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一般のお七夜にあたる「命名の儀」で、お名前とお印が決められた眞子さま秋篠宮ご夫妻が学者らとご相談のうえ、お名前をお決めになられた。「眞(シン)」には「自然のまま、ありのまま」の意味が込められており、秋篠宮さまは「自然に飾ることなく、人生を歩まれる」ことを願って命名された。

「感情ゾーンの肉付きが良い人の特徴として、周囲からどう見られているかを気にする傾向が強いです。小室さんの気になるところは、肉付きは良いけれど、ハリが少し弱いこと。そうした方は、自分の承認欲求が満たされていて、人から良く見られている状況下においてはとてもポジティブでいられます。しかしネガティブな批評をされると、耐えうるだけのキャパシティがあまりないと言えるでしょう」

人の目を気にする傾向があるとするなら、長期に渡る小室さんへの風当たりの強さはかなり堪えているのだろうか。

「右目の黒目と下まぶたがくっついておらず、いわゆる三白眼のようになっています。以前はそうでもなかったのですが、それが強くなってきている。これはまさに精神的に疲れていることを表しているので、いまは限界の状態なのかもしれません。また、意外に思われるかもしれませんが、小室さんは相貌的にみると計算高いタイプではありません。万人によく思われたいという承認欲求が高い方なので、いまの状態は彼にとってかなり辛いはずです」

相貌心理学的見地では、承認欲求が高いにも関わらずバッシングを受け、精神的に堪えているという分析結果だった小室さん。では母の佳代さんはどうなのだろう。

「佳代さんは活動ゾーン(唇から顎先)がしっかりしているので物質主義的なところがあります。物事をメリット・デメリットで考えるタイプの人です。そっくり親子に見えるかもしれませんが、相貌的には全然違います。どちらかというとお母さんの方が計算高く、自分のメリットを常に考えているタイプ。小室さんは「みんなの憧れのプリンス」になりたい、理想主義的なタイプ。だからこそ今の状況は不本意で、承認欲求も満たされておらず、彼のなかでは最悪な状態と言えます。小室さんはかなり葛藤されているのではないでしょうか」

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#天皇家

 この和子を知るのが、前篇のインタビューに登場したケズウィック家4代目、ヘンリー・ケズウィックだ。そのヘンリーが、ちょっとしたエピソードを教えてくれた。

「うちの祖父は昔、駐日英国大使だったんだが、母は若い頃、麻生和子と遊んでいたそうだ。和子と英国との結び付きは極めて強かったな」

 じつはヘンリーの母方の祖父フランシス・リンドリーは、昭和初期に駐日大使を務めた外交官で、娘のメリーも来日した。和子と同年代で、大使の父を持つ者同士、気が合ったのかもしれない。そのメリーと結婚したのがヘンリーの父、ケズウィック家3代目のトニー・ケズウィックだった。

 明治から大正、昭和と移って、糸が絡み合うように両家の絆が深まっていくのが分かる。

 やがて戦火が広がる中、彼らはどうやって事態を乗り越えようとしたか。それを物語る二つの機密解除文書がある。

 一つは、上海のトニー・ケズウィックからロンドンの幹部に宛てた書簡である。日付は1939年9月29日、ドイツ軍のポーランド侵攻で第2次大戦が起きて約1カ月後だ。文面には「中国における日本、ジャーディン・マセソンへの影響」とのタイトルがあった。

 すでに当時、中国の主要な港湾は日本軍が押さえ、かつてのように自由な貿易はできなくなっていた。このままでは、19世紀から築いてきた権益を全て失いかねない。幹部たちが焦燥を強める中、日本軍から一つの提案が持ち込まれた。ジャーディン・マセソンと日本軍、三井、三菱で共同の貿易会社を設立してはどうか、という。

 必要な船舶や港の手配、利益の送金など支援も約束された。国際的に孤立した日本は英国の、それも歴史ある会社をパートナーにイメージを改善、ジャーディン・マセソンも中国に留まり商売ができる。いわば、ウィンウィン(持ちつ持たれつ)という訳だ。

 だが、それは同社にとって、本国で“裏切り者”と非難される危険も意味した。実際、提案を知った英外務省は警戒感を露わにしたが、それでも、上海のトニー・ケズウィックは幹部に決断を促している。

「これは緊急事態であり、決断を遅らせても解決になりません。優柔不断は、中国での英国の利益にすでに十分な損害を与えました。われわれは中国に留まり貿易を続ける決意で、問題は、その最善の手段は何か、なのです」

 もう一つは、このトニーの弟で、同じくジャーディン・マセソン幹部のジョン・ケズウィックの文書だ。日付は太平洋戦争中の1942年10月15日、2ページの書簡に「中国・開(かい)ラン炭鉱の破壊」とタイトルがある。

 開ラン炭鉱とは河北省にある中国有数の炭田で、戦争中は日本軍の支配下に置かれた。そこへ工作員を潜入させ、または空爆で破壊すべきだという。

「この炭鉱の生産量は年間500万から600万トンに達し、日本の年間消費の約12パーセントに相当します。中でも、コークス用炭の消費の半分は開ランからで、これを攻撃すれば戦争遂行能力に重大な意味をもたらします」

 また坑内の湧水を排出するには常にポンプを動かさねばならず、

「これを48時間無力化すれば、坑内は水没して1年は生産できなくなるでしょう」

 およそビジネスマンと思えない物騒な文面だが、じつは当時ジョンは、英軍の特殊作戦執行部(SOE)に所属していた。SOEは戦時中に設立された組織で、枢軸国の支配地に潜入し、諜報や破壊活動を行う。その中国担当の彼は、日本の戦略物資を叩く作戦を提案したのだった。

