──文枝の名を継いで9か月ほどが経った。大名跡には慣れたか。
文枝:全国津々浦々を回る襲名披露公演は今も続いており、最終的には2014年3月まで20か月間にも及ぶのですが、46年間も三枝の名でやってきたので、いまだに文枝の名がしっくりこない部分もあるんですよ。周囲の目はともかく、自分としては文枝というと、どうしても師匠だった五代目をイメージしてしまいます。
──あらためて、文枝を襲名した理由を聞かせてほしい。
文枝:ひとつは使命感からです。桂文枝は、東京で言えば三遊亭圓朝に匹敵する大名跡で、江戸末期に活躍した初代は「上方落語中興の祖」と称えられ、五代目は戦後の上方落語界を牽引した方です。
しかし、その五代目が2005年に亡くなってから、一般の人には名前が忘れられつつありました。そこで、今まで直系で受け継がれてきた大名跡を継ぐのは落語家としての使命だろうと思ったのです。継いだことによってマスコミの皆さんに文枝の名をずいぶん取り上げていただき、文枝が大名跡であることが一般の人にも知られるようになったのは嬉しいですね。
──46年間続き、全国区である三枝の名を捨てるのは非常に大きな決断だったのではないか。
文枝:おっしゃる通りです。せっかく三枝という名が全国に知られているのに、この歳になって捨てるのはもったいないという考え方もあるでしょう。実際、名前を変えることによって仕事が減るリスクもあるかと思います。しかし、桂三枝としては、落語の世界でもテレビの世界でもやるべきことはやった、という思いがありました。
また、60代の終わりを迎えようとした時、三枝のままでいたら、若い時の自分と比較され、昔は若くて勢いがあったのに……などと言われかねない。そうならないために、人生の最後の直線に差し掛かった今、変化を求め、最後の挑戦をしてもいいのではないかという気持ちになったのです。
60代の終わりでもまだまだ新しいことに挑戦できる年齢なのだと、自分に言い聞かせました。