https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

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エスとキリスト(精霊)は誤りを知り転向したが、ローマ法王庁に居座るパウロら聖人は彼らの説得に応じなかった。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180814#1534244173


二・二六事件昭和11年2月26日、「昭和維新」を掲げて決起した陸軍の青年将校たちがおよそ1400人を率いて東京の中枢を占拠し、政府要人ら9人を殺害したものです。


公開された音声は当時の侍従長で襲撃を受けて、ひん死の重傷を負った鈴木貫太郎の妻 タカが、事件の様子をのちに語ったものです。


この中では、鈴木が将校に対して「何事が起こってこんな騒ぎをしているのか。話したらいいじゃないか」と呼びかけたことや、タカが「とどめだけはどうか待ってください」と訴えたことなどが記録されています。


鈴木は事件のあと、敗戦の色が濃くなるなかで総理大臣を務め、戦争の終結に道筋をつけました。


野田市教育委員会の笹川知樹さんは、公開された音声について「事件で何が起きたのかが臨場感と共に伝わってきます。歴史の1ページを知ってほしい」と話していました。


この音声は、野田市の「鈴木貫太郎記念館」で11月4日まで公開されています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150822#1440240042(“官軍”が始めた無謀な戦争により滅亡の瀬戸際まで追い込まれた日本を救ったのは、鈴木貫太郎、米内光政ら賊軍出身者だった――。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150720#1437388694終戦時の宰相、鈴木貫太郎の就任第一声「一利を興すは一害を除くに如かず」)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150714#1436870904(亡くなる時に「永遠の平和 永遠の平和」と呟いたという。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140905#1409914345ノモンハン事件
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140815#1408099476(3月25日、赤阪で山本玄峰鈴木貫太郎と会談、「事態を収拾できるのはあなただ」と言った。やがて鈴木に終戦内閣の大命が下り、日本はポツダム宣言を受諾した。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140526#1401101487(「日本のいちばん長い日」)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130227#1361976014侍従長鈴木貫太郎の妻「たか」の証言を録音したテープが、千葉県野田市の住宅で見つかりました。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090515#1242382228(大学生の頃私は何度か父と一緒に歌舞伎を観る機会がありました。父母のほかに、終戦時の総理大臣であった鈴木貫太郎氏の未亡人も御一緒だった事があります。たまたまその月の出し物に「先代萩」がありました。幼君を守ってさまざまに苦慮する政岡の芝居に鈴木夫人はハラハラと落涙され通しでした。芝居がはねてから夫人は、「お上のお側にお仕えして居りました頃を思い出しまして」と又少し涙ぐまれました。夫人は貫太郎氏と結婚される前は宮中の女官としてまだお若い天皇陛下のお側近くに居られた方でした。当時は軍に不穏な動きがあったりして陛下の周囲の人々は緊張した生活を送られたのだそうです。)


一番必要なことは、国民に悲劇しかもたらさない戦争を正しく認識し、再び繰り返さないという国民の覚悟です。その覚悟で政治は形作られます。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180809#1533811848(現在に通じ、将来に通じる真理、重要なポイントだけの風化を許さず、あとは寧ろ風化させてしまう事こそ、大きく見て大切なことなのでは無いか)


本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。


終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。


戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

全国戦没者追悼式での天皇陛下のおことばは、昭和天皇の時のおことばの骨子も踏まえ、即位以来、基本的な内容は毎年踏襲されてきました。


この中で天皇陛下は、戦争の犠牲者を悼み遺族に思いを寄せるとともに、世界の平和と日本の発展を願う気持ちを表されてきました。


戦後50年を迎えた平成7年には、結びの一文に「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」という言葉が加えられました。


その後は、おことばの内容に大きな変わりは見られず、平成13年以降は毎年同じおことばが続きました。


そうした中、戦後70年を迎えた平成27年天皇陛下は14年ぶりにおことばを変え、戦後の日本の歩みを振り返る部分に、多くの言葉を足されました。


まず今日の平和と繁栄を支えたものとして、「国民のたゆみない努力」に加え、新たに「平和の存続を切望する国民の意識」という表現を使われました。


そのうえで例年、「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」としていた部分を「戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません」と言いかえられました。


