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『「安岡正篤先生」随行録』
P84

 そんなある夜、上海の六三亭では先生を送る宴が開かれた。
 宴はようやく酣(たけなわ)になり、先生の前に現れたある陸軍武官が、酔ったあまりどら声をはりあげて白頭節を唄い出した。みんな気の立っている時勢であったのである。


 君の御為咲いたる桜
 御国に嵐の吹くときは
 散れや背の君勇ましく


 先生これを聞いて、
「その歌は間違っている」
「どこが間違いですか」
 一座は思わず沈と静まって先生の言葉を待つ風であった。
「それはほんとうの心を唄っていない。夫に死んで帰れという妻など、どこにあろうか。君は自分の女房にそう言われて嬉しいかネ、父が息子に言うのなら分る。妻の夫を思う心情はそんなものではあるまい。人情に反するよ」
 そして「この歌を聞きなさい」と唄い出されたのが日露戦争当時のお百度詣り(歌詞大塚楠緒子女史)という歌であった。
(略)
 先生がこの歌を唄い終ったとき、くだんの武官は、ほとんど泣き伏すほどに感動の色あらわに、その面上を覆っていたそうである。
 満座の人達も同様で、先生の歌う、その心と、声音とに、しばらく拍手も忘れて、みんなの心に訴えるその歌詞を思い入るのみであったとか。

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