地殻変動で日本列島が水没し、日本民族は国土を失うという設定の「日本沈没」(48年)は広範な知識に裏づけられた巧みな空想力が話題を呼び、400万部の大ベストセラーに。日本推理作家協会賞を受賞したのをはじめ映画、テレビ・ラジオドラマ、劇画にもなった。また60年には「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。
実は、私は昭和48年に書いた『日本沈没』のなかで、マグニチュード7.6級の直下型地震によって退社ラッシュの時間帯に、高速道路の高架が傾いて、車が次々と落下して炎上するという表現をしたんです。もちろん昭和39年前後、首都高速が一部開通し、名神高速も開通したずっと後のことです。
この小説を発売した後、ある大学教授に呼ばれましてね。そこで「キミは高架の建築基準を知らないのかね。高速道路が傾くわけないだろう」といわれたんですよ。
確かに、その頃は、そうなのかなとも思ったし、映画化された時には、シーンにならなかったくらいなんです。ところが、今回の地震(阪神大震災)では、傾くどころか、完全に横倒しになってしまった。SFより現実の方がはるかに上回ったわけです。
【小松左京さん死去】「マルチ人間」の元祖 東日本大震災、日本の復興信じ…
異名は「ブルドーザー」。26日、死去した作家の小松左京さんは、かつて日本のSFの世界で、こう形容された。故星新一さんが、けもの道を開き、小松さんが整え、その上を筒井康隆さんがスポーツカーを駆って走ったといわれたからだ。
多才な方で、われわれにとっては偶像的な存在。漫画家でいえば手塚治虫や馬場のぼるに匹敵する、戦後第一期の科学小説を書かれた先駆者であり、偉大な作家だった。私も小松さんの作品はほとんど読んできた。
小松さんと親交のあった漫画家の松本零士さんは「小松さんの作品は、私もこどもの頃から読んでいて、あこがれの作家でした。小松さんは、SFの世界をより親しみやすく、おもしろく書いた偉大な作家で、戦後の新しいSF小説の第一人者だったと思います。絵心もあり、表現力も非常に豊かでした。小松さんが亡くなったことは、SF界にとって非常にショックなことだと思いますし、私も寂しく残念でなりません」と話しています。
京大卒業後、やがて漫才の台本を書くようになるが、生活は食費にも事欠く貧苦の状態が続いた。妻の嫁入り道具だったラジオも質屋行きに。娯楽がなくなった新妻に読ませるために毎日、原稿用紙に少しずつ書いてはちゃぶ台に置いて出勤したのが「日本アパッチ族」になった。
SF作家として一躍売れっ子になった小松さんは八面六臂(ろっぴ)の活躍をする。宇宙科学から国際政治まで好奇心旺盛で、頭の回転の速さは誰もが驚かされた。大学の専攻はイタリア文学だったが、世界の文学はもとより哲学、考古学、歴史学などを巡る読書量はすさまじく、スケールの大きな思考力を見せてくれた。
東京へ居を移さず、関西をベースに活動を続けたことについては、「東京に行くと『作家先生』になってしまう。大阪の庶民性に根付いた人情や風土がモノを書くにはいい」というほかに、「初めてローンを組んで家を買った」家庭の事情が大きかったようだ。そこには美人の奥さまがいる。