『青年の大成』
P25
十四歳
父や我を生み、母や我を育つ。
天や吾を覆い、地や吾を載す。
身・男児たり、宜しく自ら思うべし。
苶苶(でつでつ=疲れた様子。または、ぼんやりの意。)なんぞ草木とともに枯れんや。
慷慨、成しがたし、済世の業。
蹉跎(さた=志を得ず、思うにまかせないこと。)いかんともなせじ、隙駒(げきく=奔馬が隙間からチラッと見えるほどの速さで駆けるの意。月日や時間の経つのが速いこと。)の駆けるを。
幽愁(深い憂いや思いに沈むこと。)、柱によりて独り呻吟す。
我を知る者は言う、我が念深しと。
流水停まらず、人老い易し。
鬱鬱(うつうつ=気がふさがるさま。)縁(よ)って、胸襟を啓(ひら)くなし。
生育覆載(ふうさい=天地のこと。)、真に極まりなし。
識らず、何の時か此の心に報いん。
十五歳
最後にこういうことを言っています。
「余(われ)、厳父に教えを受け、常に書史に渡り候ところ、性質粗直にして」
直にも、いろいろあります。よく気をつけた直、すなわち謹直もあり、まだあまり修業の加わらない、注意の足らぬ直、すなわち粗直もあります。
「性質粗直にして柔慢なる故」
柔慢は、しゃんとしない、バックボーンを持たない、好い気になっていること。
「遂に、進学の期なきように存じ、毎夜臥衾中にて涕泗(ていし)にむせび、云々」
お父さんから、いろいろ経書や史書を教えられたが、どうも性質がよく伸びず、ぐうたらで、これではとうてい、学問も進歩するあてもないように考えられて、毎晩、寝床の中で泣いた――。
ここです。何も十三、十四歳で詩を作ったから偉いというのではない。それも悪いことではないが、この年でそういう教えを受け、勉強をして、どうも俺は人間が駄目で、とてもこれじゃ偉くなれそうもない。学問が進歩しそうもないと考えて、毎晩寝床の中で、布団をかぶって泣いたという、これが大事なところです。この情緒、この感動を、持たねばならないのです。
この精神が有るか無いかで、人間が決まるのです。この情緒(「じょうしょ」「じょうちょ」どちらでも宜しい)を、年とともに、何になっても変わらず、それ相応に持ちつづける人が、本当に偉いのです。