https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

哲学者・適菜収 先人に「上から目線」の愚

捻(ね)じ曲がったイデオロギーが体のレベルで染み付いてしまっている。

 かつては「昔の人だからすごい」という感覚はあっても「昔の人なのにすごい」という感覚はなかった。偉大な過去に驚異を感じ、畏敬の念を抱き、古典の模倣を繰り返すことにより文明は維持されてきたからだ。過去は単純に美化されたのではなく、常に現在との緊張関係において捉えられていた。

 知の巨人ゲーテ(1749〜1832年)は、「過去からわれわれに伝えられているものを絶えず顧みることによって初めて、芸術と学問は促進され得る」と言う。たとえば、15世紀のイタリア・ルネサンスは、古代ギリシャ古代ローマの《再生》による人間の復興を目指す運動だった。同時にそれは、進歩史観の起源にあたるキリスト教歴史観に対する芸術の反逆でもあった。

ところが近代において進歩史観が勝利を占め、過去は《冷徹な歴史法則》なるものにより都合よく整理されてしまった。歴史は学問の対象に、古典は教養の枠に閉じ込められた。大衆社会において、ついに歴史は趣味になる。現代人の趣味に合わないものは「昔の人の価値観だから」と否定されるようになった。大衆は自分たちが文化の最前線にいると思い込むようになり、古典的な規範を認めず、視線を未来にだけ向けるようになった。過去に対する思い上がり、現在が過去より優れているという根拠のない確信…。畏れ敬う感覚が社会から失われたのである。

 「3千年の歴史から学ぶことを知らないものは闇の中にいよ」ゲーテは叱った。現在、自我が肥大した幼児のような大人が、闇の世界で万能感に浸るようになっている。革命、維新などという近代的虚言を弄んでいる連中は、歴史と一緒に大きく歪(ゆが)んだ頭のネジを巻きなおしたほうがいい。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20061230#1167469783