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【ニッポンの分岐点】通貨戦争(3)新たな仕掛け人 矛盾を突いたヘッジファンド

 1990年代に入り、通貨戦争は新たな局面を迎えた。通貨戦争がヘッジファンドなどの投機資金によって引き起こされる時代となったのだ。

日本がヘッジファンドへの本格的な対応を迫られたのが、97(平成9)年に勃発したアジア通貨危機だった。

 97年7月2日、タイ政府はドルと連動する事実上の固定相場制であるドルペッグ制を放棄した。ヘッジファンドによるタイ通貨バーツの売り浴びせに耐えられず、変動相場制に移行せざるを得なかったのだ。直前に1ドル=25バーツ程度だったバーツは、7月末には32バーツ台まで下落。アジア通貨危機の始まりだった。

 当時、アジアの新興国通貨の多くはドルペッグ制を採用していた。このため、米国経済が好調でドル高になると新興国通貨も高くなった。通貨高によって輸出は減少し、経済が悪化しているのに為替レートだけが過大評価されていた。ヘッジファンドが突いたのはその矛盾。英国ポンドが過大評価されていたことをとらえて、ヘッジファンドがポンドを売り浴びせた92年のポンド危機と同じ構図だった。

 危機収束に向け、日本が果たした役割は小さくなかった。94年のメキシコ通貨危機では米国が支援を主導したが、元大蔵省(現財務省)財務官の加藤隆俊(71)=現国際金融情報センター理事長=は「米国は、アジアでの支援は日本が主導すべきだと考えていた」と振り返る。


 加藤は97年7月に財務官を交代。顧問として、後任の榊原英資(えいすけ)(72)=現青山学院大教授=や国際金融局長だった黒田東彦(はるひこ)(69)=現日銀総裁=らと先進国や関係機関との交渉などにあたった。

 バーツ急落を見て、アジアの多くの国は、ドルペッグ制の放棄など過度のドル依存からの脱却を模索した。日本政府はこうした動きを「円の国際化」を進める好機ととらえた。


 同年8月、日本は国際通貨基金IMF)などと、タイへの総額172億ドルに及ぶ金融支援実施で合意。さらに通貨の安定確保や経済危機支援のために、アジア各国が資金を拠出するアジア通貨基金(AMF)構想を打ち出す。


 AMF構想はアジア諸国からおおむね評価されていたが、米国やIMFの反対で頓挫した。IMFは米国主導でつくられた国際機関であり、世界通貨・金融戦略の牙城でもあった。加藤は「米国は、AMFによって日本の影響力がアジアで強まることを警戒した。賛成していた国にも強い働きかけをしていたようだった」と証言する。

 こうしている間もヘッジファンドの攻撃は続き、“標的”は他の通貨にも及ぶ。通貨危機は韓国やマレーシア、インドネシアなどに次々と波及。マレーシア首相のマハティールは当時、「経済の基礎はしっかりしている。(通貨・株価の)下落は欧米の悪質な投機筋のせいだ」とヘッジファンドを公然と批判した。


 危機がアジア各国に波及したことでAMFに代わる仕組み作りが早急に求められ、日本は98年に総額約300億ドルの資金を二国間支援に充てる構想を発表。蔵相に復帰した元首相の宮沢喜一が提唱した「新宮沢構想」だ。2000年5月には、危機の際に外貨を融通しあうチェンマイ・イニシアチブ」の創設でも合意、アジア経済はようやく安定へ向かっていく。

 AMF構想は頓挫したが、政府は円の国際化をあきらめてはいなかった。99年に大蔵省の外国為替等審議会がまとめた答申は、基軸通貨ドルをユーロや円が補完する三極体制の構築や貿易取引における円建て取引の拡大などを提言。金融市場の改革など利便性向上にも言及している。


 だが、円の国際化はかけ声倒れに終わり、その後も進んでいない。世界各国の外貨準備に占める円の割合は90年代の6%台から現在では3〜4%台に低下した。その理由について、国際通貨研究所経済調査部副部長の中村明(44)は「90年代以降の経済低迷で、日本の存在感や信認が低下したことが大きい」と指摘する。

 代わって急速に存在感を高めているのが中国の人民元だ。世界銀行は11年5月、「25年の国際通貨体制はドル、ユーロに人民元を加えた3基軸通貨体制となる」との報告書を発表した。円の国際化を目指す日本の通貨戦略は再構築を迫られている。

 大量の資金で高利回りを求めて運用するヘッジファンドは通貨が暴落する通貨危機や、商品先物市場の価格上昇を引き起こし、世界経済に大きな影響を与えてきた。90年代に相次いだ通貨危機ヘッジファンドが表舞台に登場したのが1992年の英ポンド危機だ。


 ポンド危機は、ユーロの前身である欧州為替相場カニズム(ERM)に原因があった。英国も加盟していたERMは、参加国に互いの為替相場を一定の変動幅に収める義務を課していた。このため、当時の英国経済は低迷していたにもかかわらず、ポンドは通貨高の状態にあり、その矛盾を突いたヘッジファンドから大量の売りを浴びせられた。英国はERMからの脱退に追い込まれ、再び完全変動相場制に移行した。英国は今もユーロに加盟していない。


 94年のメキシコ通貨危機や98年のロシア危機でも、投機的な売買の一部にヘッジファンドの関与があったとされている。

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