フランスの電力会社エンジーは、ロシア国営ガス会社ガスプロムから30日からガス供給を減らすと通知されたと発表した。詳細は明らかにしていないが、契約の適用に関する意見の相違が理由としている。
エンジーは声明で「既に発表したように、エンジーは顧客に約束した分および自社の必要量をすでに確保している。ガスプロムの供給中断で起こり得る直接的な財務・物理的影響を大幅に軽減する措置を講じている」と説明した。
ガスプロムからは今のところコメントを得られていない。
ガスプロムからエンジーへの供給は、ウクライナ戦争開始以降、大幅に減少し、直近の月間供給量は1.5テラワット時(TWh)。モーニングスターによると、2021年にガスプロムはエンジーに121TWhのガスを供給。これは調達全体の20%に相当するという。
仏エネルギー移行相の側近はロイターに対し、ガスプロムは契約を守っていないとしながらも、フランスはエネルギー供給を多様化しており、今回の削減で冬のガス供給が損なわれることはないとの見方を示した。
また、仏政府報道官は夏の終わりまでにガスの備蓄を満たせることを再確認。ラジオで「予定より早く進んでいる」と述べた。政府によると、現時点で備蓄は約90%満たされている。
ボルヌ仏首相は29日、ガス・電力供給を制限せざるを得なくなった場合、最初に打撃を受けるのは企業だとし、全企業に9月中に省エネ計画を策定するよう求めた。
フランスのロシア産ガスの依存度は欧州では低く、ガス消費量の約17%にとどまる。
フランスの大手エネルギー会社エンジーは30日、ロシアの政府系ガス会社ガスプロムから「契約に関する不一致がある」として、30日から天然ガスの供給を減らすと通知されたと発表しました。
これについてエンジーは「すでに顧客への必要な供給量は確保するなど、影響が出ないように対策を講じている」としています。
フランスではボルヌ首相が29日、「ロシアがヨーロッパへの天然ガスの輸出を完全に停止すれば、その影響は甚大だ」と述べ、国内の企業に対して9月中に省エネ計画をまとめるよう求めていました。
ロシアからの天然ガスをめぐっては、ガスプロムが今月31日から3日間、設備の点検のためドイツ向けの供給を停止するとしていて、ヨーロッパ市場では26日、天然ガスの先物価格が過去最高値となるなど、影響が懸念されています。
フランスのロシアに対する天然ガスの依存度は消費量の17%と、ドイツなどに比べて低いものの、冬に向けて政府が企業にも省エネを呼びかける中、エネルギー事情は一段と厳しさを増しそうです。
これについてフランスのエネルギー転換省は、NHKの取材に対し「今回のガス供給の削減は、契約を尊重せず、顧客への供給を削減してきたガスプロムによる数か月にわたる対応の結果だ。フランスは供給源の多様化や備蓄の増加などを通じて、こうした対応に備えてきており、国内での安定的なガスの供給を損なうものではない」とするコメントを出しました。
フランスは30日、ロシア国営ガス会社ガスプロムが仏顧客への供給を削減し、欧州に天然ガスを送る主要パイプライン「ノルドストリーム1」を31日から3日間停止すると発表したことを受け、ロシア政府がエネルギー供給を「戦争の武器」として利用していると非難した。
ノルドストリーム1の稼働率はすでに20%に低下しているほか、ノルドストリーム1のガス供給停止が延長される恐れもあり、欧州はさらなる供給不足に陥る可能性がある。
ガスプロムは点検を理由に、ノルドストリーム1を通じたガス供給を31日から9月3日まで停止すると発表した。
ロシアのペスコフ大統領報道官は、ガスプロムがノルドストリーム1にガス供給を再開する保証はあるかという質問に対し、「(西側諸国による)対ロシア制裁を受けた技術的な問題を除けば、ガス供給を妨げるものはないという保証がある」と語った。
これに対し、フランスのパニエリュナシェ・エネルギー移行相は「ロシアがガスを戦争の武器として使っているのは明白で、供給が完全にストップするという最悪のシナリオに備える必要がある」と述べた。
また、仏電力会社エンジーは、ガスプロムから、30日からガス供給を減らすと通知されたと発表。詳細は明らかにしていないが、契約の適用に関する意見の相違が理由としている。
欧州連合(EU)は9月9日に臨時のエネルギー相会合を開催し、エネルギー危機を巡り協議する。
ドイツ政府は欧州ガス価格への上限設定を検討することに前向きで、複数のイタリア紙によると、ハーベック独経済相が欧州の各エネルギー担当相にテキストメッセージを送り、9月9日の会合でガス価格上限設定を提議する可能性を示唆したという。
イタリアのドラギ首相もガス価格上限を要請してきている。
ロシアの国営メディアによりますと、ガスプロムは、ロシアとドイツを結ぶヨーロッパ最大規模の天然ガスパイプラインノルドストリームを通じた供給を31日午前4時、日本時間のきょう午前10時から停止すると明らかにしました。
ロシア側の設備の点検が理由で、9月3日午前4時までの3日間の予定だとしています。
ガスプロムは、すでにノルドストリームを通じた供給量を本来のおよそ20%にまで絞っています。
暖房需要が増える冬を前にヨーロッパでガス不足への懸念が広がる中、このパイプラインでの供給が点検を理由に停止されるのは、先月に続いて2度目で、ドイツなどヨーロッパの国々は、ウクライナ情勢を巡り欧米と対立するロシアがエネルギーを武器に揺さぶりをかけていると警戒を強めています。
今回の停止を巡っては、今月中旬にロシア側が発表して以降、ヨーロッパの天然ガス市場で供給停止が長期化するとの懸念から先物価格が高止まりしていて、停止が予定どおり3日間で終わるのかが焦点となります。
またガスプロムは30日、フランスの大手エネルギー会社エンジーに対する天然ガスの供給を一時的に停止すると発表しました。
発表によりますと、供給の停止は9月1日からでことし7月分の供給に対する代金の支払いがなかったことが理由だとしています。
さらにガスプロムは、今回の措置はことし3月に出された大統領令に基づくものだとした上で、代金がすべて支払われるまで、供給の停止を続けると通告したとしています。
ロシアからフランスへの天然ガスをめぐっては30日、エンジーがガスプロムから供給を減らすと通知があったと発表していました。
欧州では人々がアイロンがけをやめ、オーブンを使うのを制限し、帰宅前に職場でシャワーを浴びるなど、必死で家庭内の省エネに努めている。それでも光熱費の負担は増大する一方だ。
天然ガスと電力の卸売り価格が高騰するとともに、欧州では何百万人もの所得に占めるエネルギー支出の比率が過去最大に達していることが各種データで分かる。
