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【次代への名言】凛々の政治家編(22)

「たとえ玉砕(ぎょくさい)すとも男子の本懐ならずや」(浜口雄幸(おさち))

 その政治信念を実現する条約交渉に、海軍の“参謀本部”である軍令部の加藤寛治部長は「統帥権干犯」を訴え、帷幄上奏(いあくじょうそう)(昭和天皇への直訴)に及んだ。自衛力を維持する一方で「軍艦の比率は英米より低きをいといませぬ」という浜口の協調外交に対する反旗だった。


 が、調印から批准への道のりが覆ることはなかった。浜口が指揮する政党政治(民主主義)が昭和天皇と手を携えて、軍に対する文民支配の模範を内外に示した貴重な瞬間だった。

 冒頭は軍令部や強硬派との対立が先鋭化したとき、浜口が理解者だった財部彪(たからべ・たけし)海相にもらしたことばだ。彼はまた、「統帥権干犯」という言いがかりのために身の危険が増大しても、周囲にこう語って平然としていた。「身命は君国に捧(ささ)げてある。命が惜しくて何ができるか」