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【旧制高校 寮歌物語】(10)「教養」による人間形成

 《(先輩)「講義なんて、どんなに素晴らしかったって、しょせんは講義だぜ。自分で考え、自分でさぐり、自分でみつけだす。高等学校の生活ってのはそのためにあるんだ」。(新入生)「何を考え、何をさぐるんですか」。(先輩)「そいつも、自分で考えて、みつけだすんだな」

 では“三高の先輩氏”が「しょせんは講義」と、うそぶいた旧制高校の授業や試験は果たしてどんな内容だったのか。


 大正期から戦前までの文科の代表的な授業編成例(別表)を見ると、第1、第2外国語で全体の3分の1強を占めている。これは、イギリスのパブリックスクールなど、ヨーロッパの“エリート養成学校”がギリシャ語やラテン語に力を入れたのに似ているが、明治期には、大学に外国人教授が多かったことや、原書の専門書を読みこなす必要があったことが大きかったとみられる。


 語学以外では、「国語・漢文」「歴史」「哲学」など、人文科学系に多くの時間が割かれている。これに対して「社会科学系」「自然科学系」は週に2、3時間ずつしかない。授業内容は教授にもよるが、高度かつユニーク。「現在の大学院レベルに近かった」(三高OB)ともいい、教科書を使わない独創的な授業も多かった。

 「国史西洋史は、そもそも教科書がなかったし、語学では、授業ではやっていない『実力問題』が必ず出題された。つまり、授業の勉強だけでは解けない。(静高は)及落の判定も厳しかったから、寮では必死で勉強しましたよ。基本的な要素さえ踏まえていれば、自分の考えを強く打ち出した独創的な回答も評価されましたね」


 授業では習っていない問題が出たり、独創的な回答が求められるのだから“詰め込み式の暗記”では対応しきれない。普段からどれだけ本を読み、幅広い教養を身に付けているか。そして、想像力や応用力も問われることになるのだ。

 前回でも触れたが、旧制高校生は全国で9つ(外地を含む)しかない“帝国大学へのパスポート”を持っていた。西澤によれば、当時の静高文科乙類の卒業生は約8割が東大に、残り約2割は京大に進んだという。


 だから、現在の受験生のように、知的好奇心をまったく刺激しない「厖大かつ単調な暗記作業」に追われることもなく、たっぷりといろんな本を読み、仲間と哲学論を戦わせ、スポーツにも打ち込むことができた。そして、大学に進んでから今度は「専門の学問」をやる。


 そもそも、同世代男子の1%以下という秀才たちが24時間、寮で、人間性をさらけ出しながら共同生活を送っているのだから、面白い“化学反応”が起きないほうがおかしい。高等学校の3年間は、いわば猶予を与えられた貴重な「モラトリアム」期間だったのである。


 彼らが打ち込んだ学問や読書は、世俗的には決して“実用的ではない”が、学問への畏敬の念を生み、大局観や広い視野を育み、一方では、エリートが陥りやすい「驕慢(きょうまん)」への自戒の心を養った。つまり、「教養」による人間形成である。旧制高校生と同世代で高等商業や工業などで「実学」(経済学や工学など)を学んでいた生徒たちは、こうした「モラトリアム」を大いに羨(うらや)ましがったという。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120924#1348498386