これは1971年、藤山愛一郎元外務大臣が北京を訪れて周恩来首相と会談した内容を当時の外務省中国課が聞き取った「藤山愛一郎氏の内話」と題する3月11日付けの文書の中で明らかになったものです。
藤山氏は「周恩来も『アメリカは変わり身が早い。現在、台湾に深入りしているのはアメリカよりもむしろ日本である。今後、中国共産党との関係においては、アメリカが先行して日本が取り残されるのではないか』と言っていた」と述べました。
外務省内の議論では台湾の扱いをめぐって結論が出ず、田中角栄首相が就任後約2カ月半で一気に正常化にこぎつけた「政治主導」の交渉過程が浮かび上がった。
72年7月に田中内閣が発足すると、日中間の動きは急速に進んだ。田中首相と大平正芳外相は自ら正常化交渉に臨むため、同9月に北京入り。初日の首脳会談で「日中国交正常化の機が熟した」と切り出した田中氏に、周恩来首相も「国交正常化は一気(いっき)呵成(かせい)にやりたい」と応じた。