https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

言語を学ぶことについて

「ここまで到達すれば、こんないいことがある」という利益が事前に開示されていた場合、人間は「では、どうやって最短時間、最小エネルギー消費で、『そこ』にたどりつくか」を考えるからである。最小の努力で、最大の報償を得る方法を考える。費用対効果の最もすぐれた学習方法を探し始める。当たり前のことだ。

だが、そうやって最短期間に最高効率で身につけた英語力は、むかしの子どもが何年もかかって英語の小説を読んだり、英語の映画を見たり、英語の音楽を歌ったりしながら、じわじわと身につけた英語力と比べたときに、その厚みや深みにおいて比較にならない。

もし親の一方がアメリカ人で、家庭内では英語で会話しているという子どもが英語の成績がよければ、周囲のものは「アンフェアだ」と思うだろう。


だが、親の一方が熟達した日本語の遣い手であるために、子どもの国語の成績がいいことを「アンフェアだ」と言い立てるものはいない。


「熟達した日本語の遣い手」というものがありうること、長期にわたる集中的な努力なしには、そのような境位に至り得ないことを人々は認めたがらない。


だが、もちろんそのような文化的環境は存在する。それによる言語運用能力の差異は歴然として存在する。でも、それを認めない人たちは自分が用いる日本語を豊かなものにすることに何の関心も示さない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20101102#1288677517