“経済合理性”のためには“倫理”が要る 「正社員擁護論」に見るタダ乗り問題の本質 |あなたの会社は大丈夫? 「タダ乗り社員」を生む職場|ダイヤモンド・オンライン
筆者は発売初日からネット上の有名掲示板やツイッターを観察しているが、タイトルのインパクトの強さもあって、賛否両論、多くの意見が飛び交っているようだ。
それらの中に、面白いものがいくつかあった。簡単に言うと、「正社員と非正社員の間に格差はあって当然」という「格差擁護派」の意見である。
彼らは、フリーライダー問題やタダ乗り正社員問題を、「倫理問題」「人権問題」として捉える考え方そのものに対して、反発を感じているようだ。
筆者は、この考え方は一部正しいと思っているし、フリーライダー問題の原因を安易にモラルの欠如に求めるのは間違っていると考える。拙著『フリーライダー――あなたの隣のただのり社員』で詳しく述べているように、制度やマネジメントの改革なくして、タダ乗り問題の解決はない。
だがその一方で、フリーライダー問題を、制度やマネジメント「だけ」の問題と捉えることも、同様に間違っていると考える。そこには、「倫理や人間性の問題」という側面もあることを、無視してはいけない。
このように考えると、フリーライダー問題には、少なくとも2つの側面がある。「制度やマネジメントの機能不全」という側面と、「倫理的な問題を含んでいる」という側面である。
正社員と非正社員の間の、倫理を無視した「身分格差」は、会社の競争力を失わせる温床となる。そのキーワードとなるのが、「学習性無力感」である。
このことをタダ乗り問題に当てはめれば、「タダ乗り正社員は非正社員に対して学習性無力感を植え付ける」と言える。
特に筆者らが「暗黒フォース型」と呼ぶ職場は、学習性無力感の連鎖によって作られている。
現在、日本の被雇用者の多くが抱えているのは、「自分が今頑張っても将来のキャリアアップや安定につながらない」という不安である。この不安を助長する大きな要因こそが、フリーライダー問題なのだ。
しかし筆者らの考えでは、前述のように「制度を作ってそれでよし」という問題ではない。
「制度・マネジメント上の改革」と「社員の意識、倫理の改革」の両方がなければ、この問題は解決しないと考える。この場合の「解決」とは、会社が、ひいては日本社会が国際競争で生き残るための組織力を復活させることである。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100824#1282639104(小沢排除が元凶)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100607#1275921669
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100629#1277773292