英イングランド地方東部グリムズビーに住むフィリップ・キートリーさんの場合、英国が記録的猛暑に襲われたこの夏も、扇風機の電源を入れなかった。銀行口座の残高を見て、電気代が払えないと知っていたからだ。「生活費は増えたが、収入は(エネルギー)危機前の金額しか期待できず、私は食費と光熱費のどちらか1つしか確保できない」と窮状を語る。
欧州大陸諸国でも事情は変わらない。ロシアのウクライナ侵攻と西側による対ロシア制裁、さらに「ポストコロナ」の需要拡大が加わってガス、電力、燃料の価格が高騰しているため、市民は自発的な省エネ活動に勤しんでいる。
欧州ガス価格の指標となるオランダTTFは過去12カ月で550%も上昇。英ガス電力市場監督局(Ofgem)は26日、家庭の電気・ガス料金が10月から80%引き上げられ、標準世帯で年3549ポンド(4188ドル)になると表明した。
こうした中で欧州各国政府は急いで家計支援策を打ち出したものの、データを見る限り大きな効果は得られていない。
環境問題を扱う専門情報サイトのカーボン・ブリーフが政府統計に基づいて計算したところでは、英国民はこの冬、世帯収入の平均10%をエネルギー(ガス、電力、暖房油、ガソリン、軽油など)に支出する見通しだ。
この点では現在のエネルギー危機は、1970年代と80年代に経験した石油ショックよりも深刻と言える。西側では産油国の禁輸措置や1979年のイラン・イスラム革命で停電が発生し、ガソリンスタンドには長蛇の列が発生。ところが当時危機がピークを迎えた1982年でも英国で世帯収入に占めるエネルギー支出は9.3%だった。
英慈善団体ナショナル・エナジー・アクション(NEA)は、電気・ガス料金の上限が跳ね上がる10月以降にエネルギー面で貧困に陥る家庭は、昨年10月の450万世帯から890万世帯に増加しかねないとみている。
NEAなどの慈善団体の定義では、低所得層が収入のうち10%以上をエネルギー支出に回す必要が出てくると、「エネルギーの貧困」とされる。NEAの政策・意見ディレクター、ピーター・スミス氏は「われわれが目にしているエネルギー料金の上がり方は全く過去に例がない。低所得家庭の収入に占めるエネルギー支出が不相応に高まる歴史的傾向も引き続き見られる」と指摘した。
<過去の危機より値上がり>
キートリーさんは4月に失業し、現在は毎月600ポンドの生活保護で暮らす。その半分は家賃の支払いに充て、残りで生活必需品をかろうじて賄っている。
今は食事も1日1回しか取らず、エネルギー消費を最低限に抑えているにもかかわらず、収入に占めるエネルギー支出は15%を超える。
フィナンシャル・フェアネス・トラストが行った調査によると、英国の3分の1の家庭は調理家電やオーブンの使用、またシャワーを浴びる回数を減らしている。この調査にかかわったブリストル大学のシニアリサーチ・アソシエート、ジェイミー・エバンス氏は「人々はエネルギー費用圧縮のため多大な努力をしているが費用は上がり続けている。だからこそわれわれは政府に追加的な対応を求めたい」と訴えた。
イングランド地方の南東部に住むドーン・ホワイトさん(59)は腎不全を抱えており、このまま光熱費の上昇が止まらなければ命をつなぐための治療費が払えなくなると不安を募らせている。ロイターに「1週間に5回、20時間の(人工透析)機器がなくなれば、私は生きていられない」と打ち明けた。
国際エネルギー機関(IEA)の指数によると、ほとんどの欧州先進国の家庭に適用されるガス価格は今年初め、1970年代や80年代、2000年代に起きた過去のエネルギー危機のピーク時を超えた。
欧州は他の先進地域に比べても負担が重い。今年第1・四半期末までの段階では、経済協力開発機構(OECD)のガス指数はまだ過去の危機のピークに達していなかった。
IEAのデータを1978年までさかのぼると、過去40年の平均的な天然ガス価格は確かに米国家庭向けの方が高い。しかし欧州家庭向け価格は今年になって米国家庭向けを上回った。
<独伊が最も痛手>
欧州連合(EU)加盟国の中で、ガス価格高騰で最も痛手を被っているのはイタリアとドイツの家庭であることを、IEAのデータは示している。
イタリアの平均的家庭のエネルギー支出(主にガスと電気)が世帯支出に占める比率は今年7月、2019年の3.5%から5%に上昇した。OECDのデータによると、この7月の水準は1995年以降で一番高い。
価格ポータルのチェック24が集めたデータからは、ドイツ家庭の7月のエネルギー費用も、昨年に比べて2倍以上に膨らんだことが見て取れる。ミッドテラス住戸に住む家庭に適用される暖房油の5月分価格は前年比78%上がった。
フランクフルト北東のニッダに暮らすエルカン・エルデンさん(58)は、自身が働くミネラルウオーター工場で「仕事終わりにシャワーを浴び、ひげをそる毎日だ」と話した。
米石油大手エクソンモービルは、ロシアにおける主要石油・ガス事業からの撤退が認められないのであれば、ロシア政府を提訴する意向をロシア当局に通告した。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが30日、関係筋の情報として報じた。
ロシアは、ウクライナ侵攻を受け対ロシア制裁を科している「非友好国」の投資家によるロシアの主要エネルギー事業や銀行などの株式売却を年末まで禁止。これにはエクソンが撤退を表明している石油・天然ガス開発事業「サハリン1」など、海外投資家が権益を持つ金融およびエネルギー関連の主要事業のほぼ全てに適用される。
エクソンの広報担当者は、ロシア政府に相違点を通知したことを確認し、「撤退は複雑なプロセスで、従業員や環境、事業の安全を守る必要がある」とした。
ウクライナのポドリャク大統領府顧問は30日、SNSに「ロシアは、IAEAの専門家チームがザポリージャ原発に向かうための経路を意図的に砲撃している」と投稿し、ロシアがIAEAの調査を妨害しようとしているとして非難しました。
一方、ロシア国防省は30日「ウクライナ軍は、この24時間のうちに原発の敷地内に2発の砲弾を撃ち込んだ」として、ウクライナ側が原発への攻撃を続けていると主張しました。
また、ザポリージャの一帯を掌握する親ロシア派の幹部も30日、SNSで「原発がけさ、ウクライナ軍から砲撃を受けた。グロッシ事務局長が率いるIAEAの任務を妨害するのが目的だ」と主張していて、双方の非難の応酬が続く中、専門家チームの調査が順調に行われるかが焦点となっています。