 これらトニーとジョン、ケズウィック家3代目の兄弟が残した文書を読むと、その行動原理が分かって面白い。

 日中戦争で会社存亡の危機に瀕した時、彼らは日本軍と組んでも商売を続ける決意をした。決して日本を支持はしないが、中国から撤退するよりはるかにましだからだ。それは、トニーの書簡のthe lesser of two evils(二つの悪のうちでましな方)という言葉で分かる。

 だが、いざ戦端が開いて敵同士になれば、全力を尽くして戦うのみだ。そのため長らく中国で活動したケズウィック家の知識を惜しみなく提供する。この現実主義と柔軟性は、かつて徳川幕府から討幕派の薩摩と長州に乗り換え、武器を提供した初代、ウィリアム・ケズウィックを彷彿とさせた。

 1945年の夏、日本の無条件降伏でようやく戦争は終わり、ジャーディン・マセソンも活動を再開し始める。そして、この頃、彼らのビジネスの水先案内人と呼べる日本人が現れた。その男は吉田・麻生家と親しく、政財界にコネクションを持ち、日本での強い援軍になってくれた。

 それが吉田内閣の“ラスプーチン”と呼ばれた男、白洲次郎である。この白洲の名前を知る人も多いと思う。

 芦屋の裕福な実業家の家に生まれ、英国留学を経て戦前は近衛文麿総理のブレーン、戦後には吉田茂総理の側近を務めた。新憲法制定などでGHQと折衝し、通商産業省の創設にも関わった。

 1951年3月、ロンドンの事務所に移っていたトニー・ケズウィックに、東京支店から書簡が送られてきた。日本の国内情勢の報告だが、その中に「只見川水力発電計画」というのがある。

 近く電力業界が再編され、東北電力という会社が生まれる。その会長になる白洲は、福島の只見川で水力発電所を計画し、これに英国企業も参加させるべしという。そして吉田側近の白洲を「日本で最も影響力のある一人」とし、その政治力に期待をのぞかせていた。

 このトニーの息子で、後にジャーディン・マセソン会長になるのがヘンリーだが、彼も白洲次郎と面識があったらしい。

「戦後のうちと日本との結び付きは白洲、そして麻生和子だった。これまでの私は、良きアドバイザーに恵まれたと思う。自分のために動いてくれる賢明な人々を持つのは大切だ。今でも麻生家は親しい友人で、もし日本で大きな問題が生じたら、太郎に助言を求めるだろう。副総理と財務大臣を兼ねるのは極めて強力な地位だからね。もっとも、今は日本企業と組んでインドネシアなどでビジネスをしており、問題は抱えていないが」

 そして、このヘンリーの言葉は、じつはジャーディン・マセソンの歴史にとって重大な意味を持つ。19世紀以来、アジアでの成長を陰で支えてきた集団、コンプラドール」である。

 かつて帝国主義の全盛期、欧米の商人は競って中国に進出したが、そこで彼らは厄介な問題に直面した。言葉や商慣習の違い、有力者とのパイプ不足で、それを克服できるかどうかがビジネスを左右した。そこで、助け舟を出したのが「コンプラドール」だった。

 英語に堪能で、有力者との仲介を担う中国人で、当然、その働きに応じた報酬も支払われる。それを元手に商売を始め、短期で巨額の資産を築く者も現れたという。

 こう書くとすぐ“外資の手先”と非難するのもいるだろうが、話はそう単純ではない。じつは、中国のコンプラドールも歴史的評価は分かれる。ある者は中国の植民地化の手先とし、ある者は近代化の功労者とする。おそらく、その両方共に正しく、真実は中間辺りにあるのだろう。

 この意味で明治維新直後、ジャーディン・マセソンで働いた吉田健も、そうした一人だったと言える。

 前篇で述べたように、元福井藩士の健三は入社後、新政府との折衝で活躍、巨額の報酬を手にした。それを元手に事業を起こし、養子の茂が受け継ぐ財産を築く。やがて成長した茂は自民党の「吉田学校」を生み、今の政界につながる道を開いた。

 いわば、日本の歴史を作ったコンプラドールで、健三なしに子孫の麻生副総理はむろん、安倍内閣菅内閣もなかっただろう。

 興味深いのは、吉田茂が総理在任中、ジャーディン・マセソンとの関係を隠そうとした節もある事だ。

 1954年10月、吉田は欧米歴訪の途中で英国を訪れるが、滞在中、週末をエセックス州のトニー・ケズウィックの別荘で過ごした。それを当時の新聞は一切報じず、英外務省の記録では、ここで吉田は三井絡みのビジネスを話し合っている。総理自ら、民間の商売に介入しようとでもしたのか。そして日本の外務省による日程表では、ケズウィック邸訪問に「此の項発表せず」との注意書きがあった。

 幕末に来日したウィリアムから4代目、ヘンリー・ケズウィックも現在82歳、一昨年には甥のベン・ケズウィックに会長職を譲り、第一線から退いた。その彼が昨年夏、ロンドンの自宅で会った際、何気ない口調で「太郎は、あとどのくらい続けられるだろう」と訊いてきた。

 前篇で述べたように、彼と麻生太郎は若い頃から親友で、家族ぐるみの交際をしてきた。その麻生もすでに80歳、そろそろ政界引退も囁かれ始めた。その後継者がいつ、誰になるか、噂や憶測も出ているが、ここでヘンリーが意外な人物の名を口にした。麻生の長女の彩子である。