さらに戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に「さきの大戦に対する深い反省と共に」という言葉を加えられました。


戦没者追悼式での天皇陛下のおことばがこれだけ変わるのも、「反省」という言葉が盛り込まれたのも、このときが初めてで、それ以降は結びの一文に「深い反省」という言葉が使われるようになりました。


そして最後の出席となった今回も「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」と戦後を振り返ったうえで、そうしたおことばを述べられました。


戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、まず、被爆地の長崎と広島で原爆による犠牲者の霊を慰められました。続いて、住民を巻き込んで激しい地上戦が行われた沖縄を訪れ、沖縄戦最後の激戦地、糸満市戦没者の墓苑に拝礼されました。


この前年の平成6年には小笠原諸島硫黄島を訪れ、飢えや渇きに苦しんだ戦死者を思い、慰霊碑に水をかけて白菊を供えられました。


戦後60年にあたっては、太平洋の激戦地サイパンを訪れ、多くの日本人がアメリカ軍への投降を拒んで身を投げた「バンザイ・クリフ」などで黙とうをささげられました。


両陛下の外国訪問は、通常、相手国からの招待を受け国際親善のため行われますが、戦没者の慰霊を目的としたこの訪問は、天皇陛下の強い希望で実現した前例のないものでした。


また、戦後70年にあたっては、前の年に再び、沖縄と長崎、広島を回ったのに続いて、念願だったパラオへの訪問を果たし、激戦地ペリリュー島で犠牲者の霊を慰められました。


両陛下は、外国を親善訪問する際にも戦没者の慰霊に臨んでいて、おととし、フィリピンを訪れた際には、日本政府が建てた慰霊碑などを訪れ、犠牲者を追悼されています。


そして、来年春の天皇陛下の退位を前に、ことし3月には、11回目となる沖縄への訪問を果たし、これまで同様、最初に戦没者の慰霊に臨まれました。

昭和天皇の長男で皇太子として生まれた天皇陛下は、戦争が続く中で子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えて疎開先から戻られると、東京の街は焼け野原でした。


天皇陛下は、即位10年に際しての記者会見で当時を振り返り、「私の幼い日の記憶は、3歳の時、昭和12年に始まります。この年に廬溝橋事件が起こり、戦争は昭和20年の8月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました」と述べられています。


昭和50年には皇太子として国際海洋博覧会の開会式に出席するため、初めて沖縄を訪問されました。


戦後30年を経ても県民の間に皇室に対する複雑な感情が残る中、女学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪ねられた際には、訪問に反対する過激派のメンバーに火炎瓶を投げつけられます。


しかし、その後も予定を変えることなく沖縄戦の遺族との面会を果たし、これ以来、天皇陛下は折に触れて沖縄を訪れ、戦争の歴史と向き合われました。


昭和56年の記者会見で天皇陛下は、日本では記憶しなければならない4つの日があるとして、終戦の日と広島、長崎の原爆の日、それに沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」を挙げられます。


そして、「この日には黙とうを捧げて、平和のありがたさというものをかみしめ、また、平和を守って行きたいものと思っています」と述べられました。


天皇陛下は平成4年には歴代の天皇で初めて中国を訪問し、国家主席主催の晩さん会で「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」と先の大戦について触れられました。


そのうえで、「戦争が終わった時、わが国民は、このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」と述べられました。


戦後50年を迎えた平成7年、天皇陛下は皇后さまとともに「慰霊の旅」に出かけ、長崎や広島、沖縄などを訪ねて戦没者を追悼されました。


この年の記者会見では「希望に満ちた人生に乗り出そうとしていた若い人々が戦争により、また、厳しい環境の中で病気により亡くなったことを深く哀惜の念に感じます。今日の日本がこのような犠牲の上に築かれたことを心に銘じ、これからの道を進みたいものと思います」と述べられました。


