阪急グループ創業者の故小林一三氏の三男の婿養子となり、1959年グループ入り。69年京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)取締役、専務、副社長を経て87年から社長。93年に会長、2003年に相談役に退いていた。最初の宝塚歌劇団理事長時代に、劇画を原作とした「ベルサイユのばら」を上演、大ヒットとなった。
プロ野球の阪急ブレーブスをオリックスに売却したほか、「創遊本部」(現・創遊事業本部)をつくり、娯楽を重視した事業展開を進めた。
宝塚歌劇に対しては思い入れが深く、ファン向けの月刊誌「歌劇」で300回以上にわたってエッセーを執筆した。初日と千秋楽の観劇は欠かさないなど、タカラジェンヌたちの父親的存在でもあった。