 彩子は東京大学を卒業後、英国に留学、その後出会ったフランス人と結婚したが、彼女の後見人的存在なのがケズウィック家らしい。ソファに深く腰を降ろしたまま、ヘンリーが穏やかな笑顔で続ける。

「彩子はフランス人と結婚して、今、パリに住んでるが、英国に来たらわが家で世話をするようにしている。つい最近も週末、子供たちを連れてうちに泊まっていったよ。私が見たところ、彩子は非常に頭が切れるし、精神的にもタフだ。いつか政界入りすれば、有力な政治家になれると思う。彼女が日本の総理大臣になれるよう願っているよ」

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【宇野正美】トランプ×バイデンの行方。ワ〇〇ン利権とコロナ。「講演会」2020年。

#ロシア侵攻

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エゼキエル書

「高校時代に1年間のアメリカ留学に行きました。当時はケネディ大統領のころで、アメリカの生活水準には驚くばかりでした。帰国して外交官に憧れ、東大法学部を目指したものの、学園紛争で東大の入試が中止になり、進学した慶應大も入学早々ストライキに入りました。社会全体が、“外交官か商社マンになりたい”などと言おうものなら、“人民の敵”と言われそうな雰囲気でした。目の前の道がふさがれたようで、心がポキポキッと折れてしまい、自分が何をしたいのかわからなくなりました」

「当時、幅広いジャンルの本を読めたことが、自分の中で大きな糧になっていると思います」

そんな中、偶然目に入ったのが、『わが歩みし精神医学の道』という本だった。内村鑑三の息子である内村祐之(ゆうし)が、精神科医として歩んだ人生論をつづった一冊だ。

「それが医学の道との初めての出合いでした。こんなにも人間味があふれ、人に喜んでもらえる仕事があるのかと。悩める心にビビッときたんです」

父親の反対を押し切って慶應大を退学して猛勉強。これ以上親には迷惑をかけたくないと、学費が無料の自治医科大に1期生で入学した。その後、医師としての進路に悩んでいた時に、ユニセフで働く高校のアメリカ留学時代の友人に「WHOで働いたら?」と言われたのがきっかけで、現在の道に進むことになったという。

紆余曲折はあったが、尾身氏の業績は、外交官と医師を掛け合わせたようなもの。今振り返れば、天職に行き着いたといえそうだ。

「『得手に帆を揚げる』ということわざの通り、自分の好きなこと、得意なことなら辛くても耐えられる。ただし、人生の入り口に立つ君たちに、“得手”とはそう簡単には正体を現してくれません。いま進むべき道に迷っている人がいたら、思う存分迷ってほしい。その間に自分自身に正直に向き合っていれば、いずれ“得手”を見つけられるはずです」

ja.wikipedia.org

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#宮沢賢治
斎藤宗次郎 - Wikipedia


勉強の意味と価値~受講生・受験生の皆さんへ第42弾(2020年12月30日)

#ユーザーイン

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#間釣り事

ビジネスの世界は、誰からも問題を与えられませんから、自分で問題設定をしなければなりません。ですから、論理構造を見て、どこが問題なのかを自分で考えなければならないんです。

なんでもくり返し掘り下げないといけないんですよね。でも、僕も経験があるからわかりますが、たいてい途中でやめてしまうものなんです。粘り強く、常に考えるということが重要なんだろうとも思います。

哲学は「万学の女王」と言われますが、「なぜ」を問いつづけることがいちばん根本的なところですね。教科書も「なぜ」という切り口で読んでみると、見え方が変わるかもしれません。

教科書を読むときに、みんな公式そのものは丸暗記しても、その公式の証明は読み飛ばしてしまいます。でも、大切なのは証明なんです。

数学なら公式証明、世界史ならそれがどういう時代なのかという説明など根本の部分が重要なのです。

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#勉強法

「後払い現金化」と呼ばれるこの商法は、1万円から20万円ほどの商品を代金後払いで販売する一方、商品のレビューを書き込む謝礼やキャッシュバックの名目で利用者に現金を融通するものです。

扱う商品は風景写真や電子書籍などさまざまで、期日までに支払うことを条件に、販売代金の半額程度の現金が申し込んだその日のうちに振り込まれます。現金がすぐに手に入る手軽さから感染拡大の影響で収入が減った人などが利用しているということですが、関係者によりますと、商品の多くはデータで提供されるだけで、事実上、現金のやり取りのみが行われているということです。

現状では貸金業法などの規制の対象になっていないため、販売サイトには「借金の履歴が残らない」「ブラックでもOK」などといううたい文句が並んでいます。

しかし、利用者が支払う代金は受け取った額のおよそ2倍、年利に換算すると数百%にあたるため、期日までに支払えず業者から悪質な取り立てを受けるトラブルが相次いでいるということです。

「後払い現金化」の業者は新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年3月以降に急増したとみられ、販売サイトは12月25日現在、確認できただけで61に上っています。

ヤミ金融の相談に応じる各地の司法書士事務所には、2020年夏以降、利用者からの相談が合わせて700件以上相次いでいます。

このうち、大阪市司法書士事務所には、7月ごろから「代金が支払えず困っている」といった相談が寄せられるようになりました。8月に100件を超えてからは月を追うごとに増え続け、11月は262件に上ったということです。

