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『易経講話 一』
P188

「群竜をみるに首(かしら)无し吉」とある。いくつかの竜が皆雲の中に頭をかくしておるときは吉である。自分の道徳才能をひけらかさず、控え目にするときは吉なのである。天徳は乾の卦の徳であり、まことにこの上もなく貴い大きい徳であるけれども、物の首になり事のさきがけになってはよろしくない。才能が万人にすぐれておっても、自分の才能をひけらかさず、なるべく人の才能を用い、道徳が天下を蓋うに足るほどであっても、道徳に誇らず、万事控え目にしなければならぬ。天子は自分の道徳を用いず、自分の才能を用いず、臣下の道徳をもって自分の道徳とし、臣下の才能を用いて自分の才能とすべきである。大人物は皆そうであり、自分の道徳才能を用いて事をなさず、他人の道徳才能を用いて事を行うべきである。自分に道徳あり才能あることはもちろん偉大なることであり、尊敬すべきことではあるけれども、それよりも、人の道徳才能をもって自己の道徳才能とする方が、一層偉大なることであり、一層尊敬すべきことである。天徳は首たるべからずというは、大体、そういう意味であり、天徳はこの上もなく貴いものであり、この上もなく偉大なるものであるけれども、それでさえも首になることはできない。それでは真実に偉大なることを成し遂げることはできないのである。これが用九の道、陽を用いる道である。これが乾の卦の道であり、天下の道であり、大人の道であり、聖人との道である。