「対話を深める方法」シリーズ 第1回 自己との対話
平面的にいろんな自分がいて本当の自分はいないというような話をされてるけど、そうじゃないですよ。
一番奥に本当の自分がいて、その回りが何重にもなっていて、それらが混じって自分というものを感じている。その雑念を消していくんです。
それが証拠に、以前、田坂さんが、「ブログを読んでいても読まなきゃよかったということがありますよね」と言ってたことがあります。そういう時は、否定的で暗く歪んだ重い文章だったはずで、何でそう思うかと言えば、ケガレが着くからなんです。その嫌な気持ちが胸の奥に着いて、それ自体気持ち悪いわけですが、それだけでなく気持ちとして上に上がってくる。そして、それが思考に絡んでくる。
さっきのイチローの話でも同じことで、他人のバットを持つと普段一定に保つようにしている気持ちに別のものが付着する。それを捨てようとすれば時間の経過や本来の感触を取り戻すための行が必要になってくる。
chanmさんに付着しているケガレなども、胸の奥から浮かび上がらせて頭を通過するときに捕まえないで抜いていかないといけない。
だから、「臍下丹田に意識を下ろして頭を解放せよ」というわけで、常に一番奥にピタッと合ってる状態にならないといけない。そうするためには、ケガレを祓うだけでなく、本当の自分を刺激する必要もある。それが、聖賢の書や偉人伝の類を読む、色読する意味なのです。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080118#1200624793
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071226#1198738346