天皇陛下は即位以来、毎年8月15日の終戦の日に全国戦没者追悼式に出席し、戦争が再び繰り返されないことを願うおことばを述べられてきました。


平成18年の記者会見では、戦後生まれの人が年々多くなってくる中で、戦没者を追悼することは世界や日本の過去の歴史を顧みる一つの機会となるとして、「過去のような戦争の惨禍が二度と起こらないよう、戦争や戦没者のことが、戦争を直接知らない世代の人々に正しく伝えられていくことを心から願っています」と話されました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180323#1521801382
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180307#1520419447


この中で、安倍総理大臣は「今日の平和と繁栄が戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片ときたりとも忘れません。改めて衷心より、敬意と感謝の念をささげます」と述べました。


そのうえで、安倍総理大臣は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となるさまざまな課題に真摯(しんし)に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現することに、不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、あすを生きる世代のために国の未来を切りひらいてまいります」と述べました。


終戦の日の15日、東京千代田区靖国神社では、総理大臣や閣僚に参拝を求める団体が集会を開き、主催者の発表でおよそ1600人が参加しました。


この中で、自衛隊の元最高幹部で、「英霊にこたえる会」の会長、寺島泰三さんが「憲法政教分離規定により、総理大臣などの靖国神社参拝は問題視されている。国家として英霊を公におまつりするため、憲法改正は喫緊の課題だ」と述べました。


また、杏林大学名誉教授で「日本会議」の会長を務める田久保忠衛さんは「アメリカにトランプ大統領が登場し、国際情勢は様変わりした。日本には有形無形の圧力が加わるだろう。そのための備えが必要だ」と述べました。


集会では総理大臣の靖国参拝を求めるとともに、憲法改正の実現を誓う声明を発表しました。


参加した36歳の男性は「日本が平和な国であるためには、憲法を改正して軍隊を持ち、外国の脅威に備える抑止力を持つべきだと思います」と話していました。


連絡会の代表で、ビルマ戦線で兄を亡くした西川重則さん(90)は「今の憲法にふさわしい平和な国を誰が作るかといえば、私たち国民です。憲法を習熟する努力を続け、国民一人一人が平和について考えていきましょう」と訴えました。


そして、戦争で亡くなった日本やアジア各国の人たちを追悼するため、出席者全員で祈りをささげました。


78歳の男性は「子どもたちのために平和を引き継いでいかなければなりません。二度と大きな過ちを繰り返さないために平和主義に基づく今の憲法を守っていきたい」と話していました。


また、叔父が戦死したという76歳の女性は「日本だけでなく、アジア各国で多くの人が亡くなった歴史を見つめて平和憲法を絶対に変えてはならないという意識を持ち続けたい」と話していました。


僕が自分なりに調べたところでは、どう考えても、戦前の日本社会は嫌だ。特に軍部が歯止めなく増長してきた昭和初期から大戦突入に至るまで、もちろん戦時中の軍部のあの態度振る舞いも含めて全てにおいて、とてもじゃないが我慢できない。

僕も戦前に暮らしていたらどうなっていたか。いまと同じ調子でやっていたら監獄にぶち込まれていただろう。でもそんな軍の強い社会においては、ビビッておとなしくしていたかもしれない。


たぶん、今、威勢のイイことを言って、戦前の社会を肯定する人たちは、戦前の社会体制の下ではおとなしくいい子ちゃんになっているパターンが多いと思う。


こんな今の日本と戦前の日本を比べて、戦前の方がいいというのは僕には理解できない。戦前の日本の方がいい、という人たちは、紙一枚で軍に入らされ、上官からは暴力を受け、戦地に送り込まれても、また何か政府批判をすればすぐに監獄に入れられて拷問を受けてでも戦前の日本の方がいいと言うのかね。

