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【書評】『新生の気学 団藤重光「主体性理論」の探求』大橋健二著

 団藤重光の刑法学の根底には、主体としての個の尊厳他の主体の尊厳を重んじる「主体性理論」「間(かん)主体性理論」がある。彼自身、この源泉を陽明学に求める。彼の祖父は熊沢蕃山(ばんざん)に私淑した山田方谷(ほうこく)の門人であった。団藤は幼少期を岡山で過ごしたが、家は蕃山の屋敷跡にあった。


 責任を担いうる人格の主体性は西欧のカントや、特に実存主義が重視した思想だが、団藤の特色は西欧思想よりも日本の陽明学、とりわけ蕃山と方谷の思想に負うことであろう。団藤自身、陽明学の影響を無意識裏に感じており、それが主体性理論を支えていると語っている。

 本書の著者は在野の陽明学研究者である。著者は初期の著作『日本陽明学 奇蹟(きせき)の系譜』(平成7年)で団藤をこの系譜の最後に位置づけた。


 これを読んだ団藤は感動し以後十数年におよぶ著者との親交が続いた。その間、著者は中江藤樹、蕃山、大塩平八郎河井継之助(つぎのすけ)の思想を相次いで詳細に紹介してきた。本書も800枚の労作であり、団藤の死刑廃止論に至る陽明学的思想を余すところなく多角的視座から照射している。


 団藤は『死刑廃止論』5訂版以降、著者の指摘を受け、江戸期の儒学には廃止論が見られないという自説を修正している。徳川時代の官学だった朱子学が机上の学と化す中で、蕃山と方谷の陽明学(これを著者は「気学」と呼ぶ)は、体系構築には至らなかったものの、王陽明や藤樹の儒学を自由に発展させた。


 蕃山は「天地の間に己(おのれ)一人(ひとり)生(いき)てありと思ふべし」と個の主体性を喚起し、死刑にも極力反対したことが知られる。


 誰もが尊厳ある人間として日々生き直す権利を持ち新たな生を開く個の新生、個が他者と連帯してよりよき世界を創(つく)る共生、この2つをめざす「新生の気学」が団藤重光の主体性と間主体性の理論である。それは現代日本が直面する「フクシマ」の文明的アポリア(行き詰まり)を射ぬくものだ、と著者は言う。ここには日本陽明学が脈打っている。