ほとんどが「借金の履歴が残らない」といううたい文句にひかれて申し込んだものの期日までに代金を支払えなかったケースで、勤務先に電話がかかってくるなど悪質な取り立てを受けたり、別の業者を利用して支払いに充てるうちに、多重債務の状態に陥ったりする利用者も多いといいます。

また、秋から特に相談が増えたという別の司法書士事務所では、新型コロナウイルスの影響で収入が大幅に減り、当面の生活費を得るためやむなく手を出してしまったという人が多いということです。

司法書士前田勝範さんは「感染拡大の影響で家賃や光熱費も払えないという人が増える中、本当に困っている人は目の前の今、現金がほしいと思っている。『後払い現金化』の業者はそこにつけ込み、暗躍している形だ。また、借金ではないという認識で一般のサラリーマンなども利用しているが、実態は法律で定められた上限の数十倍にあたる金利で貸し付けを行っているのと同じで、結果的に多重債務の状態に陥るケースは非常に多い。安易に手を出すのはやめてほしい」と話していました。

「後払い現金化」の利用者の中には、新型コロナウイルスの影響で減った収入を補おうとした結果、事実上の借金が膨らんでしまったという人もいます。

運送会社に勤める30代の男性は、感染拡大の影響で残業がなくなり、毎月の収入がおよそ8万円減りました。残業代を含めて家族4人をなんとか養っていた男性は生活が立ち行かなくなり、食費などの足しになればと7月に「後払い現金化」の業者を初めて利用しました。「借金の履歴が残らない」といううたい文句にひかれたといいます。

この業者は、SNSで収入を得るための情報を2万円で販売するとしていて、購入してレビューを書き込めばすぐに1万円をキャッシュバックするという内容でした。収入が大幅に減り困っていた男性は、その手軽さから迷わず申し込んだといいます。

商品はLINEに送られてきたPDFファイルだけでしたが、サイト内に「役に立った」というレビューをひと言書き込むと、すぐに1万円が振り込まれたということです。

男性は「当時はなんとか食べていかなければという思いが強かったので、現金が振り込まれた時は安どした」と話しています。

しかし、収入が回復しない中で倍の額の2万円を支払うことは難しく、1か月後の期日を迎えてしまったという男性。するとその翌日、勤務先にいきなり、業者から電話がかかってきました。貸金業の場合は法律で禁止されている行為です。

会社や家族に知られてしまうとあせった男性は、支払いを済ませるために別の業者を利用し、金を工面します。その後は、支払い期日が来るたびに別の業者を利用する悪循環に陥り、支払い額はわずか3か月間で2万円から13万円にまで膨れ上がったということです。

さらに、深夜・早朝を問わずLINEで「刑事告発する」などというメッセージを送りつけたり、個人情報をネットにさらすと脅したりする業者も現れ、男性は精神的に追い詰められてしまったといいます。

相談を受けた司法書士が業者と連絡を取ったところ取り立てはなくなったということで、男性は「はじめは『助かった』という思いでしたが、途中から借金と同じだと気付きました。家族に心配をかけたくない一心でしたが、手を出してしまったことを後悔しています」と話していました。

「後払い現金化」の業者が運営するサイトは、12月25日現在、確認できただけで合わせて61に上っています。

サイトの開設に必要な、インターネット上の住所にあたる「ドメイン」の取得時期をNHKが調べたところ、1つを除く60のサイトはいずれも2020年3月以降で、新型コロナウイルスの感染拡大後に急増したとみられることが分かりました。販売サイトで扱う商品は風景写真や電子書籍、絵画などさまざまで、最も多かったのは「収入を得るための情報を有料で紹介する」というものでした。

価格は1万円から20万円ほどで、いずれもその半額程度をキャッシュバックするとしていますが、関係者によりますと、商品はPDFファイルなどのデータで提供されるだけで、価格に見合う価値はないものがほとんどだということです。利用者が実際に商品として購入したPDFファイルの中には、別のサイトの文章やイラストを切り貼りしただけのものや、ネット上で誰でも閲覧できる状態になっているものもありました。

NHKは今回、販売サイトを運営する複数の業者に電話で取材し、ヤミ金融の認識について聞きました。このうち、風景写真を販売しているという業者は「商品を購入し、宣伝に協力してくれた利用者に早い段階で協力金を支払っているだけだ」として、ヤミ金融にはあたらないと主張しました。

一方、別の業者は「携帯電話でダウンロードできる商品を販売しており、貸金業ではない」としながらも「金融庁などから指導や指摘があればすぐに対応したい」と話していました。

ヤミ金融の問題に詳しい東京情報大学の堂下浩教授は、「『後払い現金化』は商品の売買という形をとっているが、実質的には金銭の貸し付けと回収という、貸金業を構成する2つの要素で成り立っている。また、利用者が受け取る現金と商品の代金の差を年利に換算すると法律で定められた上限を大幅に上回ることから、こうした商法は事実上のヤミ金融と考えられる」と指摘しています。

そのうえで「行政が具体的な手口や取り立ての実態を早急に把握したうえで、国民に注意を呼びかけていくことが必要だ」と話していました。

「後払い現金化」の業者が急増していることについて、金融庁は「売買の契約であっても実態からみて貸金業にあたる可能性は十分にあり、現在、手口や被害の状況について把握を進めている。今後は捜査当局とも連携して対応していきたい」とコメントしています。

