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【日米開戦 70年目の検証】最終回 考・責任 日本の組織の体質なのか

 組織が責任の所在をあいまいにしたまま事態が進行し、責任を取らない姿勢に起因したのではないだろうか。だれかが「勝つ見込みはない」と言えば、踏みとどまることができたはずだ。しかし、陸軍や海軍、政府、それぞれの組織の立場で責任を取ることを恐れ、口に出すことはできなかった。国と国民を守るよりも、組織の論理が優先し、責任を取らない、取らせないことで事態が悪化してしまった。

 現代の政府や役所、企業、学校なども衰退や不祥事は責任の所在を明確にしないことで起きているのではないだろうか。

 この傾向は昭和に入り、顕著になる。関東軍が暴走し、大敗した昭和14(1939)年のノモンハン事件では敗戦の責任を取ったはずの服部卓四郎は参謀本部作戦課長、辻政信は同戦力班長という要職に就く。ほかにも中国大陸では現地軍の暴走が繰り返されたが、処分を受ける者はなかった。


 開戦後も度重なる敗戦でも処分を受けることはほとんどなかった。

 その半面、兵には責任を求める。

 あえて言えば、国民も責任を取らなかった。日清、日露戦争の勝利で世界の一等国となった立役者の軍人をもてはやした。大正時代は軍縮で一時的に人気を落とすが、暴走する軍部を支持する声は根強かった。国民の支持が開戦に向かわせたのも確かだ。民主党政権後の日本の姿は国民の責任でもある。