小沢氏の電話は、言外に「予算案の採決日で政府側が譲れば、日銀総裁人事では政府の武藤敏郎総裁案で民主党内をまとめる」ことを示唆していた。
しかし、伊吹文明自民党幹事長から「年度内成立の担保がない」とクギを刺されていた首相は「それはできません」と断る。それでも武藤案に支持は得られると踏んだのだ。
首相は武藤案を参院に提示する前、小沢氏に電話を入れて協力を求めたが、小沢氏は言葉少なに電話を切った。
それ以降、2人のホットラインは機能停止に陥る。
小沢氏は「我々が政権を取る時に財務省を敵に回すのがいいのかどうか」と第1案に理解を示したが、国会運営がままならず、党内権力維持を優先せざるを得なくなった。
小沢氏を信用しハシゴを外されたてんまつは、大連立の失敗と驚くほど似ている。
財務省幹部によると、首相に「田波総裁案」を勧めたのは保田博元大蔵次官。約30年前、旧大蔵省出向の福田赳夫首相秘書官で、政務秘書官だった首相と1年間机を並べた「家族同様の関係」(同省OB)だ。田波氏は、「官房長−秘書課長」「主計局長−局次長」などでコンビを組んだ後輩に当たる。
驚いた田波氏は、即答できずに電話を切った。
ドタバタ劇の小道具は、いずれも携帯電話だが、便利さの割に、政治工作での成功率は決して高くない。
福田首相と財務省、政治情勢と世の中の目の間で、幾重にも複雑にずれており、その首相と財務省は、そろってその断層に落ち込んだ。