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天皇機関説事件で動揺する岡田啓介内閣の運命 (1935年)|週刊ダイヤモンドで読む 逆引き日本経済史|ダイヤモンド・オンライン

 政友会と民政党の対立は続き、岡田内閣は民政党が与党、政友会が野党の立場にある。高橋是清蔵相や床波竹次郎逓信大臣などは政友会幹部だっただが、入閣時に除名されている。つまり、岡田内閣は民政党主体の挙国一致内閣ではあるものの、野党的な政友会が衆議院の多数を占めるという不安定な状態だ。衆参でねじれている現在の民主党政権のようなものである。

 天皇機関説とは、旧憲法上、天皇を統治システムに位置づけたもので、憲法学的な議論でどうということではないのだが、これに対し、天皇は国家統治の主体であるとする野党政友会や軍部が政府を攻撃した。


 けっきょく、1935年8月、政府は国体明徴声明を発表し、「統治権万世一系天皇に存する」とした。9月に美濃部は議員を辞職するが、辞職の際の発言が再び反撃を招き、政府は10月にも2度目の国体明徴声明を発表する事態となっていた。


 憲法学上の論争ではなく、岡田内閣打倒をめざす政友会が利用した面、軍部が政治利用した面があるが、その後、政府は憲法学者19人をリストアップし、天皇機関説を封じる言論統制政策をとった。

民政党主体の挙国一致内閣を解散に追い込みたい政友会は天皇機関説事件を利用し、政権を攻撃する。政友会はこの座談会の5週間後、1936年1月21日に岡田内閣不信任案を提出し、可決される。


 岡田首相は衆議院を解散し、総選挙へ突入。

 ところが、投票日の6日後、1936年2月26日に陸軍皇道派による軍事クーデターが起き、岡田首相は救出されたものの、高橋是清蔵相、斎藤実内相、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害された。岡田内閣はクーデター終息後、3月9日に総辞職することになる。