ウクライナ南東部にあるザポリージャ原発の周辺で砲撃が続く中、EUは、30日、甲状腺の被ばくを抑えるヨウ素剤の錠剤、500万個余りをウクライナに提供すると発表しました。
ウクライナ政府からの要請を受けたもので、服用が必要な事態に備えるためだとしています。
一方、EUは30日、チェコで国防相会議を開き、ウクライナへの軍事支援について協議し、EUとしてウクライナ軍を対象にした訓練を行うことで合意しました。
EUの加盟国では、すでにフランスなどが、特定の兵器を供与するにあたってウクライナ軍の兵士に使い方について訓練を行っているということです。
今回、EUとして訓練を行う意義について、ボレル上級代表は記者会見で「ウクライナが必要とする訓練は短期的なものから長期的なものまである。加盟国の能力を集約し、それぞれの得意分野を探すことでウクライナのニーズに一層応じることができる」と述べ、実施に向けて準備を急ぐ考えを強調しました。
ウクライナ南東部にあり、ロシア軍が掌握するザポリージャ原子力発電所では相次ぐ砲撃によって重大な事故への懸念が高まっていて、IAEAのグロッシ事務局長が率いる専門家チームが調査を行うため現地に向かっています。
グロッシ事務局長は、30日、首都キーウでゼレンスキー大統領と会談しました。
このなかでゼレンスキー大統領は「原発からすべてのロシア軍部隊が爆発物や武器とともに排除されて直ちに非武装化されるとともに 原発とその周辺に非武装地帯を設けることを世界は支持している」と述べました。
さらに、原発をウクライナ政府の管理下に完全に移すことでしか危険を取り除くことはできないという考えを強調しました。
アメリカのメディアによりますと調査は31日から9月3日までの間、行われる予定だということです。
調査について、ロシアの新聞「イズベスチヤ」は30日、ザポリージャ州の一帯を掌握した親ロシア派のトップが、調査に同行し原発の状況などを説明する予定だと伝えています。
こうした中、ウクライナ軍は29日、南部ヘルソン州のロシア軍が占領する地域で新たな攻勢に乗り出しました。
これに対し、ロシア国防省は30日、「ウクライナ軍の攻勢を打ち負かし、ウクライナ軍は兵士1200人以上が殺害された」などと主張しました。
ウクライナ軍は、ロシアが支配する拠点の橋や、弾薬庫を攻撃してロシア軍の補給路に打撃を与えてきたとみられていて南部の領土奪還に向けた本格的な反転攻勢につながるのか注目されています。
ウクライナのゼレンスキー大統領は30日、南部奪還に向けて反転攻勢を開始したことを受け、ロシア軍に逃亡を促した。一方、ロシア側は攻撃を撃退し、ウクライナ軍に大きな損害を与えたと主張した。
ウクライナ南部軍司令部は前日、ロシア軍に対する反撃をヘルソン地域を含む南部で開始したと発表した。
ゼレンスキー大統領は30日夜の演説で「もし生き延びたいなら、ロシア軍は逃げ出すときだ」とし、ウクライナが領土を奪還しつつあると述べた。また、戦闘計画については詳細を明かさないとした。
これに対し、ロシア大統領府のペスコフ報道官は、ロシアはウクライナでの計画を整然と進めているとし「われわれの目標は、全て達成される」と強調した。
<激しい戦闘>
ウクライナのオレクシー・アレストビッチ大統領顧問は、ヘルソン地域におけるロシア軍の防衛線は「数時間で突破した」と指摘。ただ、数多くの防衛線のうちどれを指しているのかは不明。
また、アレストビッチ氏は、ウクライナ軍がドニエプル川西岸でロシア軍が補給に使用しているフェリーを砲撃していると述べた。
ウクライナ軍の報道官は30日、ロシアが建設しようとした舟橋やフェリーを破壊したと明らかにした。
英当局は、ウクライナが南部戦線全域で砲撃を強化したが、領土奪還の程度を確認することは、まだできないと述べた。
<ザポロジエ原発が焦点に>
一方、ロシア軍の管理下にあるウクライナ南東部のザポロジエ原子力発電所を巡っては、ウクライナ軍が過去24時間に砲弾2発を発射し、原発の使用済み燃料貯蔵棟周辺で爆発させたとしてロシア国防省が非難。ウクライナ側からは直ちにコメントは得られなかった。
ロシアによると、放射線量は正常だという。
国際原子力機関(IAEA)の調査団は今週、欧州最大の同原発を訪れ、検査や損害の評価を行う。ウクライナ大統領府は、IAEAのグロッシ事務局長が30日に首都キーウ(キエフ)でゼレンスキー大統領と会談したと明らかにしたが、詳細には触れなかった。
欧州連合(EU)の外相に当たるボレル外交安全保障上級代表は30日、EUはプラハで開催した国防相会合で、ウクライナに対するEUの軍事支援団の設立に必要な作業を開始することで合意したと発表した。
国防相会合後、記者団に対し、「多くの訓練計画が進行中だが、その必要性は膨大であり、これらの取り組みの一貫性を確保する必要がある」と指摘。「全ての加盟国が、ウクライナに対するEUの軍事支援団のパラメータを定義するために必要な作業を開始することに明確に合意した」と述べた。
d1021.hatenadiary.jp
NATOストルテンベルグ「ウクが今、戦闘をやめたら独立した主権国家として存在しなくなる。だからこそ軍事的支援を強化する必要があるのです。
#NATOexpansion
d1021.hatenadiary.jp
#反ロシア#対中露戦
ゴルバチョフ氏は、1931年、ロシア南部で生まれ、共産党の要職を歴任したあと1985年、54歳で、ソビエトの最高指導者にあたる書記長に就任しました。
書記長として、▽ペレストロイカと呼ばれた政治改革や▽情報公開を意味するグラスノスチなど、閉鎖的な社会を民主化する政策を進めました。
外交政策でも、欧米諸国などとの対立の緩和を目指す「新思考外交」を掲げ、社会主義圏だった東ヨーロッパ諸国の民主化や東西ドイツの統一を容認したほか、対立が続いていた中国との関係を正常化しました。
さらに、アメリカとは核軍縮を進め、1989年12月、当時のブッシュ大統領とともに東西冷戦の終結を宣言しました。
こうした功績が評価され、1990年には、ノーベル平和賞を受賞しました。
また、ゴルバチョフ氏は1990年には、共産党の一党独裁体制を廃止して大統領制を導入し、最初のソビエトの大統領となります。
しかし、民主化を進めた結果、ソビエトを構成していた共和国で独立の機運が高まり、1991年12月、ソビエトは崩壊。ゴルバチョフ氏は求心力を失い、政治の舞台から退きました。
ゴルバチョフ氏は、近年は、プーチン政権の統治手法が強権的だと懸念も示していました。
