【父の教え】バイオリニスト・前橋汀子さん 日本文化を追求する精神
父親の正二さんは西洋音楽には興味がなく、趣味は日本の伝統芸能の鑑賞。歌舞伎や文楽、そして新派まで、生の舞台を見に足しげく出掛け、日本の伝統文化をこよなく愛した。
後年、前橋さんが大阪音楽大学の教授に就任。大阪に来る機会が増え、国立文楽劇場でたびたび観劇、文楽の人形遣いや太夫らとも親交を深めた。「そうなって、初めて父が見ていたものがいかに一流の舞台だったかということに気づかされました」
17歳で単身、旧ソ連へ留学することが決まったとき、反対とも賛成とも言わなかった正二さんだが、留学先にはよく本を送ってきた。
「日本の歴史に関する本が多かったですね。手紙にもどのような本を読むべきか指示してありました」
正二さんは定年退職後、日本の伝統工芸をより深く知るためにと、竹細工の修業を始めた。亡くなるまで10年以上続けた。玄人はだしとして評価され、亡くなる少し前、「生まれ変われるとしたら職人になりたいね。それも無形文化財級の職人に」と話したという。