太平洋戦争が避けられていたら、軍は残っていただろう。ましてや戦争に勝っていたらどうなっていたか。当然、明治憲法下の政治行政がそのまま残る。もちろん、その後の時代の変化に伴って、日本の政治行政の仕組みも徐々に変わり、最終的には今と同じほどの自由を国民が享受することになるだろうが、それにはもっともっと長い年月がかかるだろう。敗戦を経験することで、我々は猛スピードで、今の自由を享受することができた。このスピードのために300万人以上の犠牲が必要だったと言い切れるのか、ここが悩みだ。


確かに300万人以上とも言われる犠牲者が出たことを、簡単に肯定するわけにはいかない。しかし、あの太平洋戦争に負けたことが、今のように国民が世界でも珍しいくらい広く大きな自由を享受することができるようになった決定的要因なのではないか。

菅 - Wikipedia

(すげ・すが・かん)


韓国のムン・ジェイン大統領は15日午前、ソウルで開かれた記念式典で演説し、アメリカと北朝鮮の間で非核化をめぐる交渉が難航していることを念頭に「北の完全な非核化の履行と、これに相当するアメリカの包括的措置が速やかに推進されるよう望む」と述べました。


そして、来月、ムン大統領がピョンヤンを訪問してキム・ジョンウン金正恩朝鮮労働党委員長と再び会談することで合意したことについて、ことし4月の南北首脳会談で両首脳が署名したパンムンジョム(板門店)宣言の履行を確認し、「朝鮮半島の完全な非核化とともに朝鮮戦争終戦宣言と平和協定につなげるための大胆な一歩を踏み出す」としました。


そのうえで「南北間にさらに深い信頼関係を構築し、米朝間の非核化対話を促進する主導的な努力もしていく」と述べ、3回目の南北首脳会談を通じた現状の打開に意欲を示しました。


さらに、ムン大統領は「完全な非核化と合わせて朝鮮半島に平和が定着すれば、本格的な経済協力が行えるようになる」として、国連などの経済制裁のもとでは実現が困難な南北の経済協力の再開も目指して、北朝鮮への働きかけを積極的に行っていく姿勢を強調しました。


北朝鮮では15日は祝日で、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」は1面で「キム・イルソン(金日成)主席が取り戻した祖国を輝かせていこう」などと、抗日闘争の意義を強調しています。


また、日本との関係について論評を掲載し、「ことしに入って朝鮮半島の問題をめぐる国際政治の流れは完全に変わり、多くの国がわが国との関係を発展させるために活発に動いているが、日本だけは排除されている。すでにすべて解決した拉致問題について騒ぎ立てている」と主張しました。


そのうえで「拉致とはわれわれが日本に対し訴えるべきもので、日本は過去、朝鮮半島の人たちを強制的に連行して働かせ、女性たちに性的な奴隷になることを強要した。拉致問題にしがみつくのではなく、過去の清算を誠実に行うべきだ」と日本を批判しました。


さらに別の記事では、現在の北朝鮮北東部に旧日本軍の慰安所があったとする調査報告も伝え、日本の責任を問うとしています。


北朝鮮としては、歴史問題を掲げることで、拉致問題の解決を求める日本をけん制した形です。


インドが1947年にイギリスから独立して71年になる15日、首都ニューデリーで記念の式典が行われ、モディ首相が国民に向けた演説を行いました。


この中でモディ首相は、2014年に政権の座についてからの4年間について「インドのリスクを懸念していた世界の経済界が、今や改革による経済の力強さを高く評価している」と述べ、簡素化した新税の導入や積極的な外資の誘致などの経済政策の成果を強調しました。


そして「眠っていた象が起き上がって動きだし、ついに走り出したと世界が驚いている」と述べて、ことしフランスを抜いて世界第6位の経済大国になったことをアピールし、今後、世界経済の原動力になる決意を表明しました。


そのうえで、独立から75年を迎える2022年までに、人口の6割を占め内需拡大のカギを握る農家の所得を倍増させる計画や、有人宇宙飛行を実現させるなどの目標を掲げ、政権2期目に向けた意欲を示しました。


