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「世のため人のため」の仕事観は、外国人には驚き。 「日本の当たり前」を知識経営の視点から捉え直す。 ――対談:野中郁次郎×紺野登(前編)|利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか――目的工学[入門編]|ダイヤモンド・オンライン

紺野 イギリスの経済誌エコノミスト』は、2013年のグローバルトレンド10の1つに「利益から目的へ」(From Profit to Purpose)を挙げました。世界は今まさに、目的重視の方向へと転換しています。企業経営という観点から言うと、顧客やステークホルダーから「何のためにビジネスをしているのか」をますます強く問われる時代に入ってきたと言えませんか?


野中 そうだと思います。その目的のあり方として、最近、いろいろなところで「共通善(コモングッド)という言葉が頻繁に使われるようになってきました。一方でハーバード大学経営学者であるあのマイケル・ポーターが、CSV(Creating Shared Value=共通価値の創出)などということを言い始めたのにも驚きました。


紺野 ポーターの戦略論「ファイブフォース」では、顧客は「売り手」に対する「買い手」という位置づけです。要するに、すべてが競争を前提とした対立関係の中で捉えられている。そのような文脈から、「顧客にとっての本来あるべき価値は何か」を重視するようなコンセプトが生まれてきたのは、確かに驚きですね。


 実はCSVのオリジナルは2005年にスイスの総合食品メーカーのネスレが打ち出したコンセプトで、ポーターと一緒にコンサルティング会社を経営しているマーク・クラマーが普及させたもののようです。


野中 ポーターが非常に優れていたのは、経済理論とマネジメントを総合した点です。ここは確かに、独自性がある。しかし、彼が作ったモデルは基本的には経済学的な独占・寡占を志向するものであって、何か新しいものを創造しようという時には役に立ちにくい面があります。


アメリカの経営学者、デビッド・ティースなどは、ポーターの戦略論では経営者やイノベーションすら登場しないではないかと彼を痛烈に批判し、長期的成功を目指すための新しい戦略論として「ダイナミック・ケイパビリティ」というコンセプトを打ち出しています。


紺野 それは表層的な競争戦略や効率的経営にも共通する批判ですね。米国企業でも90年代に、リエンジニアリングなど、効率的経営によって一時は業績を回復したかに思えた企業が、しばらくすると前よりもひどい状態になってしまうケースが見られました。


 そのとき企業にとって最も重要な人や知識が外へ出て行ってしまい、組織の中に蓄えられていた暗黙知が急速にやせ細ってしまうという現象が見られたのです。企業経営の持続性が失われてしまうばかりか、経営にとって本来必要な社会に対する責任感や倫理観というものが、どうしても抜け落ちていってしまうのではないかと私は考えています。

野中 今おっしゃった企業の社会的責任ということに関連して、ちょっとおもしろいエピソードがあります。最近、うち(一橋大学)の大学院で「One Asia」というプログラムをやっていて、中国、韓国、日本の企業に関する比較研究を始めているのですが、その中で国営企業も含めた中国企業の幹部を日本に呼んで、日本企業のトップと話をしてもらう機会がありました。


 そうすると、彼らは一様に驚く。日本のトップはみな「共通善、コモングッド」――要するに「世のため人のために事業している」――というような話をするが、あれはいったい何なんだ、と。


 これは我々日本人からすると当たり前過ぎて気づかないようなことなのだけれども、外国人にしてみたら、不思議でしょうがない。中国経済の原動力は華僑に象徴されるような、ネットワーク・キャピタリズムです。それによって急速に経済発展する一方、国営企業と民営企業の間に歴然とした差があったり、国民の所得格差も社会問題になっていたりします。


 韓国にしてもそう。あれは言うなれば「財閥キャピタリズム」でしょう。国内からも、財閥は栄えても国民は、という批判もあるようですから。


 そんな中、「日本企業の持続力を可能にしている要素はいったいなんなんだ?」というテーマが改めて注目され、中国・韓国の企業からも高い関心を集めるようになっています。海外から来た人たちの目で改めて日本企業のあり方を見直すと「ああそうか、日本企業はだから長く生き延びて来られたのか」という発見がいくつもある、と言うんです。


紺野 90年代アメリカでかつて起こったことと同様の動きが今、リーマンショック以後のアジアで起きている、と考えてみてはどうでしょう。


 振り返ると、野中先生が日本企業の製品開発をコンセプト化してまとめた「知識創造理論」は90年代にアメリカで評価され、世界中に広まりました。それ以前の80年代、アメリカ企業は日本企業に軒並みシェアを奪われそうになり、「これではまずい」と真剣に日本企業のあり方を研究したんですね。


 その時に、ちょうど野中先生が発表されていた「現実のイノベーション暗黙知形式知スパイラルアップによって起こる」という知識創造の理論とそれをモデル化した「SECIモデル」を知り、形式知一辺倒だったアメリカ企業が暗黙知の重要性を認識していった、という流れがあったかと思います。


野中 アメリカの近代経営学は「経営は科学である」という考え方が主流を占め、人間の主観を扱うなど科学的経営学のすることではない、という風潮もありました。実際、駆け出しの頃の私の研究に大きな影響を与えたハーバート・サイモンも、そうした考え方の持ち主でした。


 彼は人間の持つ情報処理能力には限界があり、それゆえ完全に合理的にはなれない、と考えた。したがって、経営における意思決定から人間の価値判断を除いてしまえば、判断しなければならない範囲が限定され、合理的かつ科学的な判断ができるはずだ、と主張した。


紺野 そうした考え方に基づくと、組織は人間が合理的判断をするための単なる装置に過ぎなくなってしまい、そこで働く人たちの人間性は無視されてしまいます。つまり、組織がどんどん非人間的にもなっていく。


野中 そう、それが大きな問題です。しかし今、彼らが排除した価値判断こそが経営にとって必要な時代に入ってきた。つまり「何のためにビジネスをしているのか」ということが問われるようになったのです。そこであらためて注目されるようになったのがアリストテレスの目的論であり、ピーター・ドラッカーの指摘した「企業は社会的機関である」という考え方だと思います。

紺野 アメリカでも勢いのある企業というのは、今おっしゃったような社会性を兼ね備えています。それを象徴するツールにもなっているのが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でしょう。つまり、社内だけではなく、社外とのパートナーシップというのも、非常に重要な要素になってきていると感じます。


野中 おっしゃる通りだと思います。


紺野 ただし、人と人、あるいは組織と組織は放っておけばつながれる、というものでもありません。所属や利害の異なる社外の人々と組織がなにを接点にしてつながっていけば、イノベーションが起こるのか。その“接着剤”ともなるキーワードが「目的」だと思ったのです。


野中 イノベーションというのは、自分の目的意識がまずあって、それをどう実現していくかという試行錯誤の中から生まれる。まさに「思い」を「言葉」に、「言葉」を「かたち」にというプロセスですから、その通りだと思います。


 今回、紺野さんが提唱された目的工学は、科学的なものと人間的な主観のバランスをとりながら経営していくにはどうしたらいいか、という具体的な方法論にも踏み込んでいます。そういう意味で、哲学的でもありますが、同時に実践的でもあると感じましたね。