の主張であった。こうした考え方を受け入れない上層部に対しては、自らのクビをかけて交渉に当たり、三池炭鉱の近代化を進めていった。

「石炭が尽きても地元の人が生活できるような置き土産が必要。筑港をすればいくらか100年の基礎になる」と團は語っている。事実、明治41年(1908)に完成した三池港は、三池炭鉱がその役割を終えた100年後の今も、当時の姿のまま地元の産業と流通を支え続けている。

しかし、日本経済は昭和のはじめに世界恐慌の影響を受け、揺れ動いていた。特に三井は恐慌時に大量のドル買いを行い、私利私欲に走っているとみなされ、マスコミからの激しい批判に晒されていた。昭和7年(1932)になると、そうした空気は社会に色濃く充満。過激な思想集団が跋扈(ばっこ)し、まず2月に前蔵相の井上準之助血盟団員の凶弾に倒れた。そして次が團琢磨であった。

続・安政生まれの団 琢磨の生涯と中国では出せない名前。 : 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ

伊玖磨氏は、晩年、往事を振り返って、「昭和恐慌の不安が子供ながらにも伝わり、軍国主義の臭いが強くなっていく象徴が、祖父の"理由の分からない死″だった。音楽が楽しいからではなく、祖父が百年先を見据えて三池港を築港し、近代鉱山学を樹立したように、日本人の心に埋まり開発されていない音楽を見つけたかった。」と述べておられたそうです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180801#1533120226(1人ひとりが自らの可能性を主体的・自発的に開発することこそ、人間にとっての自己実現である。)

news every.-「ミンナが、生きやすく」-

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團伊玖磨 - Wikipedia

7歳となった1931年(昭和6年)、青山師範学校附属小学校に入学し、ピアノを学び始めた。翌年3月、祖父・團琢磨が暗殺された(血盟団事件)ことで、幼心に、物質的な栄達への疑問を抱くようになり、後に芸術を志す動機のひとつとなった。当時、團という一字姓のため、しばしば「朝鮮人」「シナ人」と怒鳴られたという(事実、700年前の祖先の團将監は宋人だったと伝えられる)。

たびたび訪中したが、團という字に中国語で卑猥な意味があるため、北京では「檀か段に直してください。團では困る」「あなたの名刺は、女の人には見せられません」と言われた。

エッセイ「パイプのけむり」は1964年に『アサヒグラフ』で連載を始め、2000年に同誌が休刊するまで連載を続けていた。最終回では「自分が死ぬのが先か雑誌が休刊するのが先か」どっちなのだろうと予想していたと書いている。結局、雑誌休刊の翌年死去する。

最初の妻桑原瑛子(ソプラノ歌手)との間に生まれた長男團名保紀は西洋美術史家で群馬大学教授。二番目の妻藤枝和子(ピアニスト)との間に生まれた二男團紀彦は建築家。

團伊玖磨の妻・瑛子さんと和子さん - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

團氏(福岡藩士) − Reichsarchiv 〜世界帝王事典〜

1993- 遥香

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