モディ首相の任期は残り1年を切っていて、来年5月にも予定される総選挙で政権に対する国民の審判が下されることになります。


アメリカのトランプ政権は、トルコで軍のクーデター未遂事件に関わったとして長期間拘束されているアメリカ人の牧師の解放を求め、両国関係は急速に悪化しています。


これについてホワイトハウスのサンダース報道官は14日、記者会見で「牧師が依然として解放されていないことにトランプ大統領は非常に大きな不満を抱いている」と述べ、トルコ政府に対して引き続き牧師の解放を求めていく方針を強調しました。


また、アメリ国務省のナウアート報道官は、トルコの通貨リラが急落するなど経済にも影響が出ていることについて「トルコで起きていることはアメリカの政策による影響をはるかに超えている」と述べ、アメリカによる制裁とは別の問題だという立場を強調しました。


牧師の解放をめぐり、アメリカは一歩も譲らない構えで、両国関係が改善する見通しは立っていません。


トルコ当局が、おととし起きた軍のクーデター未遂事件に関わったとしてアメリカ人の牧師を拘束したことをめぐり、アメリカのトランプ政権は直ちに解放するよう求め、トルコの鉄鋼製品などへの関税を引き上げたり、最新鋭の戦闘機の売却を凍結したりして、圧力を強めています。


これに対し、トルコのエルドアン大統領は、14日、首都アンカラで演説し、人気のアメリカ製のスマートフォンを例に挙げて「アメリカ製の電子機器をボイコットしよう。他にもいい製品はたくさんある」と述べ、国民にアメリカの製品を買わないよう呼びかけました。


この呼びかけは、ツイッターなどのSNSで、またたくまに広がり、トルコの航空会社や通信会社がアメリカの企業に広告を出さないことを明らかにしたほか、官公庁の一部も、公共工事アメリカからの建設資材は使わないと発表しました。


アメリカとの対立が深まる中、トルコの通貨リラが急落するなど経済への悪影響が広がっていますが、トルコは徹底的に対抗する構えを崩しておらず、関係改善のめどは全く立っていません。


アメリカのCNNテレビやNBCテレビは14日、複数の関係者の話として、国防総省のホワイト報道官が部下を不当に扱ったとして、省内の監察官の調査を受けていると伝えました。


それによりますと、ホワイト報道官は私的な目的で複数の部下に菓子類やストッキングを買いに行かせていたほか、業務と関係のない金融機関の手続きや美容院の予約などを行うよう命じていたということです。


また、ことし5月ごろ、部下が別の部署の幹部に問題を報告すると、ホワイト報道官はその直後に、この部下を職務上の権限が比較的少ない、閑職ポストに異動させるなど、不当に扱ったとしています。


国防総省の倫理規定では、勤務中に部下に業務以外の用事を命じることが禁止されていますが、CNNはホワイト報道官が倫理規定を見直すよう担当者に求めていたとも伝えています。


トランプ政権では、ことし7月に環境保護局の長官がエネルギー業界の関係者から格安でマンションを借りるなど、倫理規定違反の疑惑を受けて辞任したばかりです。


 トランプ米大統領の補佐官を事実上解任された黒人女性オマロサ・マニゴールトさん(44)が、14日に出版した暴露本「UNHINGED=錯乱」で、メラニア大統領夫人について触れ「私の考えでは、メラニアはトランプが大統領職を終え、彼と離婚できるようになる日を指折り数えている」と述べ、離婚を切望しているとの見方を紹介した。英大衆紙デーリー・エクスプレス(電子版)などが伝えた。


 メラニア夫人は6月21日、不法移民の親から引き離された子どもが収容されている南部テキサス州の施設を訪問した際「私は本当にどうでもいい。あなたは?」と背中に大きく書かれたジャケットを着用し話題となったが、マニゴールトさんは「夫が招いた混乱を収拾するため施設訪問を強制された」ことに憤り、「移民政策を巡る論争を引き起こし、夫を傷つける」ことが目的だったと主張。メラニア夫人はこうしたファッションを選ぶことで抗議の意思を示し、夫を「罰する」狙いがあるとの見方も示した。


