臨床心理学者の河合隼雄さん(1928〜2007年)にちなんだ「河合隼雄物語賞・学芸賞」創設を記念した公開インタビューのテーマは「魂を観(み)る、魂を書く」。
−−物語とは?
「人間はそれぞれに自分が主人公の複雑な物語を魂の中に持っている。それを本当の物語にするには相対化する必要がある。小説家がやるのは、そのモデルを提供すること。魂のネットワークを作りたい、という気持ちです。僕の物語とあなたの物語が共鳴する。それでネットワークができて物語が相対化され、奥行きや深みが生まれる。それが物語の力です」
−−人と人は真につながれるのか?という問いがある
「今回は生身の人間に対する興味が途中からすごく出てきた。人間と人間のつながりに強い関心、共感を持つようになった。これまで僕の小説は1対1の関係が多かった。だから5人というユニットが今回非常に意味を持つ。本当に人が傷ついたら、それ(=傷)を見られないですよね。隠したいし忘れたい。そういう時期がある。人は傷を受け心をふさぎ、時間がたつと少し開いて…ということを繰り返し成長していく。この小説は一つの成長物語。成長するには傷も大きく、トラウマも深くないといけない」
実は私も20年来のファンで、彼の作品はだいたい読んできた。また、村上春樹氏の小説は、臨床心理学的に大変興味深いという。ほとんどの作品で、彼の描く人物の行動、内容は、臨床家から見ると深い意味を感じさせるという。
私の知り合いの臨床家はそう語っていた。ただし『ノルウェイの森』だけは違う、とは言っていたが――。
日本のユング派臨床心理学の大家であった故河合隼雄氏とも、村上氏は長く親交があった。先日京都大学で行われた村上氏へのインタビューで、氏は「物語を書くには、人の心の深いところまで降りていく必要がある。その意味では、臨床心理と自分が物語を書くことには共通点がある」と語っていた。
私もそれには100%同意する。氏の描こうとするものは、いつも根源的で魅力的だ。だが、その描き方については疑問がある。そしてそのことは、今の日本社会が抱えている問題や、日本の会社組織が直面している問題と深く関わっているのだ。
氏の小説の主人公は、基本的には「他人と関わることを避ける」ように振る舞っている。新作の『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』にしてもそうだ。孤独に身を鎮めて、物事を客観的に見ようとする主人公は、彼の多くの作品に共通する。
そして、彼の紡ぐストーリーの中では、そんな「共同体から離れたがっている主人公」は黙っていても、色々な人からアプローチを受ける。そして他者との関係を深めていくのだ。気が付くと、主人公はその関係性の要となってストーリーが進んでいく。
むしろ、今日本人が求めているのは、どのようにコミットメントするか――つまり、どのように自ら望んで関係を構築するか――であるはずだ。
私たちの課題は、いかにして魅力的な共同体を自発的に形成できるかにかかっている。
文学とは、それを模索する格好の実験場であるはずだ。しかし、村上春樹氏をしても、それを描きせしめるには至っていない。氏に描く気があるのかどうかすらわからない。
ならば――極論ではあるが――、「仲間を増やすことの意義」を単純に、ストレートに、だが圧倒的な説得力を持って描いている人気漫画『ONE PIECE』のほうが、現代日本人にとっての文学的価値は高いのかも知れない。
主人公のルフィは大変な労力をかけて仲間を守り、増やし、信じ続ける。そしてそんなルフィの「魅力」にまた周囲も引き寄せられる。自らが進んでコミットする共同体が「創発」(emergent)しているのだ。
もしかすると、日本の新しい共同体を考えるヒントは、そんなところにあるのかもしれない。