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あえてその名では呼ばない

 今回の花全ツで出てきたかどうかは記憶にないのですが、ベルばらの各バージョンで植爺が必ず入れる
 「オスカル様は信念のお方です」
 「オスカルは強い信念を持っている」
 という台詞。
 『銀ちゃんの恋』に出てくる人たちが持っているのは、まさにその信念だと思う。
 別に崇高だったり自己犠牲的だったりするわけじゃない、ただ自分が信じた道を、踏まれても蹴られてもまっすぐに歩こうとする強い意志。
 誰もその生きざまを「信念」などという言葉では呼ばない。
 言葉で押しつけないからこそ美しい。

 同じ時期にベルばら観て、銀ちゃん観て、そんなことを思いました。
 …演じている人たちは同じように一生懸命で、同じように美しいのにね。

ね、縦方向を抜いておるでしょ。
それを「信念」に紛れ込ませ、「同じように美しい」とごまかす。
そんなのは日本語では「自分が信じた道」とは言わないし、「まっすぐ」ではないのだ。
そして、批判を許さないために「押しつけ」とすり替える。
「別に崇高だったり自己犠牲的だったりする」必要はない。
そのようなものを殊更に否定してまで我を通そうとする妄念妄執が悪なのだ。


パクちゃんが憧れているゆう子ちゃん(上のエントリー)や檀ちゃんが話してることやってることと全然違うでしょ。