06年の知事選。敵方は自公民相乗りだった。組織のない嘉田は、川上から川下へ下る辻立ち遊説を展開した。
「上流のほうの町は、それこそ10人とか20人ぐらいしか聞いている人はいなかった。そこから川沿いにだんだん都市部に場所を移して街頭に立つ。一人一人を大事に演説するんです。そのとき私はいつも『鉛筆を一本握ってください。投票用紙に私の名前を書いて下さい』と言って、演説の最後に、『鉛筆持ったら嘉〜田!』と連呼するんですね。すると聴衆が唱和してくれるようになる」
「小沢さんにお会いしたときに、私の川上から川下選挙を見ていたと共感してくれましたね。それにしても、マスコミは、相変わらず小沢さんの傀儡(かいらい)とかそんなことばかり聞くし、県庁に来るファクスやメールも半分は『なんで小沢と組んだのか』と。批判する人たちは小沢さんが怖いんですよ。私は平気。なんで小沢さんを使わないのかなって。私は研究、小沢さんは政治という、ともにフィールドワークの仲間。だいたい、いまの小沢さんは好々爺ですよ(笑い)。裁判でもずいぶん叩かれてね。だから私は、『小沢さん、ここは少し休んでていいですよ。小沢ガールズでもなんでも全部引き受ける』っていう思いですよ」