2021年10月には政権に批判的な報道を貫いてきた新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長がノーベル平和賞に選ばれたことをうけて「報道機関の重要性を大いに高めるものだ」と評価する声明を発表していました。
また、ソビエトが崩壊して30年となる去年(2021年)12月には、ロシアの通信社への書面インタビューで「核兵器やヨーロッパの安全保障などについて、ようやく真剣な交渉が始まった。難しい局面でも対話を中断してはいけない」として、ウクライナをめぐるロシアとアメリカの対立を念頭に双方が対話を続けることの重要性を訴えました。
そして、ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始したことし2月には、ゴルバチョフ氏が代表を務める財団が声明を出し、「人の命ほど尊いものはこの世に存在しないし、存在しえない。相互の尊重と配慮に基づく交渉と対話のみが最も深刻な問題を解決し得る」として、交渉による一刻も早い停戦の実現を求めていました。
一方、先月安倍元総理大臣が、演説中に銃で撃たれて亡くなったことについて、ゴルバチョフ氏は「安倍元総理大臣の死去の知らせに対して衝撃を受けた。ご遺族や日本の皆様に心からお悔やみ申し上げる」として、哀悼の意を表すコメントを発表していました。
ゴルバチョフ氏は、ここ数年は体調がすぐれず、病院で治療を受けていましたが、ロシアの複数の通信社は30日、モスクワ市内の病院の話として、「ゴルバチョフ氏は、長く苦しい闘病生活の末に今夜亡くなった」と伝えました。
ゴルバチョフ氏は、ここ数年公の場に姿を見せていませんでしたが、2018年11月首都モスクワで開かれたゴルバチョフ氏の活動を追ったドキュメンタリー映画の上映会に出席しました。
ゴルバチョフ氏は、関係者に手を支えられながら歩いて会場に入り、報道陣の呼びかけにこたえたり、握手を求める人たちに穏やかな表情で応じたりしていました。
また、2020年に公開された別のドキュメンタリー映画の中では、ゴルバチョフ氏は、亡くなった妻ライサさんの写真が飾られた部屋で周りの人に支えられながら静かに暮らす様子が紹介されています。
食事中に「ウォッカ」を求めたり、インタビューの中で冗談を言っておどけた表情を見せたりする姿もありました。
一方、ゴルバチョフ氏は、大統領職を辞任してからもロシアをめぐる情勢などについて国内外のメディアへのインタビューに応じたり、代表を務める財団を通して声明を発表したりするなど、積極的にメッセージを発信し続けていました。
2021年8月、ソビエトの崩壊につながったクーデター未遂事件から30年になるのに合わせて声明を発表した際には、みずからが推し進めた改革路線は正しかったとしたうえでプーチン政権を念頭に「民主主義的な道こそ唯一正しい道だ」と強調しました。
また、ゴルバチョフ氏自身も深く関わってきたロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長がノーベル賞に選ばれた際には声明で「こんにちの世界における報道機関の重要性を大いに高めるものだ」と評価しました。
そして、ムラートフ氏について「勇敢で誠実なジャーナリストだ」とたたえ、プーチン政権によるロシア人ジャーナリストへの暴力や脅しにもかかわらず、汚職や社会問題などを批判的に報じ続ける姿勢を貫くよう促しました。
ことし2月にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった際にはその2日後の26日に声明を発表し、即時停戦と速やかな和平交渉の必要性を訴えました。
声明では「人の命ほど尊いものはこの世に存在しないし存在しえない。相互の尊重と配慮に基づく交渉と対話のみが最も深刻な問題を解決し得る」としてプーチン政権に対して強硬姿勢を改め交渉による事態の打開を求めました。
国営のロシア通信は31日未明、ロシア大統領府のペスコフ報道官の話として、プーチン大統領はゴルバチョフ氏の死去に対して、深い哀悼の意を表し、31日の朝にゴルバチョフ氏の遺族や友人に弔電を送る予定だと伝えています。
一方、国営のタス通信は、ゴルバチョフ氏は、妻ライサ氏が眠るモスクワ市内の墓地に埋葬されることになると伝えています。
イギリスのジョンソン首相はツイッターに「ゴルバチョフ氏の死去の報を受け悲しんでいる。私はゴルバチョフ氏が冷戦を平和的な結末に導くために見せた勇気と高潔さを、常に尊敬していた。プーチンがウクライナを侵略している今、ゴルバチョフ氏がソビエト社会を開放するために払ったたゆまぬ献身は、私たち全員にとって見本となり続ける」と書き込みました。
フランスのマクロン大統領はツイッターに「ゴルバチョフ氏の逝去に哀悼の意を表する。彼は、みずからの選択によって、ロシアに自由の道を開いた平和の人だった。ヨーロッパの平和に対する彼の尽力は、私たちの共通の歴史を転換した」と投稿し、ゴルバチョフ氏の功績をたたえました。
旧ソビエトが崩壊した当時、アメリカの大統領だった、ジョージ・ブッシュ氏の基金は30日、ツイッターで哀悼の意を表明しました。
このなかでは「ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領は、ソビエトの終わりが東ヨーロッパの何百万もの人々に確実に自由をもたらすよう、緊密に連携した」としています。
そのうえで「ブッシュ大統領はゴルバチョフ氏について『歴史上の危機において、世界の平和の実現のために身をていして立ち向かった』とたびたび話していた」としてゴルバチョフ氏の功績をたたえました。
国連のグテーレス事務総長は声明を発表し、「ゴルバチョフ氏の死去を深く悲しんでいる。彼は歴史の流れを変えた比類なき政治家であり、冷戦の平和的な終結に誰よりも貢献した人物だ。世界は、卓越したリーダーで、献身的な多国間主義者、そして平和を唱え続けた人を失った」と哀悼の意を表明しました。
ロシアの野党の政治家で、民主派のリーダーの1人、ヤブリンスキー氏は、NHKのインタビューで「ゴルバチョフ氏のおかげで冷戦と戦争の脅威は過去のものになった」と述べ、ゴルバチョフ氏が東西冷戦を終結に導いたことを高く評価しました。
また「人々に自由を与え、恐れずに生きる機会を与えた。彼は人々が思ったことを口にできる社会を実現するため決断した」と述べゴルバチョフ氏が情報公開などの民主化政策を推し進めたことで、ロシア社会に言論の自由が生まれたと、その功績をたたえました。
2000年の大統領選挙で当時、大統領代行だったプーチン氏と争った経験もあるヤブリンスキー氏は、今のロシアについて、独裁的な権威主義体制に戻ったと指摘したうえで「独裁体制に言論の自由があるのか」と述べ、ゴルバチョフ氏の功績がむだになっているとプーチン政権を批判しました。
