黒田日銀の展望リポートは、2年で2%という物価上昇シナリオを市場に信じ込ませるまでには至らなかったようだ。
日銀のシナリオが現実味を持って市場に受け入れられれば、金利は上昇、円安や株高も進むはずだが、時間外の取引でマーケットは反応薄。市場からは現実味が乏しいとの指摘が出ているほか、日銀政策委員のなかでも物価予想は大きく分かれている。市場の期待を押し上げてデフレを脱却するには有効な成長戦略など「合わせ技」が欠かせない。
<フィリップス曲線は上昇シフトするか>
日銀の展望リポートが市場や国民に現実味をもって受け入れられることが重要なのは、需給ギャップの縮小が容易ではないからだ。日銀が昨年10月の展望リポートのなかで示した「フィリップス曲線」の係数をもとにすると、現在の0.5%のデフレを2.0%のインフレをもっていくには需給ギャップは6─7ポイント改善しなければならない。景気の大幅回復と置き換えてもいいが、これはほとんど非現実的な数値だ。
そこでフィリップス曲線そのものを上方にシフトさせることで、デフレを脱却しようというのが、黒田日銀の政策コンセプトとみられている。曲線そのものを上方にシフトさせるには、「期待」を上向かせることが不可欠。インフレ予想ともいえる。それため展望リポートには、2年で2%という黒田日銀の物価上昇シナリオを市場や国民が現実味を持って受け入れ、そして、それぞれのインフレ予想を上向かせる役割が求められている。
しかし、マーケットでは今回発表された展望リポートについて、コンパクトでわかりやすいと歓迎する声は出ているものの、示された2015年度のコアCPIの中央値がプラス1.9%という数値に対しては、「相当強気な景気見通しを前提においても達成が非常に困難」(アール・ビー・エス証券チーフエコノミストの西岡純子氏)との受け止めが多い。海外経済が堅調で、国内経済も活発化、需給バランスが改善し、予想物価上昇率も上昇するというバラ色のシナリオは、足元の弱い景気やデフレ環境の下では容易には信じがたいようだ。
国債を7割買うという「バズーカ砲」で市場に衝撃を与えることに成功した黒田日銀だが、人々の「期待」を上向かせることができるかはまだ未知数。伊藤忠経済研究所・主任研究員の丸山義正氏は「物価上昇の経路は、異次元緩和でインフレ期待が上がるかどうかがカギだ。うまく機能すればシナリオ通りいくかもしれないし、そうでなければ届かない。今までと異なるやり方をとる以上、肯定も否定もできないが、ハードルは相当高いといえる」と話している。
<消費税の記述に懸念>
予定される消費税増税もデフレ脱却の大きなハードルだ。政府は14年4月に8%、15年10月に10%に引き上げる予定だ。将来不安が消えず、賃金も上がらないなかで消費税増税が断行されれば、国内消費が減少し、企業の設備投資が抑えられるだけでなく、デフレの大きな要因である消費者の低価格志向も維持されてしまう可能性がある。
1997年の消費税引き上げ(3%から5%)後、日本の消費者物価指数(CPI)は98年ごろからほぼ一貫して下落が続いている。今朝発表された今年3月の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く総合、コアCPI)は前年比0.5%低下と5カ月連続マイナスとなり、2月(0.3%低下)より下落幅が拡大。2012年度の全国コアCPIは前年度比0.2%低下と2年ぶりにマイナスに転じている。
展望リポートでは、「消費税引き上げによる振れの影響を受けつつも、輸出の増加や金融緩和効果に支えられた国内民間需要の前向きな動きが続き、基調的には潜在成長率を上回る成長が見込まれる」と記述された。しかし、「展望リポートは『期待』に働きかけることが求められるのだから、もう少し、その財政再建の目的や経済への影響を具体的に書かないと『フィクション』として読み飛ばされてしまうのではないか」と、シティグループ証券チーフエコノミストの村嶋帰一氏は懸念する。
<信ぴょう性もたせるには成長戦略が不可欠>
日銀シナリオに信ぴょう性をもたせるには、政府の後押しが欠かせない。「物価目標達成に向けては、ベースマネーを増やして期待インフレ率を高めるだけでなく、雇用増にも働き掛けていく必要がありそうだ。今後は政府との連携がポイントになる」(みずほ証券シニアエコノミストの北岡智哉氏)。6月にも提示される予定の成長戦略で、どれだけ既得権に切り込むような規制緩和などを打ち出せるかが注目される。
日銀の物価上昇シナリオを信じない場合は市場への影響は限定的とみられているが、今後、有効な成長戦略が打ち出され、2年で2%のシナリオが現実味を帯びた場合はマーケットは大きく変動する可能性がある。
為替は、インフレすなわち通貨価値の減少との見方から、円安が一段と進行すると予想されている。その場合は円安とデフレ脱却を素直に歓迎し、日本株も上昇する可能性がある。インフレヘッジ資産としての魅力も高まる。
金利は上昇する可能性が大きい。日銀が現物国債の7割を買い占めても、長期金利を構成するインフレ率やリスクプレミアムの上昇を抑えられるわけではない。クーポン0.6%の10年債を物価上昇率2%のときに持っていても損をするだけなので、買わないのが普通だ。また2%を達成できるならば、金融緩和の「出口」、つまり引き締めも視野に入る。
金利上昇は国債を保有する金融機関に大きなダメージをもたらす可能性があるが、景気回復とセットであれば貸出の増加などで影響を抑えることができる。 「物価だけが上昇すれば、国民には悪影響が大きいが、景気が足並みをそろえて改善するならば、金利上昇による悪影響も最小限でおさえられる。日銀の物価シナリオが実現するにしても、成長戦略がアベノミクスの成否のカギを握る」と、りそな銀行・総合資金部チーフストラテジストの高梨彰氏は話している。