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【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 世界が善くあるために

 最近中国でも論語の見直しが盛んになり、若い人も四書五経に取り組んでいる。最も重要とされているのが、孔子の言葉をその弟子が編集した論語である。それに『朋(とも)あり遠方より来たる 亦(また)楽しからずや』はよく知られているが、先月中国を訪れて旧知の要路の方々にお会いした。


 何かギクシャクしていると思われていたが、みんなは口をそろえて『朋あり遠方より来たる』の心で温かく迎えてくださった。文化という目に見えない力ですべての難関を乗り越え、素直な心で交われることは誠にうれしい限りである。茶道は「礼に始まり礼に終わる」をモットーとし、礼儀は和を保つもとであることを教える道でもある。「礼の用は和を貴しと為(な)す」と中国も論語の教えを大切にしたいという。しかし、言葉だけではなかなか実行ができ難い。

中国には「清茶一杯」という言葉がある。「お茶をどうぞ」ということで「喫茶去」と同じ意味をもつ。お茶をすすめ合いながら歓談するときには風流の風が吹き、心が穏やかになる教えである。

 何はともあれ、達磨大師「無功徳(むくどく)」の精神が、今の世界に必要なことである。イエス様の教えも「汝(なんじ)の右の手がなすことを左の手に知らすな」とある。差し伸べようという心の中に、報いがあるだろうなどと少しでも思ってはならないのである。分かっていてもなかなかできない。さらにイエス様は「汝ら、己のために財宝をこの世に積むな」といわれた。これは「いずれなくなる財を貯(た)めるよりは善い行いを少しでもしなさい」とのことである。世界中の指導者が善意の行いを心して実行に移す覚悟があってこそ、世の中はもっと明るく、人々は希望をもって生活できるのである。