「ソクラテス、あなたがおっしゃっているのは、肉体の快楽に溺れる人間は、いかなる美徳にもまったく縁がなくなるということですね」(クセノフォン『ソクラテスの思い出』)
〈「愛欲の楽しみのほうは最近どうだい?」。そう問われたギリシャ三大悲劇詩人の一人、ソフォクレスは答えた。
「口を慎んでくれたまえ。わたしは、そんなことすべてから解放されたことをことのほか喜んでいるのだ。まるで残虐で残酷な暴君から解放された奴隷のような気持ちなのだ」〉
ソクラテスは恋も愛も肯定したが、それは魂を鍛え、「肉体の快楽」に溺れないことを前提にしてのことだった。
「傑出した才能に恵まれ、熱い魂と何にでも挑戦し、成功することができる若者が訓育を受け、義務の観念を教えられたならば、優秀で有能な人間となる。しかし、欲望のままに放任され、訓育を受けなければ、同じ人間が極悪無頼の徒となるのだ」
「もし真の知を得ようとするならば、肉体から解放され、魂そのものによって、ものごとを観(み)るほかはない」