 メラニア夫人は不法移民の親子分離策への反対声明を出したほか、最近もトランプ氏が米プロバスケットボールNBAのスーパースター、レブロン・ジェームズ選手を批判するツイッターを投稿したことに対し、「ジェームズ氏は次世代のために良い仕事をしている」とたたえるなど、夫の主張と一線を画す発言をしていた。


 暴露本はトランプ氏周辺から解任後に口止め料支払いを提案されたことや、トランプ氏が人種差別発言をしていたことなどにも触れているという。マニゴールトさんは政権に批判的なテレビ局の番組でも、トランプ氏が中南米系(ヒスパニック)が多く住む米自治プエルトリコについて「侮辱的発言を繰り返した」と証言、黒人を中傷する言葉も発したとも主張。


 一方、トランプ氏はツイッターでマニゴールトさんを「犬」と呼び批判。トランプ氏の支援団体はマニゴールトさんが秘密を守ることを約束した合意に反したとして、調停機関に仲裁を申し立てた。マニゴールトさんはもともと、トランプ氏が「おまえはクビだ!」と決めぜりふを言う人気テレビ番組「アプレンティス(見習い)」に出演しトランプ氏と親しくなった。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180814#1534244180


内戦が続くシリアで圧倒的に優位に立つアサド政権は、反政府勢力の残る最大の拠点、北西部のイドリブ県を奪還する方針を示し、先週、上空から大量のビラをまいて反政府勢力側に投降をうながしました。


こうしたことから政権側は近く大規模な攻撃を始めるのではないかとみられ、国際社会からは大勢の市民が巻き込まれると懸念の声があがっています。


こうした中、アサド政権の後ろ盾のロシアのラブロフ外相がトルコを訪れ、14日、チャウシュオール外相と会談しました。


記者会見でラブロフ外相は、イドリブ県とその周辺ではアルカイダ系の武装組織による政権側への攻撃が続いているとしたうえで「アサド政権にはテロ組織を抑え込む権利があり、ロシアはそれを支援する」と述べ、攻撃の正当性を強調しました。


これに対し、反政府勢力を支援するトルコのチャウシュオール外相は、大規模な攻撃に踏み切らないよう求めていく考えを示し、イドリブ県をめぐる駆け引きが活発化しています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180813#1534157610
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180810#1533897921
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180725#1532515488


 6月以降、取引銀行や証券会社などを通じて、百貨店などの流通大手や企業再生ファンドなど数十社に支援を打診。その中から、昨年11月に大塚家具と資本・業務提携を結び、6%強(10億円超)を出資して第3位株主になった貸し会議室大手ティーケーピー(TKP)が支援先に浮上した。TKPが大塚家具の50億円超の増資を引き受け、過半の株式を取得する方向で最終調整に入った。


 交渉関係者によると、TKP側は久美子氏が社長を退き、TKPの河野(かわの)貴輝(たかてる)社長が両社の社長を兼務するとともに、数人の役員を入れ替える人事案を打診したが、久美子氏は社長退任を拒否。役員人事案にも反発しているという。


 「大塚家の会社なので主導権は渡したがらない」(銀行幹部)、「ポストにしがみついている」(証券会社首脳)。複数の交渉関係者が、久美子氏の「執着」が交渉の足かせになっていると打ち明ける。結局、中間決算発表までに交渉はまとまらず、注記の記載も免れなかった。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180814#1534244182


東京・霞が関の官庁街の一角にそびえる法務省の20階。
そこには、大きなガラス窓から皇居や日比谷公園などを一望することができる、とっておきの職員食堂があります。

ランチタイムにテーブルに集まったのは「厚生管理官」という部署の20代から50代までの5人。この部署は、職員の福利厚生に関する業務などのほかに、実はこちらの食堂の運営もしています。メニューも彼らが決めているんだとか。