そのうえで「目先の現金を得るため安易に手を出してしまうと、トラブルに巻き込まれるおそれがあるので注意してほしい」と話していました。

#法律

都内で1日に発表される人数としては、今月26日の949人に次いで、これまでで2番目に多くなりました。

また、水曜日としてはこれまでで最も多くなり、曜日ごとの最多を更新するのはこれで16日連続です。

年代別では、
▽10歳未満が11人、
▽10代が73人、
▽20代が249人、
▽30代が178人、
▽40代が150人、
▽50代が136人、
▽60代が60人、
▽70代が40人、
▽80代が34人、
▽90代が12人、
▽不明が1人です。

944人のうち、
▽およそ29%にあたる276人はこれまでに感染が確認された人の濃厚接触者で、
▽残りのおよそ71%の667人はこれまでのところ感染経路がわかっていないということです。

このほか
▽海外に渡航歴がある人が1人いるということです。

これで都内で感染が確認されたのは合わせて5万8840人になりました。

一方、都の基準で集計した30日時点の重症の患者は29日より1人増えて85人となり、ことし5月に緊急事態宣言が解除されたあとでは最も多くなりました。

また、都は、感染が確認された4人が死亡したことを明らかにしました。

これで都内で死亡した人は合わせて622人になりました。

雇用調整助成金は売り上げが減少しても企業が従業員を休業させるなどして雇用を維持した場合に国が休業手当などの一部を助成する制度です。

厚生労働省は、新型コロナウイルスの影響を踏まえ、1人1日当たりの助成金の上限額を8370円から1万5000円に、休業手当などの助成率を中小企業は最大100%に引き上げるなど、特例措置を実施しています。

厚生労働省によりますと、ことし2月から12月25日までに申請があったのは223万1178件で、支給が決まったのは216万9616件、金額にして2兆5093億円に上るということです。

厚生労働省は特例措置の期限を2021年2月末まで延長しましたが、3月以降については、上限額や助成率を段階的に縮小する方向で検討するとしています。

一方、雇用調整助成金の主な財源は企業が負担する雇用保険の保険料で、「雇用安定資金」として労働保険の特別会計で運用しています。

厚生労働省によりますと助成金の支給が急激に増えたことから「雇用安定資金」だけでは賄いきれず、今年度は失業給付などの財源となる積立金からおよそ1兆円を借り入れたほか、一般会計からおよそ1兆4000億円を繰り入れるなどして合わせて3兆3000億円余りの予算を確保しました。

厚生労働省によりますと「雇用安定資金」は今年度末には864億円とこれまでで最も少なくなる見込みで、失業給付などの積立金もこのままの状態が続けば、来年度末には1722億円と、過去最低だった2002年の4064億円を下回るとみられています。

新型コロナウイルスの影響が長期化する中で、どのようにして必要な財源を確保し雇用を守るための制度を維持していくのかが課題となっています。

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#政界再編・二大政党制


世界で加速「中国包囲網」中国で街から明かりが消えた…背景に「世界との対立」が?(2020年12月26日)

中国・上海の元弁護士の張展氏はことし2月以降、新型コロナウイルスの感染が拡大していた武漢に入り、当局の感染対策など現地の情報をインターネット上で発信しましたが、うその情報を流したとして当局に拘束され、今月28日、裁判所が懲役4年の実刑判決を言い渡しました。

これに対し元弁護士側は、不当な判決だとしています。

この判決について、アメリカのポンペイ国務長官は29日、声明を発表し「中国共産党は重要な公衆衛生に関する情報であっても党の公式見解に疑念を抱く人々を黙らせるためならなんでもすることを改めて示した」と非難しました。

そのうえで「武漢での新型コロナウイルスの感染拡大について、中国共産党は当初から情報を制限し、操作し、本当のことを伝えようとする人々を黙らせてきた」としています。

トランプ政権はこれまで、感染拡大の責任は中国にあると繰り返し強調してきましたが、今回、改めて厳しい姿勢を示した形です。

香港の民主活動家や学生など男女12人は2020年8月、香港から船で台湾に渡ろうとしたところ、中国海警局に拘束され、その後、密航の罪で起訴されました。12人はほとんどが香港での抗議活動に関連して逮捕・起訴されたあと保釈中で、香港国家安全維持法に違反したとして逮捕された民主活動家の男性も含まれています。

香港に隣接する中国南部の深※センの裁判所は30日の判決で、組織的な密航を主導したとして、男女2人に、それぞれ懲役3年と2年、民主活動家の男性を含むほかの8人には懲役7か月の実刑判決を言い渡しました。

また、拘束時18歳未満だった2人については、検察当局は不起訴とし、30日昼前、身柄が香港の警察に引き渡されたということで、香港の警察が今後、事情を聴くことにしています。

裁判所は、12人がいずれも罪を認めたとしていますが、詳しい審理の過程は明らかにしていません。

事件をめぐっては、12人の逮捕が明らかになって以降、家族側が、みずから選んだ弁護士による接見や家族の裁判の傍聴が認めらなかったとして厳しく非難していたほか、アメリカやイギリス、EUヨーロッパ連合からも、透明性を欠く審理だとして、強い懸念が示されていました。

※土へんに川。

#12港人

#反中国#対中露戦#習近平伏魔殿体制=旧体制

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#ビル・ゲイツ

バイデン次期大統領は29日、地元デラウェア州で当面の最大の課題だとする新型コロナウイルスへの対策について演説を行いました。

この中でバイデン氏は、今月中旬から始まったワクチンの接種について、「現在のペースを5倍か6倍に引き上げる必要がある」と述べ、来月20日の就任後100日間で、1億回分のワクチンを接種できるようにする考えを改めて示しました。

