そこで提案だが、もっと踏み込んで大相撲の名横綱の評伝などについても触れたらどうか。たとえば史上最多の69連勝を誇る双葉山。師である安岡正篤の門下生に送った「イマダ モッケイ(木鶏)タリエズ フタバ」の電報は何を意味していたか。それを教えるだけでも価値がある。
敵に恐怖、憎悪のみでなく、感嘆、讃美をもひきおこさずにはおかぬ質の差異が顕現している。全盛期の常陸山、太刀山、双葉山はほとんどこの域に達していたと思われる
『相撲求道録』
P133
わたくしはそういうさいには、含蓄のふかい先生のお話に、つとめて耳をかたむけるよう心がけてきました。御自身がそれを意識していられたか、どうかはわかりませんが、先生もわたくしのために、なにくれとなく、よいお話をしてくだされ、酒席でのそれでも、なんとなく体にしみいるような感じでありました。先生のお話によって、人間として・力士としての心構えのうえに影響をこうむったことは少なくなく、こころの悩みもおのずから開けてゆく思いを禁じえなかったのです。
先生にうかがったお話のなかに、中国の『荘子』や『列子』などいう古典にでてくる寓話「木鶏の話」というのがあって、それは修行中のわたしの魂につよく印象づけられたものですが、承ったその話というのは、だいたいつぎのような物語なのです。――
「そのむかし、闘鶏飼いの名人に紀渻子という男があったが、あるとき、さる王に頼まれて、その鶏を飼うことになった。十日ほどして王が、
“もう使えるか”
ときくと、彼は、
“空威張りの最中で駄目です。”
という。さらに十日もたって督促すると、彼は、
“まだ駄目です、敵の声や姿に昂奮します”
と答える。それからまた十日すぎて、三たびめの催促をうけたが、彼は、
“まだまだ駄目です。敵をみると何を此奴がと見下すところがあります”
といって、容易に頭をたてに振らない。それからさらに十日たって、彼はようやく、つぎのように告げて、王の鶏が闘鶏として完成の域に達したことを肯定したというのである。
――
“どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。ちょっとみると、木鶏(木で作った鶏)のようです。徳が充実しました。まさに天下無敵です”」
これはかねて勝負の世界に生きるわたくしにとっては、実に得がたい教訓でありました。わたくしも心ひそかに、この物語にある「木鶏」のようにありたい―その境地にいくらかでも近づきたいと心がけましたが、それはわたしどもにとって、実に容易ならぬことで、ついに「木鶏」の域にいたることができず、まことにお恥ずかしいかぎりです。
<中略>
「イマダ モツケイタリエズ フタバ」
と打電しましたのは、当時のわたくしの偽りない心情の告白でありました。
双葉山は、約3年ぶりに黒星を喫し、69連勝で止められたにもかかわらず、普段通り一礼をし、まったく表情も変えずに東の花道を引き揚げていった。同じ東方の支度部屋を使っていた横綱男女ノ川が、「あの男は勝っても負けてもまったく変わらないな」と語っている。