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立命館大教授・加地伸行 和臭のある作品

下手な詩である。決まり文句をただ並べただけ。ま、それは下手の横好きということで許されるとしても、詩(絶句)において最も大切な最後の句、すなわち第四句の意味がメチャクチャなのである。


 海江田氏は、第四句中の「全此生」を「敗れた党の再生のためにこれからの人生を最大限努力する」といった意味に使っている。


 しかし、「全此生」(此の生を全うす)すなわち「全生」とは、老荘思想の根本文献である『荘子』の養生主篇の冒頭にある有名なことばであり、こういう意味だ。「生命に大切なことは偏ることのない中庸である。中庸のようにすれば、身を安全に保つことができ(保身)、生体(知覚・感覚・言動など)を無傷に保つことができる(全生)」と。


 てっとりばやく言えば、なにかをしたいしたいと肩肘張ったり熱中して入れ揚げたりせかせかするのではなくて、中庸という自然な在り方を守ってゆけば、長生きできますよというのが「保身・全生」の意味。


 ということは、政争といった権力闘争に「粉骨砕身」する在り方とはまったく無縁な話なのである。

 漢文の作詩作文において、古典のことばを踏んだり先人のすぐれた語句に拠(よ)るのは、基本的作法。しかし、海江田氏は「全生」を勝手に現代日本語風に理解し、かつ使っている。