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目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質”

「私の動機は利己的なものです」
 まつもとはきっぱりとそう言った。自分が欲しいものを作っているだけであると。オープンソース世界のリーダーたちは皆そうだと彼は感じているようであった。

 そして、利他的な気質とか奉仕の精神がオープンソースの本質なのではないと彼は断じた。本質は、あくまでも利己的な理由に基づく自発性なのだと。

 世界中に知的レベルの高い人々は本当にたくさんいるが、その大半は自分で問題設定することができない

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080228#1204180484
まつもとのいう「利己的」とか「利他的」「奉仕の精神」というのはマザー・テレサでイメージするようなキリスト教でいう奉仕を指しているので、一般に否定されるべき「利己的」な考え方とは少し違う。否定すべきなのはガッチリ掴む「執着」や捉われる「滞り」なのであって、これらがあると「自由」ではないのだけれども、もっちーは、「自由」の意味を考えるときに、元々が日本的閉塞感に対する反撥から来ているから、「自由」か「制約」か(自由主義共産主義か。リベラルを延長すると共産主義になる。など。)、従って、「自由」か「(実質的=結果の)平等」か(因みに、日本国憲法第14条の「平等」は形式的平等、相対的平等。実質的平等は社会権のところで保障。)、だけで区別している。だから、全く考え方の異なる、前向きな価値を否定する養老的「好きなことをやる」をスティーブ・ジョブズらの前向きな考え方と混同している。むしろ、養老は本来の意味の「自由」に「制約」を加えようとしているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071222#1198287900