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 政治家を見ればわかるように、地位が高いからといってその人が偉いわけではない。
 従って、また、徳性と知性との関係を考えてみても、徳性を土台とした上に知性がなければならない。徳性がなければ、知性を身に着けても利己的に悪用するだけであって、しかも、滞りがあるから歪んで理解する。
 徳性がある人というのは、雑念がなく心が一で発展的にものを考える(つまり、愛がある)人と捉えればよい。雑念がないということは執着心がない、エゴがない、自己愛・世間愛がない、(これらは「重〜い思い」がないといってよい。)ということだから、克己心が強い。従って、遠くから見ると近寄り難い印象を受けるかもしれない。しかし、近づいてみると愛念があるから思いの外温かい。清々しくスカーンとしていて且つ温かいから、神社の御神気のような波動になる。
 そして、それは常にそのような状態でなければ、松陰先生山本玄峰老師が仰るように活躍できない。だから、一切を捨てきらないといけない。笑われても、罵倒されても平然としていなければならないから、臍下丹田に意識を下ろして、頭は解放しなければならない。むしろ、それを利用して磨く。
 先週の「プロフェッショナル」で玉三郎さんが、華のある人は「きちんと生きてる人」と言っていたけれども、そういう人は稽古のとき集中して見ている(=素直な人)。初めのうちは稽古のときだけで、うちに帰ると散らかっていたり疲れて寝ころんだりしていても、徐々に自分をコントロールできるようになってくる。そうなると、履き物の脱ぎ方ひとつにも表われてくる
 これを逆に考えれば、履き物を揃えたり、部屋を掃除するように心掛ければ、雑念がなくなり集中力がついてくるようになるということです。
 そして、ミタマが開いてみると、身体と感情と意識をコントロール出来ればできるほどミタマが光るのがわかります。
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