その実現のため、大統領の権限で民間企業に協力を求める「国防生産法」にもとづいて、ワクチンの原材料などの製造を加速させると表明しました。

さらに、ワクチンの安全性を広く呼びかける教育にも力を入れていくとしていて、29日には、ハリス次期副大統領がワクチンを接種する様子を公開しました。

アメリカでは、新型コロナウイルスで死亡した人が33万人を超え、クリスマス休暇で人々が集まる機会が増えたことなどからさらに感染が拡大することが懸念されています。

「多様性」の意味をすり替えてるから。

これは大統領選挙での敗北を認めていないトランプ大統領の陣営が29日、声明を出して発表したものです。

この中で陣営は、本人確認が不十分だなどとして一部の票を無効にするよう主張した訴えをウィスコンシン州最高裁判所が退けたことを不服として、連邦最高裁判所で改めて審理するよう求めています。

トランプ陣営は、来月6日に連邦議会で各州の選挙人による投票結果が集計されバイデン次期大統領の当選が正式に確定するのを前に判断を示すよう要望しています。

陣営は東部ペンシルベニア州最高裁が示した判断をめぐっても連邦最高裁での審理を求めていますが、こうした訴えについて、アメリカのメディアは専門家を引用する形で認められる可能性は極めて低いと伝えています。

選挙結果の確定を来週に控えた段階でも、法廷闘争を続ける異例の事態に、身内の共和党からもトランプ大統領と距離を置く議員が出てきているほか、大統領を支持してきたメディアも批判を強めています。

#米大統領

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#ロン・ポール

変異した新型コロナウイルスの感染が拡大しているイギリスでは、1日あたりの新たな感染者数が、これまでで最も多かった前の日より1万人以上増えて5万人を超えました。病床がひっ迫するのではないかという懸念が強まっています。

イギリスでは、ロンドンを含むイングランドの南東部などで感染力が強いとされる変異した新型コロナウイルスの感染が広がっていて、外出制限を含む厳しい措置がとられています。

イギリス政府は30日、アストラゼネカとオックスフォード大学が開発したワクチンについて、安全性と品質、そして効果は厳格な基準を満たしており承認すべきだとする規制当局の勧告を受け入れ、承認したと発表しました。

アストラゼネカは、接種する量によって、高い場合90%、低い場合62%、平均で70%の有効性が確認されたとする臨床試験の分析結果を医学雑誌で発表しています。

また、ワクチンに関連する深刻な健康への影響はみられなかったとしています。

イギリスでは、すでにアメリカの製薬大手ファイザーなどが開発したワクチンの接種が始まっていて、新型コロナウイルスのワクチンの承認は今回で2例目です。

接種の対象は18歳以上で、1回目の接種のあと、4週間から12週間の間隔をおいて2回目の接種を行うことになっていますが、専門家による諮問委員会は2回接種するよりもまずはリスクの高い人々への1回目の接種を優先すべきだとしています。

イギリス政府は、このワクチンを1億回分確保していて、来月4日から接種を始める予定です。

今回の承認は、ファイザーのワクチンと同様、緊急的な措置とされ、1年後に安全性などについての見直しが行われることになっています。

日本政府は、開発に成功した場合、6000万人分の供給を受けることでアストラゼネカと基本合意していて、今回の承認で日本が供給を受ける予定の3種類のワクチンが、欧米で承認または許可を受けたことになります。

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フランスの世界的なファッションデザイナーのピエール・カルダン氏が亡くなりました。98歳でした。

ピエール・カルダン氏は1922年にイタリアで生まれ、幼い頃に両親とフランスに移住しました。

仕立て屋などでの下積みを経て、ファッションデザイナーのクリスチャン・ディオール氏のもとで働いたあと、1950年に独立しました。

富裕層向けのオーダーメードの服が主流だった1959年に「庶民向けの服を作る」として既製服の市場に参入し、その後、外国にも進出して世界的なブランドを築きました。

日本を初めて訪れた1950年代後半には、体に直接布地を当てて裁断し曲線的なシルエットを作る手法を紹介し、日本のファッション界に新たな風を吹き込みました。

カルダン氏は10年前、88歳で来日した際、NHKのインタビューに応じ、自身にとってのぜいたくな時間について「働いて、夢中になり、すべてを忘れて仕事にのめり込んでいるときです」と答え、その後も創作活動を続けました。

カルダン氏の家族は、カルダン氏が29日、パリ近郊の病院で亡くなったと明らかにしました。

98歳でした。

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#EU

29日のニューヨーク株式市場ダウ平均株価の終値は、前の日に比べて68ドル30セント安い、3万335ドル67セントでした。

値下がりは4営業日ぶりです。

新型コロナウイルスのワクチン普及への期待などから、この日も値上がりして取り引きが始まり、ダウ平均株価は取り引き時間中の最高値を更新しましたが、その後は売り注文が優勢となりました。

依然、感染拡大に歯止めがかからないことや、高値への警戒感から、当面の利益を確保しておこうという動きが強まりました。

一方、IT関連銘柄の多いナスダック、それに「S&P500」の株価指数も、取り引き時間中の最高値を更新したあと、いずれも値下がりに転じています。

日経平均株価、30日の終値は29日より123円98銭安い2万7444円17銭。

東証株価指数=トピックスは14.50下がって、1804.68。

▽1日の出来高は8億7819万株でした。

ことしの株式市場は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて景気の先行きへの懸念が急速に高まり、日経平均株価は3月中旬に1万6000円台まで下落しました。

