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震災と日本人 倫理学者 竹内整一 連載(2) 日本人の「しあわせ」という語感はどこから来たか

「しあわせ」とは、もともと「為合はす・仕合わす」という言葉からきたものである。つまり、まずは「みずから」の努力によって、「うまく合うようにする」という意味の言葉であった。が、やがてそれが、「しあわせ」という名詞として使われてくると、「めぐりあわせること、運、なりゆき、いきさつ」といった意味合いの言葉となってくる。
そこには、「しあわせ」とは、われわれ「みずから」の力だけではない、それを超えた働きに大きく左右されるものだという受けとめ方を見てとることができる。

われわれは、「みずから」決断し努力したことでも「なった」と表現したり(例えば、「今度結婚することになった」とか「就職することになった」とか)、「みずから」努力し可能にしたことでも「出来た」=「出(い)で来た」と表現してきたのであり、この「しあわせ」という言葉にも、この世のもろもろの出来事は、「みずから」の努力と、「おのずから」の働きの「あわい」においてあるのだという発想を見いだすことができる。

日本人の考える「しあわせ」とは、まずはわれわれ自身が「為合はす」ものとして「みずから」の努力を基本としながら、なおそれを超えた「おのずから」の不慮・不測の働きを待ち、受けとめることとの「あわい」に招来される事態だと受けとめられてきたということである。