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46歳で歌舞伎界へ−香川照之が語った「覚悟」と「生い立ち」一問一答

 −−襲名会見から政明君の変化は


 香川「この子は不思議な子で、感受性が非常に強い。しかし強いと受け取らせない陽気さがある。非常に二重、三重になっている構造で、不思議な感覚を持っている。それは親ばかの範疇かもしれません。ただ、僕から勝手に、お前は歌舞伎をやるというプレッシャーを与え続けて、彼がそれに対し、イエスという答えを持って下りてきたことは僕は知っているつもりです。それに応えなければならないのが(自分の)人生の意味であることも。


 僕は後天的にそれを知ることになり、今、躍起になっている過程です。それをプレッシャーに感じて、感受性の強い受け皿の中で、なおかつ大人に向かっていこうとする姿は、本当に頭が下がります。これが普通、歌舞伎役者さんが小さい時に与えられる使命なのかという気がします。

 −−歌舞伎の世界に入って、思ったことは


 香川「芝居がすべてですけれども、芝居以外のこともすべてであるくらい、たくさんのものが付随している、非常に難しく壁の高い仕事であることを今、痛感しております。人生2回、3回生きても追いつかないくらい、いろいろな感覚が今、この短い期間に押し寄せています。何人かの方から『これはあなたしか味わえない苦しみだ』という勇気づけの言葉を頂き、その言葉を信じながら毎日粛々と、やるべきことをやっているつもりです」

 −−(政明に)歌舞伎、これからやっていきたい?


 政明「分からない。1つはお話つくりたい」

 −−おじいちゃんに言われたことは


 政明「気持ちを発揮する」


 香川「そうだね、よく分かっているね、あなた」

 −−使命感とは、澤瀉屋の血を貫く使命感ですか


 香川「簡単な言葉で言えばそうかもしれません。僕自身が生まれてきたときの約束を守る、ということでしょうか。この家に生まれてきたわけですから、この家のことをやりに下りてきたはずです。両親の事情とは違うスタンスが、僕にあったはずです。僕が生まれてきた使命だと思います。

 −−その使命感はいつから意識されたんですか


 香川「子供が生まれたときではないでしょうか」

 −−猿之助さんの舞台はごらんになっていたか


 香川「初めて見た歌舞伎は父の舞台だったと思います。高校の歌舞伎鑑賞教室。その後は何回かしかないです。逆に言うとほとんど見たことがなかったかもしれない。息子が生まれた(平成16年初め)のが父が(脳梗塞で)倒れたのと同時期で、僕が思い立ったときには父はすでに倒れていました」

 −−稽古で特に教えてもらっているのは


 香川「父です」


 −−どんなアドバイス


 香川「その瞬間を命がけでやれ、ということです。これは僕自身、映像でハッキリとある地点で認識したことと、全くずれていなかった。その意味では違うところで生きてきたけれども、同じ単語を持ってやっていた、という思いがあります。しかしそれをやるには非常に体力も心も辛い。父のように倒れてしまうこともよく分かる。彼はきっとそれを一秒も(気を)抜かずにやってきたんでしょう。その結果があの病気だと思います。僕自身、映像では苦しい目に遭わされてきましたけれども、歌舞伎ではさらに苦しい思いをするでしょう。


 ただ意外に近いところで生きているなということはハッキリと今、確信しております。それは親子というより役者同士としてかな。僕自身、(映像の世界で)ここまで来なかったら、その受け皿すらなかったという意味では、(歌舞伎界入りは)今しかなかった気がします。


 10年前では僕自身が間に合っていない、分からなかったと思う。また、10年後では僕がもう体力も追いつかない。政明も大きくなりすぎている。この五十回忌追善、という機会を松竹から与えていただいて、天からの啓示だと思っています。

 −−團十郎さんの言葉は


 香川「『大変だよ』ということは、当然ながらおっしゃいました」


 −−ほかの歌舞伎俳優からかけられた言葉は


 香川「今年の頭には父とご挨拶に回って、いろいろありがたい言葉も頂きました。『難しく考えなくていいんだよ』『僕が力になるからね』とおっしゃってくださった方もいました。ただ、難しく考えますし、誰の力にも頼れないことは知っています。だからといって、やるべきことはやらなくてはならないことは知っております」

 −−お父様に対する気持ちの変化を振り返って


 香川「『ヤマトタケル』や『義経千本桜』もそうですが、分断された父子というテーマが、歌舞伎にはいろいろ出てきます。つまり父自身の人生をオーバーラップしているような演目を、(今回)提示してきたと僕は思っています。それを見たとき、父が現人生で行ってきたこととは全く違うアングルの感情の顔をしている。どっちが本当なんだということを思ってきたのは事実かもしれません。あそこで泣いているなら、なぜ(実生活では)こういう風に…というのは不思議だったかもしれません。


 しかし今、僕はそれに対し、ハッキリと答えをつかんだ気がします。それは父がやはりそれ(父子の情)を持っていたということです。しかしどこかの段階でそれを芝居の中だけで投影させると決め、芝居の中でやりきり、日常生活までやっていられなかったのでしょう。

 −−お稽古を通じて父子を感じる部分もあるか


 香川「先日、化粧の稽古で、父から最初に顔を塗ってもらった瞬間、『これ40年遅いよ…』と思いました。手は覚えている。彼自身もこの間、8年ぶりに自分で化粧をしましたが、横で見ていて『まるで夢のようだ』と思いました。本当は子供(政明)が一番(猿之助に)似ているんです。父と僕が同じなのは素直なところ。素直な心が自分を棄て、狐になりきる気持ちになるのではないでしょうか。それは僕が映像でやってきた作業と似通っている気がします。自分を棄てることに躊躇がない」

 −−最後に


 香川「本当に僕自身至らないですけれども、精いっぱいやったつもりです。短い時間でしたけれども、何カ月かの間、歌舞伎というものにすっぽり入ったつもりです。歌舞伎役者の役を演じる程度にしかできていないかもしれません。しかしこういう例もあったんだと10年後、20年後に温かく言われるように、一歩目を踏み出してみます。


 見に来てください。僕はどんなに恥かいてもいい。どれだけ笑われてもいい。それぐらいのつもりで作っています。迷惑をかけないように頑張ります。あとは政明が宇宙飛行士に向いているのか、歌舞伎俳優に向いているのか。また私が『もうお前、役者自体やめちまえ』みたいなことになるのか分かりませんけれども、それも人生である、というつもりでやりたいと思います。なぜなら僕には確固たる1つの使命というものがあるからです。


 それが味わえるだけでも幸せではないか。感謝したいと思っています。緊張もするし、すごく辛いですが、僕たち親子の感謝を伝えたいと思います」