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『善の研究』
P112

 我々が普通に純機械的自然を真に客観的実在となし、直接経験における具体的自然を主観的現象となすのは、凡て意識現象は自己の主観的現象であるという仮定より推理した考である。しかし幾度もいった様に、我々は全然意識現象より離れた実在を考えることはできぬ。もし意識現象に関係あるが故に主観的であるというならば、純機械的自然も主観的である、空間、時間、運動という如きも我々の意識現象を離れては考えることはできない。

P187

我々の行為の価値を定むべき規範はどこにこれを求めねばならぬか。かつて価値的判断の本を論じた所にいった様に、この判断の本は是非これを意識の直接経験に求めねばならぬ。善とはただ意識の内面的要求より説明すべき者であって外より説明すべき者でない。単に事物は斯くあるまたは斯くして起ったということより、斯くあらねばならぬということを説明することはできぬ。真理の標準もつまる所は意識の内面的必然にあって、アウグスチヌスやデカートの如き最も根本に立ち返って考えた人は皆ここより出立したように、善の根本的標準もここに求めねばならぬ。

格物致知 - Wikipedia
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120413#1334326972
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071228#1199753709
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120429#1335707288
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20101012#1286886516