そして、プーチン政権によるウクライナ侵攻も批判しながら「停戦協定を結び、双方が戦闘をやめ、市民の犠牲を止めなければならない」と述べ今後も平和を求めて訴え続けていく考えを強調しました。
ゴルバチョフ氏が、亡くなったことについて、ロシアメディアは一斉に速報で伝えました。
このうち国営のロシアテレビでは、ゴルバチョフ氏の政治家だけでなくその後の活動を振り返る特集を放送し、「ゴルバチョフ氏はこの国を常に愛していた」などと伝えました。
そのうえで自由な空間を切り開き、共産主義の制限された考え方やその後の幻想から国民を解放したが、それは痛みをともなうものでもあったと締めくくるなど、功績にとどまらずさまざまな評価にも触れています。
ゴルバチョフ氏の死去について、欧米のメディアも速報で伝えています。
このうち、ロイター通信は、ゴルバチョフ氏が冷戦終結で果たした役割によってノーベル平和賞を受賞して世界中から称賛を集めたなどとした一方でウクライナへ軍事侵攻を続けるプーチン政権について触れ「プーチン大統領はウクライナに侵攻したことで西側との緊張緩和などを実現したゴルバチョフ氏の遺産を破壊してしまった」などと伝えています。
また、アメリカのCNNテレビは東西冷戦の終結に導いたゴルバチョフ氏の功績などを伝えたうえで「最後までゴルバチョフ氏は自国よりも他国で尊敬される指導者だった。ロシア国内ではソビエト帝国を崩壊させたなどとも批判されたが、西側諸国では、冷戦を終結させたノーベル平和賞の受賞者であるという受け止めに変わりはない」とゴルバチョフ氏に対する評価は、ロシア国内と欧米諸国では大きな差があると報じています。
ソビエトやロシア政治に詳しい神奈川大学の下斗米伸夫特別招聘教授は、NHKの取材に対し「ゴルバチョフ氏は、ソビエト国内でペレストロイカやグラスノスチといった改革を推し進めただけでなく、東西冷戦を終結に導いた20世紀後半の政治家だっただけに非常に残念だ。ゴルバチョフ氏はコサックの子孫でもあり、現在のウクライナとロシアにルーツがあることから、今回の軍事侵攻でも即時停戦の必要性を訴えていた。しかし、現状は、ゴルバチョフ氏がもたらした東西冷戦終結の遺産を食いつぶしているようなものだ。いまこそ即時停戦を訴えてきたゴルバチョフ氏の遺志に耳を傾けるべき時でないか」と述べました。
ゴルバチョフ氏は1931年、ロシア南部のスタブロポリ地方に生まれ、共産党の要職を歴任したあと、1985年に54歳でソビエトの最高指導者にあたる書記長に就任しました。書記長として、ペレストロイカと呼ばれた政治改革や、情報公開を意味するグラスノスチなど、閉鎖的な社会を民主化する政策を進めました。
外交政策でも、欧米諸国などとの対立の緩和を目指す「新思考外交」を掲げ、社会主義圏だった東ヨーロッパ諸国の民主化や東西ドイツの統一を容認したほか対立が続いていた中国との関係を正常化しました。
さらにアメリカとは核軍縮を進め、1987年にINF=中距離核ミサイルの全廃条約、1991年には、戦略核兵器の削減を定めたSTART=戦略兵器削減条約に調印しました。そしてゴルバチョフ氏は、1989年12月、アメリカの当時のブッシュ大統領とともに、東西冷戦の終結を宣言します。こうした功績が評価され、翌年にはノーベル平和賞を受賞しました。
日本との関係では、1988年、モスクワを訪問した当時の中曽根前総理大臣に対して、北方領土問題の解決を模索する考えを示し、日本とロシアの平和条約交渉のきっかけを作りました。
そして1991年、ソビエトの最高指導者として初めて来日し、当時の海部総理大臣と会談し、「日ソ共同声明」で、国後島・択捉島を含む北方四島を領土問題の交渉対象とすることを初めて文書で確認しました。
さらにこの時ソビエト側から、日本人と四島住民との交流を拡大するため、「ビザなし」の枠組みが提案され、翌1992年には、今につながるビザなし交流が始まりました。ゴルバチョフ氏は北方四島の返還に関して譲歩は示しませんでしたが、それまでまったく動かなかった北方領土問題について日ソ、日ロ間で協議されるきっかけとなりました。
こうした北方領土問題の議論を継続することに前向きな姿勢は、日本では好意的に受け止められ、ゴルバチョフ氏は「ゴルビー」の愛称でも親しまれました。
1990年には、共産党の一党独裁体制を廃止して大統領制を導入し、ゴルバチョフ氏は最初で最後のソビエトの大統領となりました。
しかし、経済改革には失敗し、深刻な物不足やインフレに国民は不満を強め、1991年8月、ゴルバチョフ氏の国家運営に危機感を抱いた保守派がクーデターを試みました。市民などの抵抗でクーデターは失敗に終わりましたが、ソビエト共産党の権威は失墜しました。
その年の12月8日には、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3共和国の首脳が、連邦の消滅と独立国家共同体の設立を宣言。ゴルバチョフ氏は、12月25日になって大統領職からの辞任を表明し、ソビエトは69年の歴史に幕を閉じました。
ゴルバチョフ氏は、アメリカと並ぶ超大国だったソビエトを崩壊させた指導者として、ロシア国内では厳しい批判にさらされ、政治の舞台から退きました。
一方、欧米や日本では、ソビエトの一党独裁体制を改革し冷戦を終結に導いた立役者として高く評価され、辞任したあとも、主に海外で講演活動を続け、世界平和や核軍縮の重要性を訴えてきました。近年は、プーチン政権の統治手法が強権的だと懸念も示していて、去年10月には政権に批判的な報道を貫いてきた新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長がノーベル平和賞に選ばれたことをうけて「報道機関の重要性を大いに高めるものだ」と評価する声明を発表していました。
また、ソビエトが崩壊して30年となった去年12月には、ロシアの通信社への書面インタビューで「核兵器やヨーロッパの安全保障などについて、ようやく真剣な交渉が始まった。難しい局面でも対話を中断してはいけない」として、ウクライナをめぐるロシアとアメリカの対立を念頭に双方が対話を続けることの重要性を訴えました。そして、みずからが推し進めた改革路線は正しかったとしたうえでプーチン政権を念頭に「民主主義的な道こそ唯一正しい道だ」と強調しました。
ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始したことし2月には、ゴルバチョフ氏が代表を務める財団が声明を出し「人の命ほど尊いものはこの世に存在しないし、存在し得ない。相互の尊重と配慮に基づく交渉と対話のみが最も深刻な問題を解決し得る」として、交渉による一刻も早い停戦の実現を求めていました。
一方、先月、安倍元総理大臣が、演説中に銃で撃たれて亡くなったことについて、ゴルバチョフ氏は財団を通じて「安倍元総理大臣の死去の知らせに対して衝撃を受けた。ご遺族や日本の皆様に心からお悔やみ申し上げる」として、哀悼の意を表すコメントを発表していました
ゴルバチョフ氏は、ここ数年は体調がすぐれず、病院で治療を受けていましたが、ロシアの複数の通信社は30日にモスクワ市内の病院の話として「ゴルバチョフ氏は、長く苦しい闘病生活の末に今夜亡くなった」と伝えました。
ゴルバチョフ氏は、ここ数年公の場に姿を見せていませんでしたが、2018年11月首都モスクワで開かれたゴルバチョフ氏の活動を追ったドキュメンタリー映画の上映会に出席しました。
ゴルバチョフ氏は、関係者に手を支えられながら歩いて会場に入り、報道陣の呼びかけにこたえたり、握手を求める人たちに穏やかな表情で応じたりしていました。
また、2020年に公開された別のドキュメンタリー映画の中では、ゴルバチョフ氏は、亡くなった妻ライサさんの写真が飾られた部屋で周りの人に支えられながら静かに暮らす様子が紹介されています。食事中に「ウォッカ」を求めたり、インタビューの中で冗談を言っておどけた表情を見せたりする姿もありました。
一方、大統領職を辞任してからもロシアをめぐる情勢などについて国内外のメディアへのインタビューに応じたり、代表を務める財団を通して声明を発表したりするなど、積極的にメッセージを発信し続けていました。
国営のロシア通信は31日未明、ロシア大統領府のペスコフ報道官の話として、プーチン大統領はゴルバチョフ氏の死去に対して、深い哀悼の意を表し、31日の朝にゴルバチョフ氏の遺族や友人に弔電を送る予定だと伝えています。
一方、国営のタス通信は、ゴルバチョフ氏は、妻ライサ氏が眠るモスクワ市内の墓地に埋葬されることになると伝えています。
またロシア大統領府は31日、プーチン大統領がゴルバチョフ氏の遺族と友人に送ったとする弔電を公表しました。このなかで、プーチン大統領は「ゴルバチョフ氏の死去に深い哀悼の意を表する。世界の歴史の流れに大きな影響を与えた政治家だった。複雑で劇的な変化、大規模な外交政策、経済、社会における挑戦の時代にわれわれの国を導いた。改革が必要であることを深く理解し、喫緊の課題に対し、彼自身の解決策を模索してきた」として、ゴルバチョフ氏の死を悼みました。そして「特にゴルバチョフ氏が近年、人道的、慈善的、教育的活動を行ってきたことに 触れておきたい」としています。
ロシア大統領府のペスコフ報道官は31日、ゴルバチョフ氏が死去したことを受けて「ゴルバチョフ氏の国葬についてきょう話し合われる予定だが、現時点では何も決定されていない」と述べました。また、報道陣からプーチン大統領が葬儀に参加する予定があるか質問されたのに対し「まだわからない。遺族や友人の希望による」と述べるにとどめました。
ロシアの野党の政治家で、民主派のリーダーの1人、ヤブリンスキー氏は、NHKのインタビューで「ゴルバチョフ氏のおかげで冷戦と戦争の脅威は過去のものになった」と述べ、ゴルバチョフ氏が東西冷戦を終結に導いたことを高く評価しました。また「人々に自由を与え、恐れずに生きる機会を与えた。彼は人々が思ったことを口にできる社会を実現するため決断した」と述べゴルバチョフ氏が情報公開などの民主化政策を推し進めたことで、ロシア社会に言論の自由が生まれたと、その功績をたたえました。
2000年の大統領選挙で当時、大統領代行だったプーチン氏と争った経験もあるヤブリンスキー氏は、今のロシアについて、独裁的な権威主義体制に戻ったと指摘したうえで「独裁体制に言論の自由があるのか」と述べ、ゴルバチョフ氏の功績がむだになっているとプーチン政権を批判しました。そして、プーチン政権によるウクライナ侵攻も批判しながら「停戦協定を結び、双方が戦闘をやめ、市民の犠牲を止めなければならない」と述べ今後も平和を求めて訴え続けていく考えを強調しました。
60代の女性は「彼はソビエト連邦を壊した。私はソビエトへの郷愁があり彼のやったことを良く思わないがいまは安らかに眠ってほしい」と話しています。
また40代の男性は「彼は欧米側の人だ。1990年代には、教育から家族制度まで何もかもが奪われた。いまの政権のおかげで、普通の暮らしを取り戻した」と話し、混乱を立て直したとしてプーチン政権への支持を表明していました。
一方、50代の女性は「ゴルバチョフ氏にとても感謝している。私たちに自由を感じられる機会を与え、息苦しい部屋から新鮮な空気につながる扉を開いてくれた。ロシアにとって偉大な政治家だった」と高く評価し、哀悼の意をささげていました。
去年3月に政府系の世論調査機関が発表した調査結果では、ゴルバチョフ氏の政策は「ロシアに害を与えた」と答えた人が51%に上り、「有益だった」と答えた人は7%にとどまっています。
国営ロシアテレビは、ゴルバチョフ氏の過去の業績を振り返る特集の中で「ゴルバチョフ氏は欧米側では人気だったが、軍縮に向かう彼の政策は、欧米諸国から彼自身の弱さの表れと受け止められた」とコメントしています。
一方、有力紙「コメルサント」は「ゴルバチョフ氏の外交政策に対して多くの称賛の声が寄せられた一方、ソビエトの勢力圏が失われることを容認し、NATO=北大西洋条約機構の東方拡大の前提となる条件を作り出したと非難された」として、ロシアでの評価は賛否が分かれていると論じました。
また、プーチン政権に近い新聞「イズベスチヤ」は「国を維持できなかった大国のトップ」という題で、ゴルバチョフ氏についてソビエト崩壊を招いた指導者という評価をしたうえで「ロシア史において重要でありながらも、論争の的となる人物であり続けるだろう」と伝えています
アメリカのバイデン大統領は声明を発表し「ゴルバチョフ氏はアメリカのレーガン大統領とともに両国の核兵器の削減に取り組み核の軍拡競争の終わりを願う世界中の人々に安心をもたらした。またグラスノスチやペレストロイカ、すなわち情報公開や政治改革を単なるスローガンではなく、旧ソビエトの人たちのための進むべき道だと信じていた」としています。
そして「異なる未来を実現させることができると想像し、そのためにすべてのキャリアをかける勇気を持ったたぐいまれな指導者だった」とゴルバチョフ氏をたたえました。
