ハイエクの場合は、専制支配への防波堤となるべき基本的自由はあくまでも経済的自由でなければならず、民主政治に対しては懐疑と失望の念を終始抱いていた。平和的な政権交代を可能にする唯一の方法として民主主義を正当化しつつも、多数者に対する不信感をハイエクは終生抱き続けていたのである。その点で、むしろハイエクの民主主義批判は、トクヴィルよりもむしろプラトンを思わせるものであった
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