こちらは限定20食のオムライスで税込み600円。ケチャップがかかったふんわりオムライスにコロッケがついていて、ボリューム感があります。

ランチタイム以外は喫茶店として営業しているので、仕事の打ち合わせに使う人も多いようです。


イヌは、水を柱状にして引き上げて、それを口に入れていることが分かったのだ—-これは、ネコの飲み方と同じだ。


「イヌは、舌を裏側にひしゃくのように曲げて水を飲むように見えるが、それは外見だけのことだ。イヌもネコのようにして飲んでいるーーただ、その飲み方が下手なだけなのだ」と、ハーバード大学のAlfred Crompton名誉教授(進化生物学)は語っている。

ネコとイヌは4300万年ほど前に共通の祖先から分岐した。ヒトを含め多くの現代の動物は頬が厚くなっているが、ネコとイヌは、進化の過程でそうはならなかった。頬が厚いと、口の中がしっかり密閉されて、液体を蓄えられるし、吸い込む力を利用して液体を飲むことができる。だがネコやイヌは頬が厚くないので、別な飲み方を追求しなくてはならなかった。


昨年のMITのグループは、高速度撮影の動画を使って検証を行なった。それによると、ネコは水を飲むとき、まず舌を平たくしており、水面には舌先しか触れさせない。舌が口内に戻るとき、液体は舌の裏側にくっついて、柱状になって空中に引き上げられる。この水柱が落ちてしまう直前にネコは口を閉じ、飲み物を飲み込む。


俊足巧打の後藤晃成君(3年)と正捕手の安井太規君(3年)は博多を拠点とするHKT48の大ファンだ。


 「メンバーがかわいい。気分が上がる曲が多いのも好き」という後藤君は、推しメンの矢吹奈子さん(17)がグループの中心で歌う「早送りカレンダー」を試合前に聴く。安井君は後藤君に動画を見せられ、松岡はなさん(18)に一目惚(ぼ)れした。


 安井君は「名電には本音を出し合える雰囲気があるので、好きになっても隠す必要がなかった」。後藤君は「本当に励まされている。興味ない選手も一緒に盛り上がってることがある」と感謝する。

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日本体操協会によりますと、ことし、東京・北区のナショナルトレーニングセンターで練習していた18歳の女子選手に対して、指導していた速見佑斗コーチ(34)が顔をたたいたり、髪の毛をひっぱったりするなどの暴力をふるったということです。女子選手はリオデジャネイロオリンピックの日本代表で、暴力によるけがはなかったということです。


体操協会が調べたところ、速見コーチは暴力をふるったことを認め、女子選手に対する暴力行為はふだんの練習などから複数回にわたって行われていたということです。


体操協会は協会が定める倫理規程に違反したとして、15日付けで永久追放に次いで2番目に重い無期限の登録抹消とナショナルトレーニングセンターでの活動禁止の処分としました。


また、体操協会は女子選手に対して、新たなコーチの確保や練習場の提供などのサポートを行うことにしました。


日本体操協会は「暴力行為があったことは誠に遺憾で、選手や関係者にご迷惑をおかけし申し訳ない。こうしたことが二度とないよう、倫理規程や行動規範の徹底などに努めていきたい」としています。


中国仏教協会は15日、理事会を開き、協会トップで国の宗教政策にも関わる学誠会長が辞任を申し出て、承認されたと発表しました。


学誠氏をめぐっては、住職を務める北京市の由緒ある寺で、弟子の複数の尼僧に対して携帯電話で性的な行為を要求するメッセージを送るなどしていたと告発されたことが、インターネットに流出した文書で明らかになっていました。


告発について、寺側は事実関係を否定する声明を出しましたが、中国政府の宗教政策を担当する部門は調査に乗り出すとしており、学誠会長の辞任はこれに関連したものとの見方が出ています。


中国では激しい競争社会や貧富の格差の問題などを背景に仏教に心のよりどころを求める人が増えており、仏教界のトップのセクハラ疑惑は波紋を広げています。


欧米などでセクハラや性暴力の問題に対する社会の目が厳しさを増す中、中国でもことしに入り、大学教授などによるセクハラが徐々に告発されるようになっています。