イエスはペテロの失敗を予告するだけでなく、彼が立ち直る布石を敷いておられました。それは彼のためのとりなしの祈りです。ペテロが失敗しないようにという祈りではなく、失敗した後に立ち直ることができるための祈りでした。
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」。ここには、「歩まず、立たず、座らず」とあります。「立つ」「歩む」「座る」とだんだん、誘惑の深みにはまっていくプロセスをあらわしています。ペテロが誘惑に負けたのは、まさしく、この段階を踏んだからです。
罪というのは皆、根っこは同じであって、神様から離れていくことなのです。ペトロもユダも、それは同じなのです。問題は、神様から離れてしまったことに気がついた時に、ペトロはどうしたか、ユダはどうしたか、そこにあるのです。