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「攻めの産業再編」は市場に任せるか国が動くべきか

そうした失敗が明白になってきたのはもう5年以上も前ではなかったか。そうであれば、日本国内の多すぎるプレーヤーを整理して、大胆な産業再編をするしかない、と誰でも思うのだが、再編をしかけるにはどこの企業も単独では力不足だし、そのうえ、雇用のことを考えると手が打ちにくい、という状態が続いていた。どこかが撤退あるいは売却をして、プレーヤーの数が減ることを待っている、という消極的な待ちの対策しかとりようがないと思われていたのであろう。

しかし、当時は05年夏の郵政解散総選挙で小泉内閣が圧勝した後の、市場原理に任せるのが経済をよくする道、という雰囲気の中である。官邸がそうである以上、「政府が産業政策を大胆にとるべきだ」というような発言には総務省も困ったことだろう。

市場原理のよさはたしかに私も認める。しかし、教科書的なその適用が政策論議に出てきすぎることがこの10年ほど多かったとも思う。市場の失敗があるときにのみ、政府は出ていくべき、とそうした政策論議は政府の小さな役割を主張する方向にいきがちなのだが、今回の産業再編の失敗などは、やはり市場の失敗の例ではないのか。

しかし政府が産業再編に乗り出すべきと私のような学者がこうした場で発言すると、再編対象になる企業の方々は秘かに反論をすることが圧倒的に多い。その反論の中には、再編の結果流れる血が自分の血でもあることを避けたいという心情もあるだろうが、役所の介入への不信感もありそうだ。現場で箸の上げ下ろしにまで口を出されて困った経験が過去にかなりあるものだから、そんなことだけで終わって肝心の産業再編が実現しない危険性を感じるという、合理的な反対意見もあるのである。


こうして、「なぜうまくいかなかったか」を分析し始めると、当事者としては無理もない事情があちこちにあることが明らかになる。つまり、「論理的に」膠着状態におちいっていることが論証でき、したがって改革ができない、という結論が出てきそうなのである。


しかし、その膠着状態を認めるだけでは、一切の改革はできなくなる。その状態から抜け出すためのグランドデザインとエネルギーを供給するのが、改革の本筋である。原理的に正しいと思う方向に、思い切って踏み出すための大きな絵という意味でのグランドデザインと、それをなんとか成し遂げようとするエネルギーが関係者から生まれてくるような手配りが必要である。


もちろん、それはきわめてむずかしい。それは百も承知のうえで、過去にさまざまな膠着状態から抜け出してきたわれわれの先達に、謙虚にわれわれは学ぶべきではないか。戦後の日本の経済成長は、そうした先達のグランドデザインとエネルギーが成し遂げたものではなかったのか。

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