このなかでは「ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領は、ソビエトの終わりが東ヨーロッパの何百万もの人々に確実に自由をもたらすよう、緊密に連携した」としています。
そのうえで「ブッシュ大統領はゴルバチョフ氏について『歴史上の危機において、世界の平和の実現のために身をていして立ち向かった』とたびたび話していた」としてゴルバチョフ氏の功績をたたえました。
イギリスのジョンソン首相はツイッターに「ゴルバチョフ氏の死去の報を受け悲しんでいる。私はゴルバチョフ氏が冷戦を平和的な結末に導くために見せた勇気と高潔さを、常に尊敬していた。プーチンがウクライナを侵略している今、ゴルバチョフ氏がソビエト社会を開放するために払ったたゆまぬ献身は、私たち全員にとって見本となり続ける」と書き込みました。
冷戦で東西に分断されたドイツのショルツ首相は31日、記者団に「ゴルバチョフ氏は多くのことを成し遂げようとした勇敢な改革者で政治家だった。われわれはペレストロイカがドイツの統一と鉄のカーテンの消滅につながったことを忘れない」と述べその功績をたたえました。
一方で「彼は、ロシアにおける民主主義が失敗し、プーチン大統領がヨーロッパに新たな溝を掘り、隣国のウクライナに対しておぞましい戦争をしかけたさなかに亡くなってしまった。だからこそ、われわれはゴルバチョフ氏がヨーロッパとドイツの発展にもたらした功績を思い起こす」とも述べ、プーチン大統領を批判するとともにロシアの現状に強い懸念を示しました。
また冷戦当時、壁で分断されていた首都ベルリンでも死を悼む声が聞かれました。このうち、旧西ドイツ出身の60代男性は「あの時代に彼がいなければ、ベルリンを自由に行き来はできていないだろう。まだ壁があったかもしれない」と話していました。
別の旧西ドイツ出身の50代男性は「ゴルバチョフ氏は、世界とドイツのために多くのことを成し遂げた。とても悲しい。彼の心の広さと先見性がドイツ統一を可能にした」と話していました。
また、旧東ドイツ出身の50代女性は「私たちは冷戦当時、自由を求めていた。彼は自由な心の持ち主で東ドイツの人々のために多くを成し遂げてくれた。彼が好きだった」とその功績をたたえながら「いまはすべてが逆戻りして、川の流れが逆流しているようだ」とも話しいまのロシアの状況に懸念を示していました。
フランスのマクロン大統領はツイッターに「ゴルバチョフ氏の逝去に哀悼の意を表する。彼は、みずからの選択によって、ロシアに自由の道を開いた平和の人だった。ヨーロッパの平和に対する彼の尽力は、私たちの共通の歴史を転換した」と投稿し、ゴルバチョフ氏の功績をたたえました。
中国では、ゴルバチョフ氏について、東西冷戦を終結に導いた一方で当時の社会主義陣営の退潮を招いたとも受け止められています。また、旧ソビエトの書記長だった1989年5月に北京を訪問し、対立が続いていた中国との関係を正常化させましたが、この訪問が当時、天安門広場やその周辺で行われていた民主化を求める学生らの運動を勢いづかせることにもつながり、翌月には学生らの運動を軍が鎮圧した天安門事件が起きました。
ゴルバチョフ氏が亡くなったことについて、中国外務省の趙立堅報道官は31日の記者会見で「ゴルバチョフ氏は中国と旧ソビエトの関係正常化の推進に積極的な貢献を行った。われわれは哀悼の意を表すとともに家族にお見舞いを申し上げる」と述べるにとどめました。
国連のグテーレス事務総長は声明を発表し「ゴルバチョフ氏の死去を深く悲しんでいる。彼は歴史の流れを変えた比類なき政治家であり、冷戦の平和的な終結に誰よりも貢献した人物だ。世界は、卓越したリーダーで、献身的な多国間主義者、そして平和を唱え続けた人を失った」と哀悼の意を表明しました。
岸田総理大臣は記者会見で「ゴルバチョフ氏は、ソビエト連邦の最高指導者として、第2次世界大戦後の欧州の分断と東西対立の克服に重要な役割を果たし、米ソ間では歴史上初めて核兵器の削減に合意し冷戦を終結に導いた人物だ」と述べました。
また「大統領退任後の1992年には広島を訪れており、核廃絶に賛同する世界のリーダーとして大きな功績を残されている。大きな戦略的ビジョンと果断な実行力を有していたゴルバチョフ氏が果たした役割は大変大きなものがあろうと思う。改めてご功績をしのび、謹んで哀悼の意を表したい」と述べました。
ロイター通信は、ゴルバチョフ氏が冷戦終結で果たした役割によってノーベル平和賞を受賞して世界中から称賛を集めたなどとした一方でウクライナへ軍事侵攻を続けるプーチン政権について触れ「プーチン大統領はウクライナに侵攻したことで西側との緊張緩和などを実現したゴルバチョフ氏の遺産を破壊してしまった」などと伝えています。
また、アメリカのCNNテレビは東西冷戦の終結に導いたゴルバチョフ氏の功績などを伝えたうえで「最後までゴルバチョフ氏は自国よりも他国で尊敬される指導者だった。ロシア国内ではソビエト帝国を崩壊させたなどとも批判されたが、西側諸国では、冷戦を終結させたノーベル平和賞の受賞者であるという受け止めに変わりはない」とゴルバチョフ氏に対する評価は、ロシア国内と欧米諸国では大きな差があると報じています。
ソビエトやロシア政治に詳しい神奈川大学の下斗米伸夫特別招聘教授は、NHKの取材に対し「20世紀後半で最大の政治家だったと評価していただけに大変残念な思いだ。『核戦争に勝者なし』という原則を作り、INF=中距離核ミサイルの全廃条約の調印という大偉業を成し遂げたことでヨーロッパは安全になった」と功績をたたえました。
一方「若い書記長として国内の保守派と対立しながら改革を進めたが、自由化を進めれば進めるほど、その対立が深まった。こうした矛盾がソビエト崩壊のプロセスにつながってしまった」として、難しいかじ取りを迫られたと指摘しました。
ことし2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻については「ゴルバチョフ氏自身はロシア人だが、夫人はウクライナ系で今の状況を憂慮していた。ウクライナでは原発への攻撃で核戦争と同じ被害が出かねないという脅威にさらされている。この軍事侵攻をいかに終わらせるかがゴルバチョフ氏のあとを継ぐ人たちの使命だと思う」と述べ、ゴルバチョフ氏が生前に残した思いをくみ、即時停戦につなげるべきだと訴えました。
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1990年にベーカー米国務長官がゴルバチョフに「NATOを東方に1インチたりとも拡大しない」と約束したのにハンガリー、チェコ、バルト3国、ウクライナと次々…「騙された」とロシアが思うのは無理ない