しかしその後、日銀やアメリカのFRB連邦準備制度理事会などによる大規模な金融緩和や各国政府の経済対策の下支えもあって、厳しさが続く実体経済とかい離する形で株価の上昇が進みました。

その結果、日経平均株価のことしの終値は、去年の年末と比べて3787円55銭、率にして16%上昇し、年末の株価としては1989年以来、31年ぶりの高い水準で取り引きを終えました。

市場関係者は「29日の日経平均株価の値上がりを受けて、利益を確保しようとする投資家の売り注文が優勢だった。今後は、アメリカの経済対策に盛り込まれた現金給付を増額する法案の行方が注目されている」と話しています。

ことしの大納会は、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、出席者を例年の15分の1に減らして行われました。

はじめに、東証を傘下に持つ日本取引所グループの清田瞭CEOが「ひと言で言えば、新型コロナウイルスに振り回された1年だった。ただ、市場はV字回復して、1年通して見ると堅調な相場展開となった」と、ことしを振り返りました。

このあと、ことし新規に上場した企業の社長らが取引所の鐘を鳴らして来年の株価上昇を願い、恒例の手締めをして、ことし1年の取り引きを締めくくりました。

ことしの東京株式市場は、新型コロナウイルスの感染拡大で3月に大きく値下がりしましたが、大規模な金融緩和と経済対策の下支えもあって9月には、感染拡大で急落する前の水準を取り戻しました。

そして30日の日経平均株価終値は、年末の株価としては1989年以来31年ぶりの高値となり、歴代3位でした。

また、ことしの株価の最高値と最安値を比べた年間の株価の振れ幅は1万1000円余りで歴代2位となるなど、記録ずくめの1年となりました。

年末としては31年ぶりの高値となったことしの日経平均株価新型コロナウイルスの感染拡大で一時、大きく下落しましたが、その後はV字回復を遂げ、その値動きをジェットコースターに例える市場関係者もいるほどでした。

ことしの日経平均株価は2万3000円台からのスタートでした。投資家の間では当初、新型コロナウイルスの影響は強く意識されず、株価は1月半ばに2万4000円台に上昇。

しかし、その後新型コロナウイルスの感染が拡大し、世界的に人やモノの動きが制限されると、金融市場では世界経済の先行きに対する悲観論が一気に広がりました。

2月24日にはニューヨーク株式市場でダウ平均株価が1000ドル以上値下がりすると、25日の東京市場でも終値で780円余り下落。

3月に入ってからは、1日で1000円以上値下がりする日もあったほか、中旬には1週間の値下がり幅が3300円を超えました。1週間の下落幅としては1987年のいわゆるブラックマンデーの週の下げ幅を超えて、過去最大となりました。3月19日の終値1万6552円83銭は、ことしの最安値です。

こうした状況に各国の中央銀行は危機感を強め、相次いで大規模な金融緩和に踏み切ります。

アメリカのFRB連邦準備制度理事会は3月の臨時会合で、政策金利を1%引き下げて事実上のゼロ金利政策を導入。

直後に日銀も金融政策決定会合を初めて前倒しで開き、多くの株式をまとめて作るETF=上場投資信託の買い入れ額を倍増させるなど、金融市場に大量の資金を供給することを決めました。

また、各国の政府が巨額の財政出動によって経済を下支えする姿勢を鮮明にしたことで、金融市場は次第に落ち着きを取り戻していきます。日経平均株価は4月30日に終値で2万円台を回復。

6月中旬には、新型コロナウイルスの感染の第2波への懸念から、1日で700円以上値下がりする局面もありましたが、欧米でワクチンの開発が一段と進むという期待感もあって株価は上昇傾向を強め、9月3日には2万3465円53銭まで上昇しました。半年余りで、株価が急落する前の水準を取り戻したのです。

11月には、アメリカの大統領選挙で民主党のバイデン氏が勝利する見通しとなり、6日に29年ぶりの高値をつけます。その後、アメリカの追加の経済対策の法案の成立にめどがつくと、投資家はさらにリスクを取る姿勢を強めました。

29日、日経平均株価は1日で700円以上上昇して2万7568円15銭となり、いわゆるバブル景気が終わったあとの最高値を更新し、30年4か月ぶりの高値となりました。

3月につけたことしの最安値と29日の最高値を比べると、値幅は1万1015円余りで、1990年以来、歴代2番目の大きさとなりました。

ことしの株価について、第一生命経済研究所の熊野英生首席エコノミストは「コロナに始まり、コロナで終わったと言っても過言ではない。『ジェットコースターのよう』と言われるが、こんなにアップダウンが激しい値動きは何年も見たことがない」と振り返りました。

そのうえで「今の株式市場は、ワクチンの効果を先取りし、世界全体で広く普及すれば経済が正常化に向かうという期待を強く織り込んでいて、実体経済と株価は大きくかい離している」と指摘しています。

来年の株価を見る際の注目点について、熊野さんは、「ワクチン」「アメリカのバイデン次期大統領」「日本企業の収益」の3つを挙げました。

熊野さんは「年前半にかけてはワクチンの接種が順調に進み、実際に効果が確認できるかどうか、また、バイデン次期大統領が示す経済政策の内容が注目される。後半に入ると、日本企業の収益が市場が予想しているように回復に向かっているかがポイントになる」としています。

