医師である私が、なぜ 魂や「あの世」の存在を確信したのか|お別れの作法|ダイヤモンド・オンライン
医師となって30年余りとなる私は、救急・集中治療の現場をやってきたこともあり、大勢の方が逝く場面に立ち会ってきました。
家族に見守られながら眠るように逝く方、苦しみながら亡くなる方、誰も面会に来ず医療スタッフだけに看取られる方、事故で運ばれて意識のないまま逝く方……、人のエンディングというのは、実に多様です。
人は生きてきたように死ぬ、という言葉がありますが、それをどう解釈するかは皆さんにおまかせするとして、ここで一つ絶対と言えることがあります。
それは、「誰もが必ず肉体死を迎える」という事実です。
私は医師であると同時に、魂もあの世も理解していると思っている人間です。「大いなるすべて」と解釈している神の存在も同様です。だからといって、何か特定の宗教や宗派の信者ではありません。
私は死に関して、「肉体死を迎える」と表現しています。
私たちの魂はこれまで連綿と続き、そして私たちの死後も連綿と続きます。その意味では「死なない」ということになりますが、私たちの肉体は期限が来ればすべて確実に滅びます。
「人は死なない」とは、そういう意味で「死なない」ということです。魂は滅せない、という意味であるとご理解ください。
医療現場に携わるようになって驚いたのは、私たち医師が知っていること、わかること、できることは、残念ながらいまだ限られている、という事実でした。
大学で医学を学び、臨床医として医療に従事するようになると、経験を重ねるにつれ、それまでの医学常識では説明がつかないことにもたびたび接するようになったのです。
どんなに治療を尽くしても亡くなられてしまう方、それとは逆に、決して助かる見込みのないはずの重篤な患者さんが奇跡的な回復を遂げられたケース、果ては臨死体験といえるような事例なども経験し、いろいろなことを考えさせられました。そして、さまざまな報告や文献を読み、機会があれば気功や交霊なども実体験してみたのです。
現在の科学力では解明できませんが、魂は存在します。
私たちが死後に行く場所、一般的に言えば「あの世」と呼べるようなものも明確に存在しますが、いきなり全部は無理としても、少しずつこれらの事実を理解されると、私たちがこの世に生を受けた日から旅立ちの時、つまり生まれてから死ぬまでの年月が愛しく感じられます。
すると、死という「お別れ」に関する逝く側、送る側それぞれの「作法」が、実に興味深いものへと変わるものと思います。