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鳩山新政権に告ぐ「悪しき中央集権」を解体せよ!

方向性が決まれば、今度はその中身に関心が移る。軽佻浮薄なマスコミは具体的な政策の内容を我先に抜こうと競い合う。小泉改革のときもそうだった。道路の次は郵政という具合にアジェンダ(課題)を次々と打ち出すことで、小泉内閣は5年5カ月という長期政権を築いたのだ。

山新政権も目指す新しい国家像と国家戦略を打ち出すべきである。マニフェストとの整合性など、細かいことは気にしなくてもいい。民主党マニフェストなど言ってみれば七夕の短冊のようなものだ。有力議員がそれぞれ好き勝手に思いついたものを、誰かが中心になってまとめるでもなく、つらつらと書き綴っただけのアイデア集にすぎない。民主党マニフェストには「インデックス2009」と記されていたが、まさに“インデックス=索引”にしかなりえないお粗末な代物。そこには民主党としての哲学も体系的な思想もない。

私がマッキンゼー時代、クライアント企業の経営戦略を立てるとき、理論的支柱とした基本的なフレームワークの一つに「3C分析」がある。Comp any(自社)、Customer(顧客やマーケットの状況)、Competitor(競合相手)の3つの視点で個別に、あるいは相互の関係性から総合的に分析して、自らの立ち位置を評価し、直面している課題や今後の可能性を見出していく。


国家戦略のフレームワークも、基本的には同じである。CompanyがCountry(自国)になり、CustomerはConsumer(消費者、生活者)やCitizen(国民、市民)などに置き換えられる。Competitorはアメリカや中国をはじめとする競争相手国。為政者はこの3つの「C」の相対的な関係を踏まえて国家戦略を構築しなければならない。

非自民連合の細川政権や自社さ連立の村山政権なども一時期はあったが、戦後60年間続いた自民党政権は、基本的に「産業政策優先」だった。国民に貯蓄を奨励し、集めた国民の資産を低利で傾斜配分して産業を育成しながら、一方、せっせと貯蓄した国民にはほとんど還元されずにきた。要するに、私の言葉で言えば、日本は提供者の論理で統治され、「生活者主権」の国づくりが行われてこなかったのだ。

民主党はCustomer、Consumer、Citizenに焦点を当て、生活者中心の国づくりをアピールしている。しかし、聞こえてくる政策はバラマキばかりで、具体的な産業政策もなければ、世界に対して日本はどういう立ち位置にあるべきかという思想も見えない。


生活者中心の国づくりといっても、日本国内だけで完結できる課題ではない。日本のような貿易立国は、国際競争力を失ったら将棋でいう詰みの状態になるわけで、世界との相対的な位置関係を常に認識しておかなければならない。そういう視点が民主党には欠落しているのだ。

この10年で世界は激烈に変わった。

BRICsと呼ばれる国々は、すでにボーダーレス経済に対応できるように大きく生まれ変わっている。

BRICsを追う新興国の成長も、目覚ましい。

たとえば、ユドヨノ政権下のインドネシアでは、スリ・ムルヤニという女性の財務大臣が辣腕を振るって税制を改革、単年度で税収を5割増加させた。人口2億4000万人を擁するインドネシア経済は完全にテイクオフしたと私は見ている。

つまり、この10年で明らかに世界は変わったのだ。ITをはじめ技術も大きく動いた。しかし日本の場合、1980年代後半のバブル期をピークとすると、その後の20年は完全に内向き指向になり、世界に対して目を閉ざしてしまった。外交の枠組みも旧来の冷戦時代のまま。いまだアメリカには絶対服従だし、北朝鮮拉致問題、韓国なら竹島問題、ロシアは北方領土問題が解決するまでは存在せず、という感覚だ。

改革とは名ばかりで、小泉改革は(民営化という)看板のかけ替えだったし、省庁再編の橋本行革は単なる官庁の引っ越しに終わった。日本の政財官は何も変わっていない。一部の例外的な企業のみ世界を相手に努力しているだけで、企業も自治体も食い詰めたら霞が関に陳情して補助金で助けてもらう馴れ合いの構図に変化はないのだ。

思えば戦後日本の優れた経済成長システム、工業化社会に適ったシステムというのは、80年代半ばまでに有効寿命を終わっていたと思う。より正確に言えば、85年の「プラザ合意」。あれが戦後日本経済のミッドウェーだった。


プラザ合意は日米経済戦争における日本の無条件降伏だった。以降ドルがフリーフォール(急落)して日本の輸出競争力は削がれる一方、国内に膨大な資金が流入して経済はバブル化する。外向きの巨大なエンジンを停止させられた日本は、内向きにエネルギーを溜め込むことになり、その圧力に持ちこたえられなくなって89年12月を境にバブルが崩壊した。

政府自民党と中央省庁は経済敗戦を国民生活に平然と押し付け、バブル崩壊後は景気回復の手段として国民を使った。将来の昇給を見越して金利が上がる「ゆとりローン」を創設して住宅を買わせ、金融機関を救済するためにゼロ金利政策を続けて、本来なら国民が得るべき富を収奪してきたのだ。まさに本土防衛の竹槍戦略である。

それだけではない。90年代以降、この国では国家と国民の間で、一度として“生産的な対話”などなされてこなかった。政府は巨額な債務を抱える危険性を正直に国民に訴えて協力を仰ぎ、債務を解消する努力をすべきだったのに、「景気は悪くない」「不況は脱した」と大本営発表を繰り返して、“戦況”を悪化させてきたのだ。今回の政権交代は、そうしたことに対する国民の無意識のうちにある危機感の表れと見ることもできるだろう。

旧西ドイツでは戦後、比較的均衡ある国土の発展を果たしたが、これは田中角栄的なバラマキによるものではなく、経済の自然競争によってもたらされた側面が強い。ヒトラーによるナチスドイツの反省から中央集権にならないよう連邦制を敷き、州の権限を国家並みに強化、加えて豊かな州と貧しい州では3%を超えて補助してはいけないというルールをつくった。

それが20年ぐらいのスパンで見ると、意外にもバイエルン州など貧しい州ほど豊かになっている。なぜか? 貧しい州は土地が安いし、優秀な人材が余っていて賃金も安いということで企業が次々に進出してくる。アダム・スミスの言う「神の見えざる手」が働いたのだ。

成人年齢を18歳に引き下げ、高校卒業までを義務教育とするのが私のかねてからの主張だ。義務教育の役割は社会に適応する人間をつくることとして、大学などの高等教育との役割をはっきり分ける。その大学もアカデミックな教育ではなく、世界で通用する、世界で飯が食える力を身に付ける職業訓練の場とするのだ。