哲学は、
「自分が変わる」という
勇気がないと、
やる意味がないと思う。
これからの哲学は、・・・論理ではなく、在り方のことを言うようになるだろう。
本人の在り方が変われば、
世界なんて、簡単に変わってしまうからだ。
1人が、自分を深く見つめて、表現した在り方、それを哲学と呼ぶようになるだろう。
本ではなく、その人を見ただけでだれもが理解する。
彼らは出かけるだろう。
言語に囚われ、言語を追いかけ、言語に依存する、
哀れな、私たち古い時代の哲学者たちを置き去りにして。
東洋哲学とプラトン哲学はそういうもの。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080129#1201566218