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ゴルバチョフは語る 西の「約束」はあったのか NATO東方不拡大
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「NATOは我々をだました」 ウクライナ侵攻めぐりプーチン大統領
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昨年12月23日の記者会見で、プーチン大統領は「ウクライナを攻撃しないと保証できるか」と質問した西側の記者に対し、「あなた方(西側)は90年代に、NATOを東方には1インチも拡大しないと言ったが、われわれは騙された」と反発をあらわにした。
旧ソ連の最後の最高指導者で初代大統領だったミハイル・ゴルバチョフ氏が30日、モスクワの病院で死去した。91歳だった。タス通信などが伝えた。
「ペレストロイカ」と呼ばれるゴルバチョフ氏が主導した政治・経済体制の急進的改革は、旧ソ連の崩壊と冷戦終結につながった。
タス通信とインタファクス通信が病院からの情報に基づき伝えたところでは、同氏は「長期にわたり重病を患い」闘病していた。
ゴルバチョフ氏は1985年にチェルネンコ氏の死去に伴い54歳で最高指導者の共産党書記長に就任した。旧ソ連の停滞打開に向け、ペレストロイカに加え、チェルノービリ原発事故後は情報公開政策の「グラスノスチ」を本格的に推進したが、急進的改革は旧共産圏に政治的な大変動をもたらした。
89年には東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊。ドイツ統一に道を開く一方、その2年後の91年にソ連は解体・消滅した。民主化の流れを阻止しようとした同年8月の保守派クーデター未遂によりゴルバチョフ氏は実権を失い、政治的失脚に追い込まれた。
旧ソ連の指導者として西側との平和共存を目指す「新思考外交」を掲げた同氏は、当時のレーガン米大統領とも核軍縮に向け協議を重ね、87年12月には中距離核戦力(INF)廃棄条約に調印。89年12月にはブッシュ(父)米大統領とのマルタ会談で、東西冷戦終結を宣言した。その功績が認められ、90年にノーベル平和賞を受賞した。
旧ソ連は91年12月の独立国家共同体(CIS)の設立合意に伴い崩壊。ゴルバチョフ氏は同月25日に国営テレビを通じて行った演説で、「われわれのような社会でこれほど大規模な改革に着手することは非常に困難でリスクの高い事業だった。だが今でも、85年春に始めた民主的な改革は歴史的に正当化されたと確信している」と強調した。
原題:
Mikhail Gorbachev, Soviet Leader Who Ended Cold War, Dies at 91(抜粋)
東西冷戦の終結をもたらしたゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、死去した。91歳だった。モスクワの病院関係者が明らかにした。
ゴルバチョフ氏は1985年に54歳でソ連共産党書記長に就任。「ペレストロイカ(改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」政策でソ連の政治、経済の改革を断行した。
米国と軍縮合意を結んだほか、第2次世界大戦後に欧州を分断していた「鉄のカーテン」を開放し東西ドイツ統合を実現するため、西側とのパートナーシップを構築。1990年にノーベル平和賞を受賞した。
ただ、グラスノスチ政策で以前は考えられなかった党や国家に対する批判が可能になったと同時に、ソ連内の民族主義を刺激。ラトビア、リトアニア、エストニアのバルト3国などが独立を主張し始めるなど、1991年のソ連崩壊につながった。
多くのロシア国民はゴルバチョフ氏の改革で引き起こされた混乱を許すことができず、ソ連崩壊後の生活水準の低下は民主主義の代償としては高すぎると認識。今年6月に入院中のゴルバチョフ氏を見舞った自由主義経済学者のルスラン・グリンベルグ氏は、ロシア国防省系メディア「ズベズダ」に対し「ゴルバチョフ氏はわれわれ全てに自由を与えてくれた。ただ、その自由をどうしたら良いのか、われわれには理解できなかった」と述べた。
インタファクス通信によると、ロシア大統領府のペスコフ報道官は、プーチン大統領がゴルバチョフ氏死去の報に接し「深い哀悼の意」を表したと述べた。
プーチン氏は2005年、ソ連崩壊は20世紀における「最大の地政学的悲劇」と表現していた。
冷戦時代の緊張と対立が続いた後、ゴルバチョフ氏はソ連と西側の距離を第2次大戦後最も縮めた。
だが、死去直前の数カ月にはプーチン大統領のウクライナ侵攻で西側が対ロ制裁を打ち出し、ロシアと西側双方の政治家が「新冷戦」について公然と語り始めた。
カーネギー国際平和財団のアンドレイ・コレスニコフ上級研究員は「ゴルバチョフ氏はライフワークである自由がプーチン氏によって事実上破壊される中、象徴的な形で亡くなった」と述べた。
リチャード・ニクソン米大統領時代に国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー氏はBBCのニュース番組「ニューズナイト」の取材に応じ、ゴルバチョフ氏は「人類とロシア国民のためになる歴史的な変革を始めた人物として歴史に刻まれるだろう」と述べた。
ゴルバチョフ政権と共に東西ドイツの統一交渉を行った元米高官のジェイムズ・ベイカー氏は米紙ニューヨーク・タイムズに、「ゴルバチョフ氏は彼の偉大な国家を民主主義へと導いた巨人として、歴史に名を残すだろう」と語った。
一方で、多くのロシア人がソ連崩壊後の混乱について、ゴルバチョフ氏を許せないと感じている。
ウクライナのロシア占領地で、ロシアの任命を受けて公務員となっているウラジーミル・ロゴフ氏は、「ソ連を故意に破滅に導いた人物」だと述べ、裏切り者だと評した。
ロシアのプーチン大統領は31日、死去したゴルバチョフ元ソ連大統領への弔電で、同氏は世界の歴史の流れに多大な影響を与えたと述べた。
東西冷戦の終結をもたらしたゴルバチョフ氏は30日、91歳で死去した。
プーチン氏は、改革が不可欠であることをゴルバチョフ氏は深く理解していたとし、1980年代にソ連が直面していた問題を自ら解決しようと取り組んだと述べた。
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