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『日本精神の研究』
P88 

西郷南洲の如きは最も毀誉褒貶紛々たる死に方をした人であるが、彼は一度新政府当局者の私欲政治を厭うの余り北海道退耕を企て、板垣退助の熱誠な諫争に由って思い止まり、また薩南に帰臥するに当って、岩倉具視明治天皇に彼の近衛都督兼陸軍大将の両職を免ずべき旨を願った時、天皇は近衛都督は身在京を要するから免ずるのが至当であるけれども、陸軍大将は其のままで差支無いとて、如何にしても御聞き入れなかったことを聴いて、あの巨躯を投げて皇居を遥拝し、ただ言葉なく感涙に咽んだ多感多情の人である。彼が官軍に抗するに至ったのには、よくよくの苦衷あることは察するに難くなかろう。
 彼を一時の感情に身を誤った大愚の如くに評する賢者、賢者らしくてより更に大愚が多い。それに智慧は虚静なる人格より発するものほど深いことを忘れてはならぬ。