そのうえで「いずれも期待していたような内容でないことが確認されると、期待が先行し過ぎたという見方が強まって、株価は下落局面に入る可能性もある」と話しています。

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#マーケット

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#食事#おやつ#レシピ

横浜税関によりますと、全国の港や空港から輸入されたスパゲッティの量はことし10月末の時点でおよそ14万2000トンでした。

これは、3年前の1年間の輸入量を4000トンほど上回り、過去最多となりました。

また、マカロニもことし10月までの輸入量が1万1000トン余りに上り、過去最多だった4年前の1年間の輸入量とほぼ並んでいるということです。

新型コロナウイルスの感染拡大による一斉休校や外出自粛などの影響で起きた、いわゆる『巣ごもり需要』で、家庭で手軽に調理できて子どもにも人気があるスパゲッティなどの消費が増えたとみられるということです。
横浜税関の担当者は「スパゲッティはもともと需要が高い食材だが、10か月間で過去の1年間の輸入量を上回ることは予想もしなかった」と話しています。

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ルノアール」へ行く。

ルノアール」と言えば日本茶のサービスだが、今日はそれがなかった。グラスの水も注ぎに来なかった。

夕食は麻婆茄子、蒲鉾、ワカメと玉子のスープ、ごはん。

デザートは「ルージュ・ブランシュ」で買ってきたケーキ。

#食事#おやつ

#気象・災害

#天皇家


【おうちで料亭ごはん】Vol.23 いもぼう平野家本家/えびいもの白味噌雑煮

#食事#レシピ


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#食事

#アウトドア#交通

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直弼自身は、勅許なしの条約調印には反対であった。6月中旬、清国でアロー戦争が休戦となったことをきっかけに、ハリスは神奈川沖まで廻航し、戦勝の勢いに乗った英仏連合艦隊が日本に来航し、前年に結ばれた下田条約を超える内容の条約を要求してくるであろうから、速やかに米国と条約を締結してこれに備えるべきと勧告してきた。これを受けて6月18日に行われた幕閣会議では、直弼と若年寄・本多忠徳のみが勅許を得てからの条約調印を主張した。急ぎ勅許を得る間、調印を引き延ばすようハリスと交渉するため、井上清直と岩瀬忠震を派遣したが、即刻の調印を目指していた井上と岩瀬は、やむを得ない場合は調印していいかと直弼に尋ね、直弼は「その場合は致し方ないが、できるだけ引き延ばすように(已むを得ざれば、是非に及ばず)」と答え、列強から侵略戦争を仕掛けられる最悪の事態に至るよりは、勅許をまたずに調印することも可とした。これを受け、井上と岩瀬は調印承諾の言質を得たと判断して、6月19日にポーハタン号のハリスのもとに行くとその日のうちに日米修好通商条約に調印した。交渉にあたり、停泊中の艦隊各艦から、定期外号砲を何度も撃ち鳴らして井上たちを脅かした上、ハリスから、天津条約調印のために清国に展開中の英仏艦隊が、愈々近日中に日本にむけて出航準備中であるから、すぐにでも米国と条約を結ばなければ日本は英仏両国に占領されるであろう、とブラフをかけられたという。実際には、英仏両国艦の清国出発は1ヶ月以上後を予定しており、再度朝意を伺うのに十分な期間があったことになる。事実、ハリスは未だ在香港中の英仏両国国使に手紙を出して、両国使の訪日に先立って米国が日本との条約に漕ぎつけたことを自慢している。

勅許を得られぬまま条約調印が行われた事態に直弼は大老辞職の意思を宇津木景福ら側近に漏らしたが、宇津木らに「いま辞職すれば一橋派を利するだけである」と諫言されて翻意している。6月23日、直弼はこれまでの朝廷工作失敗の責で堀田正睦を、また対外交渉にあたって朝意を全く意に介さなかった責で松平忠固を、共に老中職から罷免し、代わって太田資始、間部詮勝、松平乗全の3名を老中に起用した。

6月24日、徳川斉昭松平慶永水戸藩主・徳川慶篤尾張藩主・徳川慶恕が江戸城に無断で登城した。斉昭らは幕府の違勅調印を非難し、事態収拾のため一橋慶喜を将軍継嗣とすることと松平慶永大老就任を要求したが容れられなかった。翌25日、幕府は徳川慶福の将軍継嗣決定を公表した。7月5日から6日にかけて、幕府は斉昭ら4名と一橋慶喜に隠居、謹慎、登城停止などの処罰を行った。慶福は名を徳川家茂と改め、12月1日に将軍宣下を受けた。

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一方、江戸城の評議から彦根藩邸に戻った直弼は、側役兼公用人の宇津木景福(うつぎかげよし)に、「帝のご意向に沿って、諸大名を招集し、考えを聞いた上で決定すべきではなかったでしょうか」とたしなめられ、我に返ります。

そして「そこに思い至らなかったのは、無念の極み。進退伺いするより他なし」と、自分の決定が十分に衆議を尽くしていなかったことに責任を感じ、大老辞任を口にしました。

しかし、今、大老を辞任しては、条約問題の責任が将軍にまで及びかねず、ここに至ってはもし勅許を得ずに調印となっても、事態の打開に努めるべきと側役たちから諫言され、直弼は辞任を撤回し、弱気の虫を振るい払って、政敵との対決に臨むことになるのです。

「宗観院柳暁覚翁大居士」。直弼の戒名です。これは安政2年(1855)、直弼が江戸出府にあたり、自ら選んで、菩提寺に奉納したものでした。幕政に関わる以上、捨て身で臨む覚悟を直弼は3年も前に固めていたのです。

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御前会議

#テレビ