言葉が作り上げる姿とは、肉眼に見える姿ではないが、心にはまざまざと映ずる像には違いない。万葉歌の働きは、読む者の想像裡に、万葉人の命の姿を持込むというに尽きる。これを無視して、古の大義はおろか、どんな意味合が伝えられるものではない。「万葉」の秀歌は、言わばその絶対的な姿で立ち、一人歩きをしている。その似せ物を作るのは、難しいどころの段ではなかろう。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130501#1367416163
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130121#1358781250